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死体

作者: 知俊

 ある日、ある男は死んだ。死体はまた発見されていない。しかし、男の死を疑う人は誰一人もいなかった。

 この男は、この辺では有名な作家だったらしい。

 去年の春のことである。

 周りの住み人たちは、お知らせでこのような記事があることを気づいたのである。

 そばの人によれば、この男の名前を知る人はいないそうだ。ただ、この男は有名な作家であるらしいから、この男を呼ぶときも、名前なんか呼ばず、ただ「作家さん」と呼んでいたことだけがあるという。

 作家さんは一昨年の秋から、ここに住んでいたようである。トンボが透き通って見える季節でもある。紅葉も、落ちてしまう季節でもある。

 作家さんは、実際作家であるかもはてなをつけるべきである。

 作家さんは、一度も自分が作家であることを言い出さなかったが、他の人たちは、彼の外貌をみて、作家であるだと勝手に決まったのである。

 そして、作家さんもこれに対して反論はしない。

 初めてここに来た時、作家さんは、赤と茶色の鹿撃ち帽を被っている。コートも茶色のもので、シャーロックホームズびる感じをする。しかし、ここにくるシャーロックホームズなんかはいない。ここはとても静かで、人気のない小町にすぎない。事件も起こるわけがない。第一、もしこの人が、シャーロックホームズであれば、こゝに住むことはしないだろう。そもそも、この人の気質は、全然探偵っぽくない。

 作家さんは、濃い、黒い眉、濃い、黒い髭、濃い、黒い髪。だらしがない者である。渓に水を汲む、ともいうときに、ぐびぐびと水と呑む。爪の垢のようなもの、塞いだようにみえる。一般的には、手を洗って、垢を流してから水を飲み始めるはずなのに、彼はその垢に気づかず、まるでなれたようにみえた。とても紳士っぽくはない、どこかの浮浪者のような者でもある。

 しかし、彼も浮浪者のような気質はない。かわいそうではないだからである。

 常に筆をとり、原稿用紙を選び出し、渓の石に座り、何かを書いている様子であった。

 この辺に住んでいるかどうかはしらずとも、毎日来るのが日常である。

 周りに、彼を目撃した人は、柴刈りのおじいさんや、服を濯ぐおばあさんなどの人が、いつも彼の姿を見えた。ささ、ささ、と水の流れる音。

 作家さんは礼儀正しく、会う人に頷き、そして自分の仕事に専念する。

 でも、毎回、作家さんは変わらないように、いつも同じ服を着、同じところで、同じ垢が、まだ残っている。

 溪に作家さんがいても、奇怪な感覚がない。もしや、作家さんのいるこの渓が、渓本来の姿である。

 そんな作家さんは、去年の春を初めに、姿が消えたのである。

 いつものようなことだった。

 柴刈りのおじいさんが、同じ時に、同じ谷の口にきて、期待していた作家さんの姿がいなかった。いるはずの作家さんの姿が、ない。

 おかしいなぁと思っても、おじいさんは自分の仕事もあるから、放っておいていた。渓流を逆らって山奥へ行く。

 服を濯ぐおばあさんも、同じ時に、同じ谷の口にきて、期待していた作家さんの姿がいなかった。いるはずの作家さんの姿が、ない。

 おかしいなぁと思っても、おばあさんは自分のこともあるから、放っておいていた。服の垢は渓流に持たれて遠くへ行く。

 二日後、三日後、七日後も同じく、彼の姿がない。

 ある日、おじいさんとおばあさんが会った。死んだかもしれないだと、もしくは、もう小説を完成したかもしれないから、ここに来なくなるのではないだろうかも、いろいろ推測をした。

 おじいさんも、おばあさんも、彼を探る理由がない。毎日一面の縁があり、よく知るというわけでもない。友達でもないし、第一、探していたら、もしあの人が無事であるのなら、どうにも行かないであろう。よって、誰も彼も、これを忘れることにしたのである。

 あさげなく流れ込む渓は、時間を語る。

 しかし、今まで作家さんも現れていないのは、作家さんが確かに死んだという証であろう。

 石の上には、彼の痕跡がない。落ちる紅葉の今、おじいさんとおばあさんは、どこかで発表されている小説を期待している。

 もしや、彼も本当に死んだかもしれない。

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