24.早く妻の所に帰りたい(ジェラルド視点)
あ、死んだな。
そう思った瞬間、俺はなぜか暗闇の中で地面に倒れ込んでいた。
「ガハッ!――げほっ、ごほ!ぐっ…」
ドラゴンを相手に飛び回ったため、かなり上空にいたはずだ。
なぜ地面が?俺の意識が飛んでいたのか?叩きつけられたにしては痛むのは尾が直撃した前面ばかりだ。
暗くて何も見えない。
咄嗟に防御も回避も間に合わず、一瞬で光が明滅した――…何らかの魔法陣が発動し、散ったのは目に焼き付いている。
カヒュ、と明らかにやばい呼吸音がする。
背を丸め上着の胸元を握り締めて耐えていたが、呼吸が落ち着いてくると痛みを堪えて地面に肘をつき、身を起こした。
「はぁっ、はあ……」
暗闇に目が慣れてくると、淡く光る苔が生えているお陰で辛うじて周囲が見えてきた。
肋骨は折れたか、良くてもヒビが入っているだろう。呼吸する度に痛い。肺に刺さっていないだけマシだが…ちょっと待て、懐に入れていたはずのピンブローチが無いぞ…
「ここは……洞窟か?」
本当にどういう事だ。
混乱しながら片膝をつくと、カシャンと音を立てて俺の宝である懐中時計が零れ落ちた。ヴァイオレット女史が――エステルが守護を刻んでくれた物だ。
鎖の先についたクリップで留めていたはずだが…ああ、折れている。くそ…時計自体は無事なのが幸いか。
龍頭を押して蓋を開くと、裏に刻まれている魔法陣の輝きが儚く消えかけていた。
は?
一大事だ。エステルに何て言えば。いや魔力が抜けてるだけか?補充すれば…
どうしてこんな事になったと考えてようやく、ドラゴンに薙ぎ払われた瞬間に起きた事を把握する。
あの時砕けたのはこの時計に刻まれていた守護か。
手探りで小石を見つけ、地面にごく初歩的な火属性の魔法陣を描いた。
「荒き火の施しを」
魔力を流せば灯火が一つ浮かぶ。
すぐ近くに俺の剣が落ちていたので、拾って鞘に戻した。ドラゴンの攻撃は早過ぎて、既に抜いていた剣をガードのために構え直す暇すらなかったのだ。
残念ながら金木犀のピンブローチは見当たらない。ベルガの森に落ちたか。
明かりの前であぐらを掻く。
俺がいるのは幅も高さも三メートルほどの通路だ。土が剥き出しとはいえ、自然に作られたにしては不自然なほど形が整っている。
「…ドラゴンはどうなったんだ」
天井を見上げても何もわからないし、地響きが聞こえるわけでも、雄叫びが聞こえるわけでもない。
多大な犠牲を払いながらもだいぶ追い詰めていたし、ラファエルがトドメとなる高威力魔法を使うために俺が囮をしていた時だった。
もう数秒で発動できたはずだから、間に合ったと信じたいが……
懐中時計に書かれた魔法陣を見下ろした。
これに込められたのがただの守護ではない事くらいは知っていたが、俺自身に魔物の攻撃が届く事など滅多にないものだから、発動したのは初めてだった。
法外な値段でスタートしたのも頷ける、相当な強度の守護魔法陣だ。
しかも査定した人間が読み取れたか知らないが、守護が破壊された場合に空、風、土の属性を含む二段階目の魔法が発動するよう組まれている――所までは読める。読めるのだが、あまりに緻密過ぎてそこから先の条件指定が見えん。
ヴァイオレット女史に会ったら聞きたい事の一つがこれだった。
何がどうなるように組んであるのかと。
起きた事を考えれば、まず間違いなく転移系が組まれていたのだろう。
あれほどの守護が突破されるようであれば、その場から離れた方がいい――エステルはそう考えたのだ。守護の破壊から転移までのごく僅かな時間に俺の骨は軋んだわけだが、本来即死だ。俺は生かされた。
エステルが転移を組んでいなかったら、俺は「ご遺体は見ない方が」と言われるタイプの死に方をしていた。まともに判別ができるレベルで身体が残ったかすら怪しい。
ただ、懐中時計ほどの大きさでは【定点転移】は無理だ。いかにヴァイオレット女史でも。
つまりエステル本人も、俺がここに飛ばされたとは知らないだろう。
彼女が組んだ条件に当てはまるどこか……どこなんだ、ここは。
未発見の遺跡、旧避難豪…後は、王族の隠し通路とかか?
いずれにせよ簡単に出られる気がしない。まず前と後ろどっちに進むべきかがわからん。天井を突き破りたいが、地上までの距離がわからない以上はやめた方がいい。
討伐が長引いた場合のため、携帯食料は三つだけ所持していた。
「……何日で出られるかだな。」
あまり大きく息を吸うと骨が痛む。
ドラゴンとの戦いで魔力もだいぶ使っていた。余裕ができたら懐中時計に魔力を補充したいが……。
俺は手持ちの魔法陣の種類を確認し、今後どう進んでいくべきかを考えた。
ここが広くない事を祈るばかりだ。
結論、広過ぎる。
地下に来てから二日経った。
分岐に目印をつけ、頭の中でおおよその地図を作っていたが……限界だ。縦横無尽が過ぎる。
「本当に人が作った場所なのか…どうなってるんだ。」
たまには声を出していないと、静か過ぎて気が狂いそうだ。
分岐を逐一調べて行き止まりを確認し、結果全ての道に先がない事などしょっちゅうだ。唐突に下の通路へ落ちる穴があり、そこもまた幾本もの通路が伸びている。
俺はいつ出られるんだ……。
ネズミでも魔物でも、他の生物に会うとこれが現実だと再認識できて僅かに安堵する。
一番良いのはメナシウサギだ。
こちらを襲う事がないし、立ち止まっている俺からできる限り離れた隅っこを、時折警戒するように立ち止まりつつ去っていくのをつい見守ってしまう。
エステル……今頃どうしているだろうか。
俺が行方知れずとは既に情報が届いているはずだ。懐中時計の魔法陣が原因と気付いただろうか?
ラファエルが彼女に会えば、大体の見当はつくかもしれないが……仮に捜索隊が派遣されても、この迷宮で誰かと合流するのは正直きついぞ。
…エステルの事だから、楽観的に見て普段通り研究に精を出しているかもしれないな。
それか、人探しの魔法陣でも開発し出すかもしれない。
倒したカミツキドリの羽をむしり、解体して内臓を抜いて水で洗い、炙って焼く。味気ないが贅沢は言うまい。携帯食料の不味さよりマシだ。
ネズミ、コウモリ、メナシウサギ、スズナリヘビにカミツキドリ…この洞窟の大体の生態系がわかってきた。
正直、一番美味いのはメナシウサギの肉だろう。
しかしあれに手を出したら俺は…俺は……
カミツキドリを食い終わり、懐中時計を見下ろした。外は深夜だろう。
この一帯もおおよそ調べ尽くしたから、明日は先程見つけた下層への穴に潜るしかないか。ここの仮拠点は中々上手く作れたんだが…仕方ない。
土壁で安全を確保した上で水を浴び、洗った服を風の魔法陣で乾かして着る。
魔力の減りは著しいが、これから寝るので構うまい。
土壁を一部解いたらその向こうでメナシウサギが二匹、長い耳をぱたりと動かしてこちらを見ていた。と言ってもあいつらに目はないので、こちらに顔を向けて匂いや音を確認しているだけなのだろうが。
小さな舌で水溜まりを舐める二匹をぼんやり眺めてから、明かりを消した。
朝、妙な呻き声で目が覚める。
ぎゅうう、と唸るような声だ。
苔の明かりでは、メナシウサギが相変わらずおなじ位置でモソモソしているくらいしかわからない。何だ、あいつら寝言とか言うのか。
「…眩き光の解放を。」
火を灯すのではなく周囲の明るさを上げた。
メナシウサギが増えている。普通の大きさの二匹の間に小さいのが一匹。産まれたばかりの個体のようだ。そいつが鳴いている声か。
………いや待て。何で俺の傍で産んだ?
「どういうつもりだ…?」
返事は無い。
推測に過ぎないが、俺はメナシウサギを喰うカミツキドリやスズナリヘビを倒した強者ではあるものの、メナシウサギの事は徹底してスルーし続けた。
結果、あの人間はメナシウサギを捕食対象にしていない……という事を学んだのかもしれない。
俺は土まみれのこいつらの見分けなどまったくつかないが、もしかすると何度も会った個体だったりするのだろうか。
意思疎通のできない相手をたかが数日で信用するな。人に懐くとは知っているが、無防備にも程があるぞ。それでも魔物なのか。それでいいのかメナシウサギ。
小さいのをぺろぺろと舐める親を見ていると、エステルを撫でていた頃が懐かしくなった。ほんの数日前のはずなんだがな。
最後の携帯食料を食べ、メナシウサギの親子に「じゃあな」と声をかける。両親の方が揃って「みー」と鳴いた。
………あれを飼う奴の気持ちがわかってしまったかもしれない。
歩いても歩いても似たような景色だ。
上に向かう岐路を見つけて喜んだのもつかの間、三十分かかって行き止まりだった。仕掛けの類も無さそうなのを確認し、引き返して別の道を行く。
「……これは、魔法陣か?」
危うく素通りするところだった。
妙に広い空間だと思い明かりを強めてみると、照らし出された壁は石造りで、古い時代に使われていた記号が彫られている。
距離を取って全体像を把握した。構成内容を囲んでいない…三百年から五百年前に主流だったものだな。
恵み、水、貯める、満ちる、捨てる、別、魔力、流れる、捨てる……詳細指定までは資料がないとわからないが、おおよそこういう意味だ。
水が溜まりきったら捨てる、また、魔法陣に魔力を流すと捨てる。
「…魔法陣の中央がやたら空白だな。場合によってはここが開いて出てくるぞ」
一人言を呟きながら壁面沿いを少し歩く。
ああやはり注意書きがあるな。
掠れているが…
「年…去る時近付くな…捨……る時に…不動…れ……」
一年ほどで貯まり、年末に捨てる時期が来るらしいな。不動というのはつまり、動かないように。
俺の予想が合ってるんじゃないか?魔法陣の中央が排水口になるんだろう。危険だ。
俺は魔法陣を放置して進む事にした。
あんなもの起動してたまるか。だいぶ湿った洞窟だとは思っていたし、グンセーヒ・カリゴケも多いとは感じていたが、定期的に大量の水が通るなら納得だ。
そして、そんな仕組みが作られていたという事は……他にも魔法陣があるかもしれない。
どこかに地上への定点転移でもあればいいんだが。
「ん……?」
ずしんと小さく洞窟が揺れた。
何だ?
耳を澄ますと、小さくドドドド…と激しい水流が聞こえる。どこかが崩れたか、あるいはあの排水が起動したか?俺が通った場所以外にも同じ魔法陣があったのかもしれない。
自動で起きたものか、もしくは……魔力を持つ誰かが来ているか。
……来ていたとして、排水に呑まれて終わったかもしれないな……。




