10話
バスの停止ボタンを美夜古が押す。ポーンという音が車内に響く。バスはゆっくりと停車し、俺と美夜古は料金を払って下車する。車内にいた乗客も数名同じ場所で下車してきた。
下車した乗客の一人である老婆がつまずき、手にもっていた財布を落とす。杖を突き、腰も良くなさそうな老婆は慌てて財布を取ろうとする。俺は心配になってその財布に手を伸ばし、老婆に渡そうとする。
「ぐっあ…!?」
後ろから服の襟を捕まれ、引っ張られる。後ろを振り向くと服をつかんでいたのは美夜古だった。美夜古は来いと言わんばかりに顔で意思表示すると先に行ってしまう。老婆の方を振り返ると別の乗客が財布を拾っているのを見て俺は安堵した。
「おい、なんで止めた?」
「あれは魔法使いの見習いです」
「まさか、ただの婆さんだったろ」
「あの老婆の落とした財布。あれは間接的に魂を見る道具です。」
「だから何なんだ!?」
「あの手合いは見た魂を残さず喰らう、ただの人殺しですよ」
老婆は財布を渡してくれた少女と喫茶店にいた。老婆は少女に礼をしたいと店に招き、少女はその誘いに乗った。少女は純粋だった。優しい子だった。年齢は恐らく16歳。これから華やかな学生生活を謳歌する血気盛んで、魅力的な女学生。これからどのような人生を歩み、どのように社会で活躍するのか、老婆は少女から夢を聞く、人生を聞く。
「お嬢ちゃん、ありがとうねぇ。老婆の暇つぶしに付き合わせて。」
「いえいえ、私もおばあちゃんと話せて楽しかったですよ!」
「最後にお礼をしてあげましょう。手を出してもらえる?」
「こうですか?」
少女は右手を伸ばす。老婆はその手を優しく両手で包みこむ。
「ありがとうねぇ」
その瞬間、店内に流れていた安寧を運ぶジャズの音が歪んだ。少女にとってはたったの数秒の出来事、老婆にとっては欲望が満たされた出来事。少女が胸に抱いていた希望や夢は陰り無く白く輝く。そこに黒い黒点が垂らされた。白は黒を受け入れた。黒は白に滲む。白は黒を知った。黒は白を飲み込んだ。