5話
ある扉の前で美夜古は足をぴたりと止めた。周囲は暗く俺の視界の中で彼女は何か壁を探っているように見える。辺りに何があるのかも、今何に囲まれているのかも知ろうとは思わなかった。
「当主。衣笠大を連れてきしました。」
光が視界に差し込んでくる。美夜古に手を引かれ、俺は斬院のいる部屋に入っていった。
西洋の美術館の建築様式を匂わせる雰囲気、天井には謎の彫刻。
正面から横並びに配置してある本棚。
印象は完全に日本の図書館に西洋文化を取り入れたような部屋だ。
進んでいくと少し開けた空間になり古びたソファーが左右に一つずつ横に並んで、その間にある空間の奥の椅子に斬院はいた。
美夜古は右に、俺は左のソファーに腰かけた。
「君を拾って、救って、食わせて。かれこれ5カ月、早いものです。
我々も懐が寂しいというのに。」
斬院は窓を向いていた椅子をくるっと回してこちらを向いた。
「出て行けって言いたそうだな。」
「誤解ですよ。体調はいかがですか?」
「悪くない。体を動かすのにも慣れてきた。
あんたらのお陰だ。」
「そのようですね。だがそれは今のうちだけです。」
「どういう意味だ?」
斬院は美夜古の方を向いた。
美夜古は笑って頷き、こちらを向いて指をぱちんと鳴らした。不意に俺の全身の力が抜ける感覚があった。お得意の手品で精神マッサージでもされたのかとも思ったが違った。
俺はソファーに右向きで倒れていた。
「寝心地はどうですか?」
さっきの嫌がらせもあり俺の苛立ちは限界に達していた。起き上がってこの女に仕返しをする。そう決めた。そして起き上がろうとした時に気が付く。半身の感覚がなかった。
「わかりましたか。それが今の君の体の状態です。」
「さぁ、起き上がってください。ダルマのように」
美夜古は俺をさらに煽る。俺はその煽りに完全に乗せられていた。
遊ばれているという許せない事実。
言う事を聞かない身体。
自由に動かせない身体に焦りが生じて汗が止まらなくなった。
「それが、5年前と今の君の明確な違いです。
時間をかけて君の体は確かにある程度元に戻しました。
だがその半身、具体的に言うとその右腕と右足。
そこだけは美夜古君の力なくして動かすことはできない。」
「どういうことだ?」
「斬院、それ以上話しても無駄です。
今、衣笠大は魔法が大嫌いなんです。
子どものように嫌いになったものから逃げるために、殻に閉じこもってる。
そうですよね?衣笠大」
美夜古は俺の心理を読み取るようにして煽ってきた。
大体の想像はついた。つまり…。
「はっきり言ってあげます。
あなたは今、あなたが大嫌いな魔法で”私に”動かしてもらってるんですよ」
堪忍袋の緒が切れる。ここまで馬鹿にされて、何もできない自分を呪う。
全身に力を入れようとするほど披露し、体力が消耗するのを感じる。
すり減る意識の中、見え始めていた。
5年前に見えていたもの。目が覚めて見えなくなっていたもの。
意識が飛ぶ、思考が飛ぶ、精神が飛んだ。
表現に語弊があるかもしれないが感覚的にはそうとしか思えない。
だからその後の事はよく覚えていない。
だがどうやら俺の体は動いてくれたようだった。
膝蹴りを彼女に食らわせかけたように思えたが、斬院に止められたのだろうか。腹部が痛…む。