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【完結】悪女日誌 ※電子書籍1~2巻 配信中&コミカライズ企画中  作者: 鉤咲蓮
一章 侯爵様と稀代の悪女

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10.妻にした女性は悪女ではなかった(ジェラルド視点)



 オブラン子爵家の調査報告が届いた。

 事実は単純明快で、男好きのアレット・オブランが姉であるエステルの名を騙って遊び歩いていたのだ。報告書には以前仕えていたという使用人の証言も含まれている。

 十年前、夫人を亡くした子爵はエステルにこう言った。


『アレットは幼くして母を亡くした可哀想な子だ』


 妹は当時五歳。確かに幼いが、エステルだってまだ八歳だった。

 子爵は事あるごとにその言葉を持ち出してエステルに言い聞かせていたらしい。


『身の回りの事は自分でできるだろう?お前の侍女もアレットにつけよう』

『はい、お父様』

『自室以外で魔法の話をするな。アレットが聞いたらどんな気持ちになるか』

『わかりました』

『お前が招待された茶会はアレットに参加させよう。お前ではどうせ盛り上がらんだろう』

『仰る通りに』

『ドレスや装飾品はアレットを優先する。お前は自分の金で買えばいいしな』

『畏まりました』

『アレットの誕生日会だが、お前は絶対に出てくるんじゃないぞ』

『承知しております』


 子爵はアレットがエステルの名を騙っている事を知っていたし、性に奔放な娘を止めようともしなかったし、エステルから金を貰っていたくせに、そのまま汚名を着せて送り出した。

 妹だけを愛する父親というわけか。

 調査員は実情に憤っていたが、俺は…


『ええ、悪女ですから。』


 怯えるでもなく、怒るでもなく、妙にキリッとした表情の彼女を思い出して。

 あまり…「冷遇を耐え続けた不憫な娘」…という雰囲気ではないな、とも思った。リディ達への反応もそうだったが、なんというか、彼女はちょっと感覚がズレている。自力で稼いだという件については、魔法陣作成の内職だろう。

 短期調査のため販売ルートや総額などは出ていないが、あの知識量と庭で見た実力ならそれなりに稼げたはずだ。


 …などと考えながら帰宅したところ、使用人達に泣きつかれた。

 エステルが図書室に籠って食事もとらないらしい。何をしているんだ。


 簡単には開錠できなさそうだったので窓から侵入したが、扉には予想以上に堅牢な施錠魔法陣が描かれていた。

 というか、君は魔力筆まで持っていたのか。一時的な物だし、研究者でもない彼女はサインを書き込んでいないようだ。

 せめてあと三時間とほざくエステルを抱え上げて問答無用で連れ出し、別棟で待たせていたリディに引き渡した。…死刑宣告を受けた罪人のような顔をするんじゃない。ただの飯と風呂だろうが。



 数時間後、案の定図書室への侵入を試みたエステルを捕縛した。


 俺を見た瞬間に笑顔が固まって方向転換していたが、たかが移動用の飛行魔法陣が俺の使う空中戦用の飛行魔法陣に敵うわけはない。教えてやると目を輝かせていた。さすがに軍用魔法陣を見た事はないのだろう。


「そろそろ放して頂けませんか?ちゃんと歩けますから」

 肩に担ぐのは躊躇われたので横抱きにして運んでいたが、降りたいというアピールなのか、エステルは片手をひょこひょこ動かしながら上目遣いに俺を見ていた。思った以上に顔が近い。

 …エステルは恥じらいも拒否も喜色もなく、ただ催促の目をしている。妙に納得がいかず眉根を寄せると、彼女はアピールをやめて大人しくなった。


 少し話そうと応接室に連れていき――明らかに「魔法陣の話ができる」という顔をしていた――クレマンに飲み物を用意させて着席した。

 改めて真正面から彼女を眺めると、真新しい服を着ている事に気付く。俺がリディに「適当に買ってやれ」と言ったものだろう。


「服はそれで問題なかったか?ひとまず既製品の用意になってしまったが」

「ふく?……あ、そういえば新しいですね。色が違う気がするとは思っていました。」

 無頓着か。

 余計な世話だったかとも考えたが、礼を言われたのでこれで良かったのだろう。

 魔法陣の話をしようと浮き立つ彼女を遮り、本題をハッキリさせておく。


「君がなぜ悪女と呼ばれるに至ったかを聞いておきたい。」

「…………私も、詳しくは存じないのですよ。好きに生きていたら、いつの間にか呼ばれていたといいますか。」

「思い当たる節は無いと?」

「そう、ですね…まぁダンショーとのお付き合いですとか、宝石を買っ」

「君はここへ来てから一度も宝石を身につけていないが。」

 指摘すると、エステルは視線を泳がせて「気分ではなかったので」と小さな声で言った。粘るつもりらしいが、こうして改めて聞くと彼女の言う「男娼」の発音は若干間違っている。


 俺は辞書を渡してやった。

 エステルはこちらを気にしながら辞書をめくり、あるページで眉間に皺を寄せて凝視し、目を見開き、青ざめ、赤くなり、白くなって言葉を失った。


「どうした、顔色が悪いな。」

「いいいえ?っあの、辞書、ありがとうございました。」

「ああ。それで、君はかつてどこの男娼を買ったのだろうか?」

「………。」

 先程まであんなに堂々と言っていたくせに、エステルは何と返せばいいかわからないようだ。つまり、買った事などない。

 拙い嘘だったなと、つい意地悪な気になって口角が上がった。悪評は妹のアレットの物であろうと推測を口にすると、緑色の瞳が頼りなさげに揺らいだ。


「こ、侯爵様…その、私、【悪女】じゃありませんか?」


 膝の上で手を握り締め、俯いたエステルが何か言い出した。そういえば彼女は日頃から悪女を自称していたのだ。


「ダンショーの事はその、嘘をつきましたが…悪女として宝石を買って身につける事はできますし、使用人…リディにひどい事を言ったり、仕事を増やしたり、痛めつけるのだって計画はあったのです。」

「ほう?ひどい事というのは。」

「ダンショーの事ぐらいで騒ぐなと言いました。」

 噴き出しそうになって耐えた。

 「ひどい事」は口調の荒さではないぞ。エステルが不安げにこちらを見るので咳払いで誤魔化し、手振りで続きを促す。


「本館の地図を持ってくるようにと、仕事を増やしましたし」

「ククッ…こほん、痛めつけようとしたのか?」

「リディは冬場に手が荒れる事があるそうなのですが、私、よく効くけどよく染みる軟膏を知っていて」

「ふっ、ふふ…」

「笑っていますか?」

「そんなわけがないだろう。」

 瞬時に真顔を作って否定する。エステルは「ですよね」と呟いて視線を落とした。

 なぜそう落ち込んだ雰囲気になる。悪女だと言われたいのか?


「まぁ、貴女が随分と可愛ら…大人しい【悪女】であった事は認める。」

「本当ですか!?私は悪女ですか」

 悪女呼ばわりでそれほど喜ぶのは君くらいではなかろうか。

 前のめりになったエステルに気圧されつつ、俺は小さく頷いた。エステルがほっとしたように笑う。


「私、悪女を頑張っていたつもりなのです。ギリギリの合格ラインだったのかもしれませんが、知られてしまった以上は開き直り、改善点を伺ってより努力したいと思います。」

「…うん?」

「魔法陣ほどとはいきませんが私、悪女研究を進めて、近々きっと!侯爵様がお求めの悪女になります!ですから離縁は!離縁だけはどうか!!」

「ちょ、ちょっと待て。なぜ離縁になる」

 唐突に離縁と言い出した彼女をなだめ、「お求めの悪女」について聞いてみる。

 彼女はきょとんと首を傾げて言った。


「何と申されましても、私は【稀代の悪女】として嫁いだ身ですから。侯爵様は、妻の位置には悪女と呼ばれるような女性がいてほしいとお思いなのですよね?」

「………、クレマ…」

 クレマンは退室したのでいないんだった。

 何とかしろと言いたかったが。苦い気持ちで部屋を見回し、エステルに視線を戻す。彼女は深く頭を下げた。


「悪女をお求めになられたのに…騙してしまい、申し訳ありませんでした。」

「……いや…貴女が謝る事では……」

「図々しい事とお思いでしょうが、もし、もしできるならば離縁は」

「だから待て、離縁はしない。」

「本当、ですか?【大人しい悪女】でも許され――」

「いったん悪女から離れてくれ。」

 声に力を込めて願い出たが、婚姻の前提条件だったから難しいとにべもなく断られた。

 そう、自業自得だ。なんて馬鹿な求婚をしたんだ、俺は…。

 離縁しないと改めて告げると、エステルはひどく安心したように「よかった」と笑った。


 ……そんなに離縁が嫌なのか。

 俺はもっと、貴女に真摯であるべきなのかもしれない。


「明日、もう一度時間をもらえないか?貴女に俺の事情を話そうと思う。」





 壁際に立つクレマンとリディに「くれぐれも口出しはするな」と言いつけ、俺はエステルに事情を説明した。


 彼女は終始冷静で、他の者と違って俺の言う事に共感できるらしい。しっかりと頷いて相槌を打ってくれるので話しやすかった。

 婚約期間の義務が苦痛だという話には「わかります、時間が勿体ないですよね」と、俺が嫌がる理由を的確に当ててきたので、思わず「そう!」と声を張ってしまう。


「周囲は相変わらず結婚しろとうるさい。だが俺は妻に時間をかけようと思えない……そこで考えた。冷遇しても世間からとやかく言われない相手なら、良いのではないかと。」

「思いきりましたね。」

「今考えると少々ヤケだったのは否めないが、俺が【稀代の悪女】に求婚したのはそういう理由だ。」

「結果として、やってきたのは【大人しい悪女】たる私だったわけですね。」

「貴女が果たして悪女かは置いておいて、そうだ。」

 エステルは納得いかなそうな顔をしていたが、これ以上掘り下げずに結論へ移る。


「俺はつまるところ【悪女】に居てほしいわけではない。侯爵家の資産を非常識に浪費したり、俺の寵愛を受けたいと強引に迫ったり、夜会に連れていけと騒いだり、我が物顔で勝手に茶会を開いたり、つまらない話をだらだらと続ける女でさえなければいい。」

「そのあたり、ちょっと自信があるかもしれません。」

「だろうな。まだほんの一週間程度だが、貴女がだいぶ………研究者気質なのはわかった。」

 普通の令嬢ではない、と言うのも憚られる気がして言い直した。

 つまり離縁の必要がないのだと言えば、エステルがしっかりと頷いてくれる。大方話せた事に安堵し、俺は肩の力を抜いた。


「それにしても……貴女があれほど離縁を嫌がるのは、少し意外だった。」

「そうでしょうか?ここでは良くして頂いてます」

「ほら…先日は、口論めいた事になってしまっただろう。熱くなって悪かった」

「私もつい言葉が止まらず…失礼致しました。私、どうしても侯爵様と離れたくないのです」

「……そうか」

 真剣な顔で言われて少し動揺した。

 俺と離れたくない、などと。そんな事を言う人だったろうか、貴女は…


「でないと、お父様に資料を燃やされてしまうので。」

「ああ、なるほ………、なんだと?」

 動揺が一気に消える。

 エステルは恐ろしいものを思い出すように身を震わせて自分の腕を擦った。


「こちらへ発つ時に言われたのです。離縁されるような事があれば、実家に置いてきた私の研究資料を燃やすと!――えぇ、信じられない所業ですよね?あのスピード婚では到底全て持ち出せませんし、こちらに私の資料を置かせて頂けるか、私物の安全が確保できるかもわかりませんでしたから、残してくる他なく…」

「……つまり貴女が離縁したくないのは、資料可愛さというわけか。」

「はい。」

 こ、この女……なんて真っ直ぐな目で言うんだ。

 全然俺と離れたくないからでは無いじゃないか。


 別に妙な誤解などしていない。

 「紛らわしい事を言うな」と口にすれば敗北感を味わう気がして、物わかりの良い男のように振舞った。


「…なるほどな。」

「それに侯爵様は素晴らしい知識をお持ちです!」

 俺の心境など知らないだろうエステルが、ぱっと目を輝かせて続きを語り出す。新緑のような澄んだ瞳には、俺への信頼と期待が見えた。


「私これまで対面で魔法陣について話せる方、それも意見交換のレベルで相談できる方など全くいなかったものですから……ネコを見て頂いた時も、重力抵抗の意見をくださった時も…本当に嬉しかったんです。」

 実感のこもった声で言う彼女は、確かに価値を感じてくれているのだろう。

 外見も地位も資産も関係なく、俺自身に。


「エステル…」

 ほとんど無意識に名を呟くと、彼女は照れたようにはにかんだ。

 クレマンの方から微かに「ちょろ…」と聞こえた気がするが、気のせいだろう。


「ヴァイオレット…様の事は、私どうしてもアレク様をもっとも敬愛しているので、同じ熱量でとはいかないのですが。」

 すまない、それは俺だ……。

 などとてもじゃないが言えない。エステルの夢を壊さないようにしよう。


「そ、そうか。……俺も、アレク…殿については、似たようなものだ。著書は全て知っているが、どうしても俺にとって、ヴァイオレット女史こそが尊崇に値する人だから…。」

 似たような言葉を返していると、エステルは微笑んで俺に手を差し出した。

 手を支えるようエスコートを望むものではない。「共に」と言わんばかりの、握手を求めるものだ。


「私はもっと侯爵様と魔法陣について話したいです。これは、つまらない話に入りますか?」


 つまらないわけがない。

 自然に口角が上がった事を自覚しながら、俺は彼女の手をしっかり握った。


「君ほどの知識量ならこちらこそ是非と頼みたいくらいだ。これまで本当に、無礼な態度ばかりですまなかった。」


 エステルが頷いてくれる。

 これで俺達は、


「晴れて【お友達】ですね!」


 は?


「お仕事の邪魔はしませんから、もしお時間のある時は忌憚なきご意見を…」

「エステル」

「はい。」

「…書類上とはいえ俺達は結婚している。つまり…友達というより、」

 夫婦……じゃないのか?

 違うのか?


 結婚しているよな、俺は君と。

 悪女という前提が消えた以上は冷遇の話も無くなって、君は魔法陣の話もできる賢さがあって、一般的な婚約者や夫婦におけるやり取りが面倒という合意もあって、俺達なりの夫婦の形を作れるよな、という話ではなかったのか?


 エステルは首を傾げ、大きな瞳でじっとこちらを見つめて待っている。

 今…「夫婦」を求めたら、まさか、嫌がられるのだろうか。

 俺は口を開き、辛うじて言葉を絞り出した。


「…良きパートナー…だろう。」

「その通りですね!」

 俺はつくづく、男として求められていないらしい。

 彼女は俺の妻の座が嬉しいのではない、魔法陣について語れる相手がいて、離縁――父親に資料を燃やされる心配がなくなって、嬉しいだけなのだ。


「侯爵様?」

「……冷遇する前提が消え、貴女は俺の良きパートナーとなったのだから、部屋を本館に移そう。図書室に近い方がいいだろう」

「よろしいのですか!?私は図書室禁止だと…」

「節度を保ち、リディ達の言う事を聞くなら許可する。」

「……善処致します。」

 エステルはそっと目をそらした。

 研究に熱が入ると視野が狭まり人の声も中々届かない、それは俺にも経験があるが。


「それなりに広い部屋を用意するから、実家から大事な物を運んでおけ。もし入りきらなければ、空き部屋を君の資料庫にしてもいい。」

「神様ですか…?」

「人間だ。資料が無事なら離縁するなどと言わないよな?」

「言いません、これほどの厚遇を放り出してどこへ行くというのでしょう!」

 手を離し、俺は疲労感を覚えてついカップに手を伸ばした。

 エステルも一息つきたかったのか、ほとんど同じタイミングで喉を潤す。小さく息をつくことすら同時で、長い付き合いではないのにと心の中で笑った。


 エステル・オブランの名を貶めた妹に、何か思うところはないのか。

 俺はそんな問いを投げてみたのだが、エステルは不思議そうに目を丸くして「特には」と呟いた。


「あの子にも何か考えがあったのでしょう。アレットのする事を予想できたことはありませんが…まぁ、これでも姉妹仲はそう悪くないのですよ。」

「到底信じられないんだが。」

「侯爵様が気になるのであれば、今度手紙でも書いて理由を聞いておきますね。」

「……はぁ。軽いな、君は。」

 まるで他人事だ。

 軽く首を回して「訴えれば勝てるレベルだぞ」と教えるが、エステルは訴えるなら資料を人質にした父親だと言った。それも俺が救出許可を出したから、もういいらしい。

 器が大きいと言うべきか、無頓着と言うべきか。


「ではそろそろ魔法陣の――」

「エステル」

「はい。」

 早く魔法陣の話がしたいのに、と頬に書いている彼女を眺め、俺は先程から気になっていた事を口にした。


「良きパートナーである君は、俺の事を名前で呼ぶべきだと思わないか?」





一章 侯爵様と稀代の悪女 完。


悪女日誌をお読み頂きありがとうございます。

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次回から新婚生活編です。


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