25.ここは楽園のようです
あらすじ。
私がうっかり発動させた魔法陣によって、私とラウはもの凄い量の水に押し流されたのだった。
球状結界にこもって水に運ばれることしばらく、私達は端から端まで数十メートルあろうかという広場に放り出される。
私が落下速度低減の風の魔法陣を、ラウが全体を照らす光の魔法陣を使い、無事に着地した。
円柱型の広場は天井も随分と高い。
石床は隅が格子状になっていて、水はそこからさらに下へと消えていた。壁にはぐるりと古めかしい彫刻が施され、文字や魔法陣を彫り込んだ石版が嵌め込まれている。
特に魔法陣は周囲に切り込みがあり、何かあれば動きそうに見えた。
「ここは……魔法陣の楽園……?」
「正気を保て。ただの遺跡だ」
ラウが目を細めて渋面で広場を見回している。
私は古い魔法陣があるとすぐ読み解きたくなるけれど、ラウは今自分が使いたい魔法が使えれば良いのだ。旧字の勉強はしてないと言っていたはず。ここに書かれた魔法陣は読めないだろう。
「この中に、ジェラルド様と合流できるような何かがあれば――」
まだ足元に残る水をバシャバシャ蹴飛ばして壁へ向かう。
さっそく近いものから解読しようとしたけれど、ラウが無情にも光の魔法を解いた。一瞬で暗闇が戻る。
「ああっ!」
「エステル。見たとこ、中央の台座には水が来なさそうだ。魔力は使うが、今日は風呂入ってここで寝るぞ」
私の悲痛な叫びが聞こえなかったのか、ラウは改めて私達の周りが照らされるだけの魔法を使う。
広場の真ん中には太い柱に支えられた台座があり、そこへ至る長い階段は途中まで苔むしていた。そこから、水が満ちた時のおおよその水位が予想できる。渋々後に続いて登る私はちらちらと暗闇を振り返った。
「ラウが先でいいわ。私、壁の魔法陣を…」
「落ち着け。正確な位置もわからねぇのにピンポイントでたどり着けるわけないだろ。」
「でも早く魔法陣を解いて、今とれる手段を確認しないと…」
「お前が風邪ひいてダウンしたら誰が読むんだ?早く温まって寝て、体力回復させてからだ。」
気が急いて仕方がないものの、濡れて身体が冷えてしまったのは確かだ。
階段の途中で水と火の魔法陣を組み合わせてお湯が出るよう調整し、ラウが台座の上で寝床を整えてくれる間に、地下へ入って二日分の汚れを落とす。昨日は濡らしたタオルで拭くくらいしかしなかったから、だいぶさっぱりした。
着替えてラウと交代し、あんまりおいしくない携帯食料をかじりながら日誌を綴る。
「エステル。魔力はまだ平気そうか?」
戻ってきたラウに「もちろん」と頷いた。
ここへ来るまで色々あったけれど、ラウも魔法を使えるから私の魔力消費は抑えられている。
「靴に浮遊か撥水を付けた方がいい。明日はここの壁全部調べるんだろ」
「そうね、確かに。やっておきましょう」
魔力の効率を考えて浮遊はやめ、撥水を私とラウ両方の靴に書いておいた。
ローブに仕込んでいた緊急結界も今日使ってしまったから、魔力の補充をする。これは既に書かれた魔法陣に流すだけでラウにもできる作業なので、手伝ってもらった。
寝る前にもう一度、探知の魔法陣を起動する。
真っ直ぐな光の線ではなく、淡い光の波が一方向へ放射状に流れていた。精度が低いという事は距離があるということ。
ジェラルド様。
きっと私が見つけてみせますからね。
汚れないよう首から下げていた結婚指輪をぎゅっと握りしめて、眠りについた。
翌朝。
携帯食料をもそもそ食べて、私達は作業に取り掛かる。
台座へ上がる階段の正面をスタート地点として、私は時計回りに壁面の解読(絶対に魔法陣に触るなよと注意された)。ラウは入り口で黒い狼を押し込んだ時のような、物理的な仕掛けがありそうかどうかを確認していく。
途中でラウにずるずると引きずられて小休憩を挟みつつ、何時間もかけて魔法陣や石板の文言について解読を終えた。
「ええと。この地下迷宮には三つの町が存在するわ。壁に書かれた六つの魔法陣のうち、三つはその都市部へ通じる扉の役割を担っている。《金色狼》のぴかぴか苔の町、《黒色狼》のかちこち石の町、《銀色狼》のとげとげ岩の町。」
「……マジ、だよな?」
「ふざけてはいないのよ。本当にそう書いてあったの。」
「俺達がいたのは石の町だな。」
「たぶんね」
黒色狼を目印に入った石づくりの町だ。
それは合っていると思う。あの広さがまだあと二つあるのかと、ラウが苦い顔をした。
「他の魔法陣は?」
「一つはこの広場の排水溝――隅にある格子状のところね。あれを開閉するもの。閉じた上で別の【全開放】の魔法陣を使うと、一定時間の後に台座を越えて天井近くまで届くほどの水が注がれ、町への扉を開けていた場合はそちらへ流れ込むの。ただずっと高い位置にあるから、町そのものが水に沈む事はない。」
「馬鹿でかい貯水装置か…最後の一つは。」
「泉へ続く扉。そこに全てを記すと書かれてる。」
「全て……この地下迷宮のか?」
「可能性はあると思う。もし地図ならぜひ確認したいわね」
書き写した魔法陣と走り書きだらけの日誌を膝の上に置き、私はラウをじっと見る。
ラファエル殿下はこの迷宮を【王家の秘密】と言った。
「ねぇ、覚えてる?アレットが好きだった童歌。」
銀色狼雨の日泣いた、金色狼雨の日死んだ。
流れ流れて涙は溜まり、深く深くに嘆きの泉。
爪も牙をも底へと沈め、いつかの屍を抱いてる。
「…【嘆きの泉】だってのか?」
「三匹の狼の町、雨の日の涙――つまり雨水が流れて溜まる、この貯水装置。そして地下深くにある泉。かなり合致してるでしょう?」
「王家の秘密か……避難路って以外にも何かあるかもな、こりゃ。本当は知らねぇ方が身の為ってやつだ」
「でも、ジェラルド様の反応はとげとげ岩の町へ続く扉と、泉へ続く扉の間だわ。」
私が作った【探知】では高低差がわからなかった。
ここより高いなら町へ、同じか低い場合は泉へ…と決められたら良かったんだけど。
「まずは泉で情報がないか確認、駄目でもそちらにはいないとわかる…後はとげとげ岩の町を目指して、上へ。」
「都度【探知】を見ながらそうするしかないか。……ちなみに、この高い台座は何の為の物なんだ?」
「飛び込み用ですって。」
「はあ?」
「あそこ、フチが少し欠けている所があるでしょう?その裏、手で触れる位置に水の魔法陣を彫ってあるらしくて、好きな高さまで溜めて……」
「マジで何なんだ、ここ。」
「さあ……。」
作った人達がお茶目だったことは、間違いないかもしれない。
お昼ご飯を済ませて、私達は泉への扉を開いた。
深く、深く。
大きく螺旋を描くような階段を降りた先は鍾乳洞で、石造りの通路の両脇が剥き出しの崖になっていた。
グンセーヒ・カリゴケの明かりらしき物も見えるけど、どれくらいの深さかわからない。水の流れる音が少し聞こえるので、一番底は川だろうか。さすがにもう一度結界ごと流されるつもりはないけど。
こつ、こつと私達の足音が響く。
端に辿り着くと半円を描くような床、そして壁画があった。
なんと、二本足で立つ三匹の狼が描かれている。
右には毛並みの良さそうな金色狼。
掲げた手から放射状に線が伸びて…これは、石を砕いてるのかしら。周囲を水が舞って、まるで自在に操っているようにも見える。
左には毛がつんつんした大きい灰色狼。
両手に剣を持ち、勇猛に動物や魔物を倒している……もしかしなくても、剣士よね?そうすると、金色狼の足元にだけ点々が書いてあるのは、影ではなく魔法陣の事かもしれない。
真ん中の低い位置に癖毛の黒色狼。
入口にあった絵と同じく楽しそうに笑っていて、右手にペンのような棒を持ち、片足を上げて小躍りしている。傍を舞う三枚の紙には三つの町を表すような尖った岩、光る苔、四角い石が描かれていた。
「絵本と随分違うわね……」
「それより、どうやって開けるかだ。たぶんこれも扉だろ」
「えぇ、この通りに開くのでしょう」
三匹の間を分けるように上から縦に真っすぐ、黒色狼を避けて二分し一番下まで線が走っている。この切れ目の通りに開くはずだ。
触れようとした私の手はラウにぺしっと防がれた。だいぶ信用を無くしている。大人しくラウが確認するのを待とうと思えば、ほんの十秒も経たずにラウが「ここ見てみろ」と声を上げた。
「黒色狼の腹に凹凸がある」
「……当たりよ、ラウ。開錠の魔法陣だわ」
「余計な記号ついてねぇだろうな?」
「大丈夫。ここが開くだけ」
魔力を流すと黒色狼の部分が石碑のようにその場に残り、左右が奥へと開いた。
ほんの数歩歩けば広い空間に出て、壁にはごちゃごちゃと文章が彫られている。
横を見ればやはり――地底湖があった。
カンテラがいらないくらい明るい。
グンセーヒ・カリゴケと、それよりさらに輝く石があちこちにある。ラウによるとあれは希少な鉱石で、光を蓄積する性質を持つらしい。
澄んだ水はその内部からも鉱石で照らし出されている。
水深は十メートルないくらいだろうか、私達のいる場所からまっすぐ対岸へ道が作られているものの、数センチほど水に沈んでいた。
湖の中央には小さな祭壇が作られている。
「壁の字は上にあったのとは違うな。何人かで書いてんのか?」
「そうみたいね」
一番上に大きく雑な字で一言、中段に小さめの字で何行か、そして下段に上階と同じ筆致で綴られていた。
私は数歩先へ進んでいたラウの隣まで歩き、壁の文字を見上げる。
「えっと…【俺達の楽園!】と書いてあるわ」
「楽園」
「その下は……【我が妻コーデリア、我が弟ザカライア、二人の協力無くしてこの楽園はあり得なかった。陽の光が無くとも、ここには間違いなく我が心の安寧がある。二人に至上の感謝を。君達を心から愛している。 ロードリック】――…、ロードリック!?」
私は目を見開いて隣を振り返った。
ラウも流石に名前を聞いた事はあるのだろう、驚いた顔で私を見ている。
「ラウ、これって…稀代の天才魔術師と呼ばれた、ロードリック・サイモン・ルーズヴェルト王子?」
「結婚目前に病死した悲劇の魔術師……年代は合ってる気がするが。」
「相手の名前はコーデリアでは無かったはずだけど……でもザカライアって」
「下はなんて書いてるんだ?」
「あ、そうよね。待って」
うっかり考え込みそうになって慌てて意識を切り替えた。
上階にあった文を書いたのと同じ人だろう文章を読み上げる。
【自分で街を設計してみたいという夢、兄上が自由になれればいいのにという願い。一緒くたに叶える事になろうとは思いもしなかった。義姉上の発想は突拍子もなくて途方もなく、僕達三人の力でこの楽園を作ったとは、他に誰が信じるだろう。二人が幸せに生きていけるよう、僕はこれからも力を貸す。 ザカライア】
「…ここは、三人の秘密基地だったのかしら。」
「規模がやべぇけどな。」
「構造についての情報は無いわね…」
少し気落ちしながら、私は探索記録と化している日誌に走り書きを足した。
地底湖の真ん中にある祭壇、あそこに何かあれば……。
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ジェラルド様捜索三日目
台座の間を調べる。
視認できる限り魔法陣は大きいものが六つ。
(調べた魔法陣や文言についての走り書きが
十ページ近く続いている)
泉へ向かって進む。
剣士の銀色狼、魔法陣を使う金色狼、
(町の絵を描く に訂正線が引かれている)
設計を担う黒色狼の三匹が描かれた扉。
黒色狼に解錠あり
地底湖に到達。
ロードリック、コーデリア、ザカライアの名を確認。
この迷宮はザカライアが設計したもの?
三人はここを楽園と呼んでいるようだ。
 




