羽化
私たちは大人になったら羽が生える。きれいな鱗粉が付いた羽、透明な羽、鳥のような羽。羽が生えたら大人の証、大空へと旅立ち世界を自由に動くことができる。
どんな羽が生えるのか、生えてみないとわからない。一番きれいなのは鱗粉がついたまるで絵画のような羽。どんな形なのかもどんな模様になるのかも生えてみないとわからない。
皆鱗粉がついた羽に憧れる。女の子は鱗粉の羽、男の子は透明な羽になる事が多い。もうすぐ羽が生えそうな子は背中が少し盛り上がっている。私は全然盛り上がっていないからまだまだ先みたい。
遠くにチネ達が見える。前はよく話していたんだけど、チネはどんどん体が大きくなって大人びてきた。私は小さいまま。そうしたらチネはあまり私とお話しなくなって、他の女の子たちと仲良くなった。羽が生えるのを心待ちにしている子たち。綺麗な羽に憧れている女の子たちの集まりだ。
大人びたことをすれば早く大人になれると言う噂が昔からある。皆お化粧したり、髪型を変えたり、男の子と仲良くなったり。本当にああいうことをやっていれば大人になれるんだろうか。私にはわからない。
チネが私を見て、他の子と何やら話すとくすくす笑っている。たぶんいつまでも小さくて子供のままなのがおかしいのだろう。確かに私は他の子よりも成長が遅い気がする。
でも、待っていればそのうち羽が生える。羽が生えない子はいない。いつかちゃんと大人になる。早いか遅いかだけだ。ぼんやりと空を眺めていた。今日は「鳥」が飛んでいる。
「サガ」
声の方を振り返るとイルクがいた。年上の男の子で透明で大きな羽が生えている。まるで花びらのようにひらひらした、透き通ってきれいな羽。
「サガはどんな羽が生えると良いなと思う?」
優しく聞いて来るイルク。私は少し考えて。
「何でもいい」
「綺麗な羽がいいなって思わない?」
「羽は羽でしょ。空を飛ぶためのものなのに、綺麗とか汚いとか関係ないよ。大きいと飛びやすい?」
「いや、大きさは関係ないかな」
「じゃあやっぱり何でもいい」
正直にそう言うとイルクはそうか、と言った。そういえば、こういう話をしてチネは離れていったんだった。つまんないの、って言ってたっけ。そっか、私はつまらないのか。
「イルクー」
遠くからチネたちが駆けよって来た。イルクはかっこいいから女の子たちから人気だ。あっという間に囲まれてしまう。
「イルク、私もうすぐ羽が生えそうなの! 見て、背中が昨日より盛り上がってるでしょ」
「私ももうすぐ! きっと綺麗な羽が生えるよ!」
きゃあきゃあと盛り上がるチネ達。興味がなくなったので私はその場を離れた。たぶんチネ達は私の姿など目に入ってない。
みんな羽が生えそうなんだ、そっか。私もチネ達と同じくらいの時期に生まれたはずなのに、私だけ遅いんだなあ。空を見上げながらそう思っているとイルクが追って来た。
「サガ、話の途中なのにいなくならないでよ」
「途中だったの? 終わったと思った」
「あっさりしてるなあ」
そんな会話をしていると後ろからついてきたチネたちが睨んでくる。イルクと話したいのに、私が話しているのが気に入らないようだ。
「ねえイルク。前から気になってたんだけど、なんでサガと一緒に居る事多いの? 羽が生えそうな気配全然しないし、小さいし、つまらないじゃないそんな子」
小さいのは別に関係ないと思うけどな。
「妹みたいで可愛いから。幼い見た目なのに言う事は大人びてて、ちぐはぐな所が好きだな」
イルクの口から「可愛い」「好き」という言葉が出てますますチネたちの顔が怖くなる。普通にしていれば可愛いのに、そういう顔してるともったいない。
「羽も生えそうにないハンパものが好きなの? イルクって変わってるね」
は、と鼻で笑うチネ。昔はもっと可愛い笑顔だったのにいつからそんな顔するようになっちゃったんだろう。今のチネは可愛くない。
「サガの事は好きだって言ってるのにサガを馬鹿にするのやめてくれ。僕がサガと仲良くするの君たちに何か関係ある?」
いつも優しいイルクの、珍しくとげとげしい言い方にちょっと女の子たちは驚いたようだった。チネだけは私をギっと睨みつける。なんだか空気が悪くなった時、チネが「あ!」と言って体が大きく震えた。
「背中が痛い! これ、羽が生えるってことだよね!」
痛がりながらも嬉しそうに言うチネ。他の女の子たちも頑張れと応援し始める。ボコ、と背中が盛り上がり、皮を突き破って大きな羽が生えた。
少し血がついているけどその羽はきらきらと輝いていて、七色に光っている。今まで見たことがない羽だ。皆呆気に取られていたが凄い凄いと女の子たちが騒ぎ始めた。チネは痛さをこらえていたようだけど落ち着いたのか、汗を拭って立ち上がる。その顔は今まで以上に自信に満ち溢れていた。
「すごい、綺麗でしょイルク。私は他の子とは違うよ」
「飛べる?」
「もちろん!」
チネは嬉しそうに羽ばたいて見せた。初めて飛ぶとは思えない見事な飛び方だ。いいなあ、空飛べて。そう思っているとイルクが私を抱っこした。
「行こうか」
「行っちゃうの」
「見てたいの?」
「空飛べていいなあって思って」
「サガだっていつか絶対飛べるし、空飛ぶところ見たいならいくらでも僕やイハ達が見せてあげるから」
「ふうん」
飛べるかどうか聞いたのはイルクなのに。イルクはチネ達の事あまり好きではないみたいだから、さっきのは遠ざけるための言葉だったみたい。正直にそう言うとイルクは困った顔で「ばれた?」と笑った。
私は自分で歩くからと言ってイルクから降りた。後ろから、きゃあ、と聞こえた気がして振り返ろうとしたけどイルクが私の手を握って歩き続ける。
「今何か聞こえなかった」
「チネが一回転でもしたんじゃないかな」
「そっか」
「今日は鳥どもがうるさいな」
空を見ながらイハがつぶやくと、イルクが笑う。
「極上の獲物がいたからね」
「誰か羽化したの?」
「ああ、なんか女が一匹馬鹿みたいに派手な羽が生えてた。調子に乗って空飛んでたし悲鳴あげてたから鳥どもに見つかったんだろ」
「鳥」は色鮮やかなモノに反応する。透明な羽をもつ者こそが種の保存に適した優秀な個体だ。ある程度願望が羽に現れるので派手な羽を願えば鮮やかな羽となる。
そういう者がいてくれるおかげで、外敵に狙われにくく身を護る事ができる。適度に餌があると鳥はむやみに襲い掛かってこない。
「透明な羽が生える女って少ないよな。何で女ってギラギラしたもの好きなんだろう、馬鹿みたい」
「まあそういうのは鳥どもに狙われやすいからいいんじゃないか。お前のお気に入りの子はもう羽生えてるじゃないか」
「そうだけど。少し言葉を慎みなよ、いずれ僕らがお仕えする御方だよ」
「本当? イルクが言うなら間違いないな。粗相のないようにしないと」
「今はもう少しお兄ちゃん気分を味わいたいけど。すでに軽くあしらわれてる気がするんだよね、寂しいな」
大人とは、お洒落をして体型に丸みを帯びて色目を使うことではない。心が大人になる事だ。体が子供のままな場合は成長に必要な力をすべて羽に注いでいるから。一定の年齢になっても見た目が幼ければ幼いほど素晴らしい事なのだ。
透明な羽の者は「完全変態」、彼女達の羽化はただの「変身」だ。成長過程でそれが決まる。背中が盛り上がる者は完全変態個体へとなれなかった、出来損ない共。同じ存在と考えているだけでおこがましい。
サガの羽はイルクが両手を広げても届かないくらい大きい。透明すぎて本人は気づいていないのがまた可愛い。いずれこの里を取りまとめる長となる。これほどの逸材は数十年に一度だと他の大人たちも喜んでいる。
もう少し。今は三枚目の羽が生えてきているので、もう一枚羽が生えたらきっと大人になり、羽の存在も気づくだろう。
すやすやと寝息を立てて昼寝をするサガの頭を撫でながら、空で複数の鳥についばまれている七色の「虫」を見てイルクは小さく笑った。
END