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第15話 複雑すぎるお国事情

「そう言えば、西園寺。この機会に神前に自分の生まれた国を紹介してやったらどうだ?神前は社会知識ゼロだからな……」


 突然、カウラが真顔でそう言った。下戸の彼女の白い頬が朱に染まっているので、それなりに酔ったうえでの言葉なのだと誠にも分かる。


「そうよね……誠ちゃんは本当に社会常識ゼロの理系馬鹿だもんね」


 アメリアまでそう言って笑うので誠は頭を掻くしかなかった。


「なんでアタシがあんな国の話をしなきゃなんねえんだよ……それにその前にだ。アタシの名前について話した方がいいだろ?色々面倒だから」


「さすが、『大公殿下』ってわけね」


 そう言って空いたグラスにギャルソンがワインを注ぐのを眺めているアメリアは悪戯っぽい顔でかなめを見つめた。


「名前ですか?西園寺さんて芸名なんですか?」


 誠はかなめの言葉が理解できずに頓珍漢な話をした。


「なんで芸名を名乗るんだ?アタシはいつからアメリアみたいな女芸人になったんだ?」


「アタシのは『ラジオネーム』よ!」


「自慢になるか!」


 二人のやり取りに誠はただ茫然とするばかりだった。


「まずだ。アタシの東和共和国での書類上の名前は『西園寺かなめ』。ちゃんと普通に一般的な漢字の『西園寺』にひらがなで『かなめ』なわけだ」


「はあ、知ってます」


 かなめの当たり前すぎる説明に誠はおずおずとそう答えた。


「だが、甲武国のパスポートには『藤原朝臣要子ふじわらのあそんようし』となるわけだ。藤原は東和でもよくある『藤原』で、そのあとに『の』がついて、名前が重要の『要』に子供の『子』で『ようし』と読むわけだ」


「はあ……なんでなんです?」


 誠にはかなめの言葉が全く理解できなかった。


「そんなもん法律でそう決まってんだからしょうがねえだろ?」


 理解力の無い誠に半分呆れながらかなめはそう言ってワインを一息で飲み干した。


「さらにだ。アタシを知らない人がその名前で呼ぶのは法律違反なんだな、甲武国では」


「え?」


 さらに誠の理解のリミッターに亀裂が入り始めた。


「知り合いなら別にいいんだ。でも……学校とかでは『藤太姫(とうたのひめ)』と呼ぶ決まりなんだ」


「なんですか?それ?」


 だんだん誠は訳が分からなくなってきた。


「あれでしょ?甲武国の貴族の半数以上は姓が『藤原』なのよ。その中の一番の人物が『藤太』で、かなめちゃんは女だから『姫』……結婚すると『殿』になるんだっけ?」


 アメリアはどうやらかなめのその名前の法則を理解しているようでそうサラリと言ってのける。


「まあな、つーかめんどくさいからアタシが『姫』と呼ばせてたから……甲武でアタシの周りで『姫』と言ったらアタシのこと……他の場所は知らねえけど、アタシの前ではそう呼ぶルールなの」


 またもや誠には理解不能なルールがかなめから発せられた。


「しかし、軍では違うんだろ?」


 カウラがそう言うということは東和でも甲武国について知っている人にとっては常識のことらしいと誠は感じて少し恥ずかしくなった。


「そうだな。軍は武家(ぶけ)の勢力下だかんな……」


「武家?……もしかして『サムライ』ですか?」


 誠はまたもや子供のような言葉を吐いていた。


「あのなあ……甲武国は『大正ロマンあふれる国』とか東和で笑われてるだろ?大正時代って言ったら……華族がいて、士族がいて、平民がいる。それが大正時代。士族は役人や軍人や警察官に優先的になれる。平民は大根飯を食って飢えてる。それが大正ロマンの真実だ」


 かなめはズバリそう言い切った。


「あの……今でも甲武国の平民は『大根飯』とか言うものを食ってるんですか……っていうか『大根飯』ってどんな料理ですか?」


 誠の言葉に三人の女上司は大きなため息をついた。


「甲武国はね、身分制度があるのよ……まあ、ゲルパルトも『バロン』とか『ロード』とか『ナイト』とかあって、苗字に『フォン』とかつけてる人はいるけど……甲武国ほど露骨じゃないわね」


 とりあえず誠が理解したことは自分が庶民的な東和共和国に生まれてよかったということだけだった。


 会話が途切れるとウェイターが前菜のサラダを運んで来た。


 誠は初めての体験にただ茫然とその見事に皿を並べていく様を眺めていた。


「だが、貴様の家の複雑さに比べたら大したことはない」


 サラダにフォークを伸ばしながらカウラはそう言ってかなめを見つめた。


「なんだよ……アタシの家は……確かに複雑だな……特に叔父貴がらみが」


 口調はがらっぱちだが、かなめのフォークさばきは手慣れたものだった。


「そう言えば……隊長は苗字が『嵯峨』ですけど……西園寺さんの叔父さんなんですよね?西園寺さんの弟……それがなんで苗字が違うんですか?」


 フォークに慣れずにそのまま皿を手に持ってサラダを食べ始めた誠にアメリアやカウラが明らかに呆れた表情を浮かべる。


「まず言っとくと、叔父貴は爺さんの義理の息子なんだ……なんでも、おふくろの家の親戚とかで……十三歳の時にうちに来たらしい。そん時の名前が『西園寺新三郎さいおんじしんざぶろう』って言うの。アタシの親父とその兄貴の次で三男だから『新三郎』」


 そこまで言うとかなめはまた慣れた様子でワインを口に含んだ。


「でも、隊長が僕の家に出入りするようになった時には『嵯峨惟基』って名乗ってたって母さんが言ってましたよ?」


 誠はサラダを口に頬張りながら下品にそう言った。明らかに三人の女性上司が呆れているのは分かったが、他に食べ方を知らなかったので仕方がなかった。


「うちは、『殿上貴族』のトップなんだよ!貴族の家が断絶になると、うちにその家の家格(かかく)がうちの預かりになるわけ!」


 物わかりの悪い誠を非難する調子でかなめが叫んでくる。


「お家断絶……なんか江戸時代みたいですね」


「まあ、甲武国は『大正ロマンあふれる国』だから」


 アメリアがわけのわからないフォローを入れてくるが誠は完全に無視した。


「でだ。『嵯峨』の家は甲武の公爵家で特別な家の『四大公家』なんだけど、ずっと絶家になってたわけだ。爺さんが戦争好きな他の貴族連中への当てつけで叔父貴を当主に据えて再興させたわけ。だから、そん時に苗字が『嵯峨』になったわけだよ」


 かなめは相変わらず上から目線で社会常識のない誠に向けてそう言った。


「でも……名前は?新三郎じゃないですよ、隊長」


 苗字のことは理解できても名前がなぜ変わるかは誠には理解できなかった。


「あのなあ……甲武の上流士族以上は『幼名』って制度があんの!叔父貴は十三歳でうちに来た上に嫡流じゃねえから幼名で『新三郎』って名乗ったわけ!『九郎判官義経くろうほうがんよしつね』とか知らねえか?」


「知りません」


 かなめの常識は誠にとっては完全にカルトクイズクラスのモノだった。


「だから……叔父貴はその規則で言うとだ『悪三郎内府惟基あくざぶろうないふこれもと』って呼ぶの!新聞とかではそっちで出てくるの!」


「え?甲武国の新聞ってそんな珍妙な呼び方するんですか!」


 誠は確信した。自分は甲武国には住むことができないだろうと。


「まあ……かなめちゃんの『読める』新聞は誠ちゃんには絶対に読めないから大丈夫よ」


「僕の読める新聞……甲武も日本語通じるんじゃないですか?」


 またアメリアが妙なことを言うが無視しようとしたが、誠はその言い回しが気になってアメリアの方に目を向けてそう言った。


「だって……かなめちゃんは活字が読めないもの」


「え?活字が読めない?」


 誠はあまりに意外な言葉に呆然とした。そしてそのまま視線をかなめに向ける。


「活字なんてのは明治時代に学のねえ連中が考え出した下賤な文字なの!そんなの殿上貴族は読んじゃいけねえの!ちゃんと『道風流(とうふうりゅう)』とか『定家流(ていかりゅう)』で書け!」


 かなめはそう叫ぶとたれ目で誠をにらみつけた。


「でも……活字が読めないと困りません?」


 おどおどと誠はかなめにそう尋ねる。


「そんなもん、アタシ専属の国文学者の書家が書き起こすから問題ねえ!それにアタシは頭が電脳化してるからすべて音声データで理解できんの!活字を読む必要なんてねえの!」


 もはやここまで行くと暴論である。


「でも……困りません?町で看板を見たときとか」


「そんなもん、アタシの脳はネットに直結してんだよ。自動的に音声変換されて頭に響くわな……要は読むのが面倒なんだ」


「本当に勝手ね」


 かなめと言うサイボーグの奇妙な電脳の構造に呆れながら誠は呆然としていた。サラダを口に運ぶ誠達に向けてボーイが今日のメインディッシュを持ってきた。


「それでは、クロダイのソテーになります」


 ボーイが運んで来た皿を眺めながら誠はなんでこんなに少なく盛るのか理解に苦しみながらその魚の切り身を眺めていた。


「そう言えば……野球の練習っていつやるんですか?」


 誠の問いは自分ではもっともな話と思っていたが三人の女性上司にとってはあまりに間抜けな話のようだった。


「あのなあ……アタシ等は楽しみで野球をやってるの。この夏の暑い中練習してどうすんだ?熱中症になるぞ」


 相変わらずの見事なフォークさばきを見せながらかなめはそう言って誠をにらみつけた。


「あれよ、九月になったら後期リーグが始まるから。……そうねえ……月末になったら考えましょうよ」


「そうだな」


 アメリアとカウラもまたそれなりに手慣れた手つきで料理を口に運んだ。

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