18.奥様、未来の死因を察する
「う……」
ゆっくりと意識が浮上して目を開く。
温かいベッドの中、私はジェラルド様に抱きついていた。起きたらハグをするのはいつものこと。
彼の背中側にぽとりと落ちていた自分の手を、ジェラルド様の背中にくっつけて擦り寄る。いつもと感触が違う。ぴったりと、まるで肌と肌を直接合わせたみたいな――…みたい、な?
小さな笑い声がして瞬くと、肌色…いえ、逞しい胸板が見えた。
「え?」
「おはよう、エステル。よく眠っていたな」
頭の上から声がする。
恐る恐る身体を離して見上げると、とても機嫌が良さそうなジェラルド様がうっとりした視線をこちらに向けていた。距離が空いた分だけ布団の外の空気が入り、さっと体温を奪う。
私達は裸だった。
「おはようございますジェラルド様…」
だんだん声が小さくなりながら、私は可及的速やかにうつ伏せになって首まで布団にもぐり、隅に寄せられたらしいエスティー達へ手を伸ばした。
エスティーをジェラルド様との間に挟み、さらにジェリーを抱えてから向き合う事でちょっとでも自分の身体を隠す。ジェラルド様はくつくつと笑っていた。
「身体は大丈夫か?」
「…ちょっと重い感じはありますけど、大丈夫です。」
「そうか。無理しないように」
「はい。」
エスティーの背中にそろそろと手を伸ばす。
ジェラルド様が手を重ね、労わるようにぽんぽんとしてから握ってくれた。私は枕に頭を半分埋めて困り顔になる。
この格好良くて優しくて魔法陣にも詳しい人が私の夫なのだ。すごく今更だけど、どこかで天変地異でも起きたのかしら。恵まれ過ぎている。
…敢えて聞いたりはしないけど、たぶん昨夜は結構手加減をしてくれたと思う。
身体強化の魔法すら使ってない引きこもりごときでは、師団長様の体力についていけないもの。
き、キスはものすごくされたとはいえ、その後は私が痛くないか、辛くないか、気遣ってくれていたし……後半ほとんど記憶がない。
何が何だかよくわからなくなってしまって、「ジェラルド様」と「好き」を舌足らずに連呼していた気がする。今すぐ叫び出したい。
「わ…忘れてください……。」
「どれの事かわからんが、難しいな。」
「そこを何とか、全体的に」
「難しいな」
くっ…そんなに甘くて優しい顔して見ないでほしい……。普段はあんなに眉間に皺を寄せることばかりなのに。
赤くなった顔を隠したくて、私はエスティーの横腹に顔をうずめた。
片手はもちろんジェラルド様と繋いだままだ。だって、そうしたいから。
「せめて話題を変えてください……」
「いいだろう。月末に知り合いの館で仮面舞踏会があるんだが」
仮面舞踏会?
ものすごく聞き覚え、いや、読み覚えのある単語だ。
「俺は珍しく参加予定でな。無理強いはしないが、共に来てくれると嬉しい。」
「私も…?」
「参加者は仮面をつけ、仮に互いの正体に気付いてもおおっぴらに言わないのがルールだ。実はそこで、とある方と魔法陣の話を」
「行きますっ!」
反射的に布団から顔を出して言った私だが、はっとして「あ、でも」と呟いた。
月末と言っても日付は?場所は?アレク様とかぶったら行けない。慎重に確認すると同じ日に同じ会場だった。これは素晴らしい偶然、もはや奇跡的な確率。
天は私にアレク様との面会を許してくださった。
「実は私も知人に誘われておりまして、でも一人では心細いと思っていたのです。」
「知人?クラーセン卿か」
「あ、いえ……えと、会ってからのお楽しみです!」
深く突っ込まれると、今すぐカミングアウトする事になりそうで怖い。
会うのはアレクサンドル・ラコスト様であり、彼と会う私は貴方が尊敬してくれるヴァイオレットなのだと。
今はまだ起き抜けで心の準備が…。
ここまでにしましょうと示すべく、私はジェラルド様をぎゅっとしようとして――…少しだけにじり寄ったものの羞恥に負け、抱えたままだったジェリーの頬にちゅっとして布団にもぐった。
「何でそうなるんだ」
照れてしまった事はバレている気がする。
くすりと笑う声がしてエスティー達が取り上げられ、私は脚を絡めてぴったりと抱きしめられた。
顔を歪めるほどじゃないけど下腹部に鈍痛が残っていて、起き上がるくらいわけないものの、寝転んでいる方が楽だ。
果てしなく生ぬるい笑顔のリディが身支度を整えてくれ、上機嫌のイレーヌが朝食の乗ったワゴンを運んできてくれた。とてもじゃないけど皆の目が見れない。
仕事に行くジェラルド様はわざわざ私のいる寝室に寄って、「行ってくる」とハグとキスをしてくれた。嬉しいけど、壁際に立つリディがそっと見ている気がしてならない。
廊下からは微かにクレマンの鼻歌が聞こえ、ジャン達庭師一同よりと小さな花束が届けられた。
現実から逃れるため、非現実と現実の狭間であるアレク様への返事に集中する事にする。
初めてお会いする上に仮面付きだし、時間と場所以外にも何か私とわかる目印があると良いわよね……。
リディにお金を預けて手紙を出してもらい、数日後。
私はジェラルド様と一緒に街へ来ていた。
今更ながらに結婚指輪を買うためだ。元は夫婦として人前に出ることは無いつもりだったから、話題に出た事すらなかった。
「良きパートナーとなった時点で、俺は着けてもいいと思っていたが……できれば、もっと君と通じ合ってから一緒に選びたくてな。今更になったというわけだ」
そう言って薄く微笑むジェラルド様は今日も格好良く、すれ違った女性の目を片っ端から奪い続けている。
お揃いの家紋ブローチをつけてエスコートを受け、私は「妻です」という顔で堂々背筋を伸ばした。
お出掛け服もぬかりなく裏地に身体強化の魔法陣を仕込んでいる。
私はいざとなれば、ジェラルド様をお姫様抱っこして攫う事も可能なのだ。ハンカチでも噛みそうな顔で私を睨む貴女たちとは戦闘力が違うのである。舐めないで頂きたい。
勝利を確信しつつ宝飾店に入った。
結婚指輪と言っても、見本のガラスケースにはすごい種類が飾られている。しげしげと眺めていると、ジェラルド様が窺うように私を見た。
「デザインにこだわりは?」
「特には。私がジェラルド様のもので、ジェラルド様が私のものだってわかったら、それでいいです。」
「エステル」
「はい。」
「街中じゃなければ夜みたいな事になっていた。あまり煽らないように」
真剣な顔で何を言うのか。
煽ったつもりはなかったのですが、と返す事もできずに目を泳がせ、私は赤くなった顔を俯けて口を閉じた。
家紋のモチーフを使って裏に互いの名を彫り込んで瞳の色の宝石を入れて…と、大体ジェラルド様が提案して私がこくこく頷いて話はまとまった。
指輪は完成したら屋敷に届くらしい。
ジェラルド様が手続きを済ませる間、店内をうろうろしていた私はとある一角で足を止めた。
白い小花を集めた銀木犀のイヤリングがある。
実はアレク様に「目印として銀木犀を身に着けていきます」と送ったのだ。リディに聞いたら、銀木犀の装飾品なら街に色々あると思います、と言っていたから。
これにしようかしら。
「それが気になるのか?」
「ジェラルド様」
「欲しいなら買ってやるが……銀木犀か。」
私が見ていたイヤリングを手に取り、ジェラルド様は目を細めた。
手を引いて私を鏡の前に立たせ、耳の傍にイヤリングを添えてくれる。小さく控えめな白は私によく合っているような気がした。
「似合うな。」
「私、【初恋】が叶った女なので。」
鏡の中のジェラルド様が軽く目を見開き、ふっと口角を上げる。
イヤリングを私の手のひらに置いて、「これは買おう」と言ってくれた。プレゼントしてくれるらしい。嬉しい。
「俺は――そうだな、あれにする。」
指した先にあったのは金木犀のピンブローチだ。
いったん侯爵家のブローチを外して、ジェラルド様はピンブローチを胸元にあててこちらを向いた。私は微笑んで頷く。
「よくお似合いです。」
「俺は【真実の愛】を知る男だからな」
「ふふふ」
ちょっと我儘を言って、ジェラルド様のピンブローチは私が支払わせてもらった。
私の稼ぎを知らない彼は眉間に皺を寄せて遠慮したけど、「だってジェラルド様は私のだから」と主張してみたら大人しくなったのだ。
なぜか私の腰を抱き寄せるジェラルド様にぴったりくっつかれながら、支払い手続きを済ませた。
店を出てすぐ、ジェラルド様がぱちりと懐中時計を開く。
うん!?私は思わず二度見した。
「こんな時間か。エステル、そろそろ……どうした?」
「……えっと…」
私が懐中時計を凝視していると気付き、ジェラルド様が「ああ、これか」と蓋の裏を見せてくれる。
魔力筆によって守護の魔法陣が書き込まれていた。
ものすごく、かなり、大変に、見覚えがある。
「ふっ…これはヴァイオレット女史自らが守護を刻んだ一点物なんだ。」
私の肩を抱き、ジェラルド様が自慢気に語りだした。
知ってます……。
「オークションに出品されていたから全力で競り落とした。」
譲られたとかではなくジェラルド様が落札したの!?
し、指定が「守護」なんて曖昧だったから、とりあえずで色んな効果をつけたせいで、スタート価格から異常に高額だったという、あれを……!?
「この大きさの魔法陣にこれだけの効果を入れ、なお不和や崩壊を引き起こさず安定しているんだ。そしてこの流れるような曲線、文字列と記号の調和……はあ。至高の芸術作品だ……」
「………す、すごい、ですね。」
「わかってくれるか。この魔法陣の美しさと綴られたサインを見る度に力を貰っている。女神の加護を受けているかのような心強さもあり」
「あの、私もですね!」
放っておくとヴァイオレット賛美が続いてしまう。
私は急いで遮った。
「何かあると怖いので持ち歩いてないのですが、実はアレク様直筆の守護のペンダントを持っておりまして!」
「そ、そうか。」
「私も全力で競り落としたのです、帰ったらお見せしますね。手書きとは思えない正確な線、無駄なスペースが一切ない美しき構成配置…ああ、何をどうしたらあのように完成された魔法陣が書けるのでしょう。オークション会場では米粒よりも小さい距離でとても見えませんでしたが、初めて手元で見た時の感動といったら……私、あの日は思わず感謝の涙を流しました。アレク様と同じ時代に生まれた奇跡……」
「………すごいな。」
「わかってくださいますか。私、アレク様直筆の一品を持っているという事実を励みにしてこれまで」
「エステル」
「はい。」
大人しくジェラルド様を見上げると、それがわかってたみたいに自然な動きで唇を重ねられた。
道端からきゃーっと声が上がる。
「帰ろうか。そろそろ限界だ」
音を立てて頬に口付けられ、どういった意味の限界かを察した私は「羞恥で人は死ねる」と思った。
― ― ― ― ― ―
ジェラルド様と結婚指輪を見に行った。
欲しいと思った事は無く、言われるまで
すっかり忘れていた程だったが、
いざ彼が選んだデザインの完成画を見ると
早くお揃いでつけたいと思うのだから不思議だ。
銀木犀のイヤリングを買ってもらい、
金木犀のピンブローチを贈った。
真実、私を愛してくれているジェラルド様。
良い香りがするところも彼にぴったりだと思う。
色恋など無縁で魔法陣の事ばかりだったのに、
研究を続けられればそれで良かったのに、
今はもう、彼が名を呼んでくれるだけで嬉しい。
追記:
私はジェラルド様のものだし、
ジェラルド様は私のものだが、
普段それを口にしないよう気を付けること。
最中に言われたり、言わされるのは、
何だかとても恥ずかしかった。
次こそきっと死んでしまうので、
本当に気を付けること。
ジェラルド様が
(早く忘れ に訂正線が引かれている)
ああいうのはたまに…
時々、くらいにしてくれますように。




