第18話 生と死の狭間で
これが俺の最後か……。
間断なく押し寄せる苦痛。
そして赤毛に玩具として甚振られる、口惜しさと恐怖。
そんなものが綯交ぜとなって負の連鎖を起こし、俺の中の希望を根こそぎ奪っていく。
これが死?
これでお終い?
そう思うと自然と走馬灯が浮かんできた……。
やんちゃと生意気の塊だった子供時代。
中二病を発症し、自分なら何でもできると自分が最強だと信じてやまなかった思春期。
あの頃は本当に無茶ばかりやった。
片っ端から新しい習い事をやったり、隔週で部活を変えたり、道場破りみたいな事もしたな。
そうそう、暴走族があんまりにも五月蠅いんで、奴らの集会に無理やり乱入して静かにさせた事もあったけ……。
うん、あれは楽しかった。
俺にできない事はなかったし、先輩面して貶してきた奴等をすぐに成長して見返してやった。
初心者の頃は勝って負けてを繰り返し笑われても、上達すれば必ず最後は俺が頂点に立っていたんだ。
どんなものでも、どんな奴が相手でも!
毎日が本当に楽しくて、きらきら輝いていた。
あんな日々がずっと続くんじゃないかって、当時の阿保な俺は本気で信じていた……。
変わったのは、いや、強制的に現実に向き合わされたのは就職してからだ。
俺もさすがに誰から構わず喧嘩を売る狂犬じゃない。
礼節は必要だし、尊敬できる人にはきちんと礼を尽くしてきた。
それに社会人になると、仕事に掛かり切りになった。
とても他にリソースを割ける程の余裕なんかなかった。
自分がいくら進言しても上のいい加減な意見しか採用されず、誰でもできる単調な仕事を押し付けられて……。
ああ、本当、大人になってからは後悔ばかりだ。
いや、ばかりではなく、悔いと未練しかないというべきか。
決まりだからと年功序列を押し付けられ、またそれを受け入れてしまった自分が許せない。
年々増えるしがらみ、そして飼い慣らされていく内に妥協と諦観を覚えた自分が嫌で仕方なかった。
日々体重を増し、腐りきった思考と体に変貌していく自分が醜くおぞましかった。
何より堕落していく自分が大嫌いだった!
それから何故か異世界に転移してしまい、殺伐とした人の生命の軽い世界での生活を強いられた。
だけど、新たな場所でやり直そうと、今度こそ何者にも依らず自分の意志で、自分の思いによって道を決め生きていこうと、やり直そうと誓ったはずなのに!
何故過去のトラウマが甦って、俺を殺そうとするんだ!
この大熊は、確かに死んだはずなのに!
ふざけんなよ!
俺の人生、どんだけ理不尽なんだよ!
過去の亡霊が俺の前に立ち塞がるんじゃねえ!!
そして赤毛もそうだけど、何より許せないのがいる!
他の誰でもない。
一番許せないのが、いい様に甚振られ嬲り殺しにされそうな状況で無抵抗でいる、弱い自分自身だ!!
死ぬにしても、納得できる死に方をしたい。
死ぬ時は前のめりに!
精一杯抵抗し、思いのまま戦って嗤って死にたい!
そうして俺は吠えた!
「ああっ! ああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
心の底から。己の魂を叱咤するように。
今のありったけを!
過去の、そして今の俺を縛る、呪縛の鎖をぶち壊すために!!
すると、どうだろう。
今まで鉛のように重かった体が徐々に動くようになってきた!
動く、動けるんだ!
動けるなら戦える!
この俺をオモチャにしてくれた、憎たらしい熊と戦えるんだ。
振り下ろしてきた腕をすんでの所で躱し、後方に飛び退ると笑った。
嗤ってやった。
「ははっ、はははははははははははははははははは!! それじゃあ、本当の戦いをしようか。赤毛、俺を殺してもかまわないよ。だから俺もお前を殺してもかまわないよなっ!!」
全身から産声を上げるように、黄金の気が後から後から止めどなく湧き出でてくる。
ああ……。
漸く今からスタートをきれる。
俺とお前の命を懸けた戦いのなっ!!
突進する熊を右横に回り込むようにして躱し、除け様に剣を突き立てる。
気で強化されたはずなのに、硬い体毛と筋肉に阻まれ刃が通らない。
「ちっ!」
舌打ちしつつ奴の後ろにいこうとしたが、巨体に似合わない速さで方向転換してくる。
四足歩行の獣は人間などの二足歩行に比べて、重心が低く背骨全体で方向転換がかけられる。
そのため、後ろに回り込もうにも簡単にはいかない。
「ならっ、これならどうだ!」
自分の体に回復魔法を掛けつつ、赤毛には大量の気弾をプレゼントしてやった。
近距離で避けようがないのか、ほぼ全てが大熊の体に当たり気の破壊がまき散らしらされた。
無数の気の爆発によって、只でさえ視界が悪いのに更に見え辛くなってしまった。
そんな思考が油断を招く。
爆発を物ともせず赤毛が体当たりをしてきたのだ!
「えっ!? がはっ!!」
俺の強化した肉体をもってしても僅かでも拮抗が作れなかった。
抵抗らしい抵抗ができず、軽々と吹っ飛ばされてしまったのだ。
そして、熊の追撃はやまない。
何とか起き上がろうと足掻く俺に巨腕を振り下ろしてきた。
それ自体は辛うじて回避できたのだが、その次の腕の攻撃で剣で受けてしまい体が大きくおよいでしまった。
そんな致命的な奴が逃すはずがない!
驚異的な速さで接近され、左肩を鎧の上から噛みつかれてしまったのだ!
「!? あああっ!!」
鎧が音を立て噛み砕かれる。
当然その下の肩も無事では済まない。
痛みで勝手に口から声が漏れる。
だけど、このままやられるわけにはいかない!
奴はちょうど俺に噛み付き、鎧の下の肉を喰らおうとしている。
俺の左肩の傍には、無防備な巨熊の顔がある!
「おいっ、赤毛!! 俺の肉は旨いか? ついでに特別なやつをプレゼントしてやる! 遠慮せずもらっとけっ!!」
激痛に顔を歪めながらも右手の剣を捨て必死に動かし、やつの鼻に指を突っ込んだ。
そして鼻の中に全力の気弾をたらふくくれてやった!
これにはさしもの赤毛といへど、余裕というわけにはいかなかったようだ。
内部で爆発が起こると悲鳴を上げ、口を放し苦しんでいる。
おおっ、さすがに内部からの攻撃は効くようだ。
といっても俺のほうもかなりやばい。
一噛みで鎧ごと左肩を抉られた。
もう左手はまともに動かせないだろう。
だがしかし、ここで止まっているのは愚の骨頂だ。
初めて攻撃が通り、敵が苦しんでいる。
ここで攻勢に出ずに、いつ出るというのだ!
痛む肩に無詠唱の魔法を掛けつつ急いで剣を拾うと、反撃を開始した。
藻掻き暴れる熊の隙を見つけては、武器強化を施した剣で斬って、斬って、斬り付けまくった!
だが……
「一体、そのからだは何でできてるんだ?」
右手のみという事もあるかもしれない。
だけど、今の俺は肉体も武器も気の強化を施してあり、加えて身体能力にいたってはオリンピック選手だって比較にならない程のレベルだ。
それなのに通じない。
あの熊の硬い体毛と筋肉の壁を越えることができないのだ。
ほんとに、こいつは何なんだ?
そもそも異世界にいるのがおかしいのは当然だが、その肉体も明らかに地球にいた時よりはるかに強固になっている。
この熊も異世界転移によってパワーアップしたのか、はたまた誰かが召喚、あるいは操っているのか、どれも定かではないし、その他の可能性だってあるだろう。
だけど、1つだけ、たった1つだけ感謝しなければならない事がある。
こいつは、俺の死のそのもの。
拭い切れぬ恐怖の象徴にして、忘れ得ぬトラウマだ。
だけどこいつは死んで、一生俺はこの負の感情を背負って生きていかなければならない筈だったんだ!
けれど今、何の因果かこいつは現れた。
こんなよくわからない異世界で、新たな強さを手に入れて!
俺の前に現れたんだ!
そのおかげで自分の心と向き合い、乗り越えるチャンスを貰えたわけだ。
お前が例え俺を喰らい、殺そうとも構わない!
だから俺もお前を喰らい、乗り越えてやる!!
剣が効かないだって?
それがどうしたというんだ。
今やつは、俺の攻撃が効いて苦しんでいるじゃないか!
それなら通じる攻撃をすればいいだけだ。
鼻が裂け惨たらしい傷を晒す赤毛の顔目掛けて、気弾を次から次に発射した。
連鎖する気の爆発を前に、熊は無茶苦茶に前腕を振り回し咆哮を上げる。
「……駄目、か」
これでやれるとは微塵も思っちゃいなかったが、怪我が広がるぐらいは、正直期待していた。
だけど赤毛は腕で上手く気弾を払ったり、顔をカバーする事で乗り切ったようだ。
野生の本能か奴の知恵かわからないが、被害を最小限で抑えられた。
甘くは、ないということか……。
だけど、やり様はある!
もちろんこちらも、更に被害を受ける覚悟はいるが!
相手は赤毛、名にし負う人食い熊。
俺を、俺の故郷を恐怖のどん底に突き落とした張本人だ!
それも異世界にて強化されているのだ。
命を捨てる覚悟が無ければ、倒す以前に勝負にならない!
俺が俺らしくあれと誓ったばかりじゃないか!!
俺は一瞬目を瞑り覚悟を決めると、大きく目を見開くと嗤った。
腹の底から溢れる思いを体現するように!
「いくぞっ!!」
遮二無二突撃を開始した俺に対し、迎え撃つは赤毛の大熊!
後ろ脚で立ち上がると怒りの声を上げ、前腕を振って振って振り回す!!
風切り音が恐ろしい。
あの腕を、あの爪を真面に受ければ、ただでは済まない。
いや、剣でも正面から受け止めるわけにはいかない。
先ほどのように無様な隙を晒す羽目になり兼ねない。
俺は慎重に慎重を重ね、一撃一撃を丁寧に躱し、あるいは剣で受け流し隙を探った。
……そうして続く一進一退の攻防。
時折気弾や気飛剣で顔面を狙う事も忘れない。
敵に防御させつつ、側面から後ろへの回り込む機会を窺った。
それでも敵は強くしたたかだった。
さすがは悪名轟く赤毛の大熊。
俺の動きを事前に察知すると見事に腕と牙、あるいは突進等で潰してくる。
だけど、俺が本当に望んでいるのは機会はこれじゃない!
本当の隙は……、
「!? そこだっ!!」
焦れたような前腕の振り回し。
相手を追い払うかの様な大振りな一撃。
俺が真に望んでいた不用意な攻撃だ!
先程までなら後退し、あるいは剣で流しながら回避する攻撃を、俺はいきなり武器を捨て頭下げて躱しざまに潜り込んだ!
そしてスライディングを敢行。
熊の股を通り抜け様に右手で赤毛の足を掴み、反動を付けて一気に跳ね上がり奴の背中に取り付く。
左手が悲鳴を上げるが、今しかないんだ!
意思を総動員して無理やり動かし奴の頭に右手を届かせる!
そう、俺の狙いは内部とつながってる剥き出し部分。
頭の上にある大きな耳だ。
暴れて振り解こうとする熊に対し、俺は迅速に右手を耳に突っ込んだ!
「くらえっ!!」
そして耳の内部で気を爆発させた。
右手もただではすまない。
だけど熊の方は俺の比ではない。
それでも赤毛ややっぱり大したやつだった。
「!?」
予想外の後ろへの浮遊感。
なんと熊は俺事後ろに倒れこんだのだ!
熊の体重も相まった落下の衝撃で息が詰まる。
そのくせ熊が俺のさっきの攻撃のせいでのたうち回るから、致命傷はないが予想外の傷はいくつも増える。
なんとか逃げ出し脱出できた頃には、体の無数の傷と出血が起きていた。
ここほどの反撃は予想できていなかった。
だけど、
「……ひどい顔だな」
赤毛の右耳ははじけ飛び右側は頭骨が剥き出しなっている。
夥しい流血とグロテスクな姿。
まさに畏ろしくも醜悪な死神そのもの姿じゃないか。
だけど、こっちも無数の傷に出血を負っている。
おまけに武器は手放しているし、今にも倒れ込みそうな所をどうにか気力で立っている状態だ。
お互いに満身創痍。
決着は近い。
俺が勝つか、お前が勝つか、最後の一滴まで燃やし尽くして全身全霊の勝負をしようじゃないか!
「俺とお前の最後の勝負だ!」
応えるは巨獣の大咆哮!!
赤毛は全力で疾駆し、俺に突進してきた。
今更怯む俺じゃない!
「おおっ! 気流波!!」
ここで初めて隠していた技を披露する。
大熊の顔よりも大きい気の本流、巨大な気の光線を赤毛に向けて発射したのだ。
「えっ!?」
だけどここでもあいつは俺の上をいった。
なんと赤毛は避ける所か、止まらずに真っ直ぐ直進したのだ!
俺に向けて一直線に!!
そして喰らい付く。
咄嗟に差し出した俺の右手に。
「ぐああああっ!!」
鎧なんて気休めにもなりゃしない。
一気に噛み砕かれそうになる。
信じられない激痛。
手だけではなく、右腕の前腕ごと噛み千切られそうな状況。
そんな中、手を熊の口内の奥底に進めていく。
手がズタボロになるのも構わずこれ以上入らない所まで埋め込むと、凄絶な顔で嗤ってやった
「……肉でも骨でも、手でも腕でも好きなだけもっていけ!! だから! お前を! お前の命を、俺に寄越せっ!!」
俺が繰り出したのは、つい先日失敗した技。
師の放しを聞かずにやって、もう少しで大怪我を負いそうになった技だ。
過去の失敗で、過去のトラウマを拭い去る。
これ以上に、この場に相応しい業はない。
俺は制御する気は一切なく右手に気と魔力その両方を顕現させると、何の躊躇もなく合わせた。
そして弾ける!
「あああああああああっ!!」
熊の口内で、俺の腕を代償に。
気と魔力。
相反する力が一瞬混ざり、大いなる破壊と共に弾け飛んだのだ!!
俺は叫んだ。
ただただ叫んだ。
それは痛みを堪えるためか。
あるいは過去との決別するためか。
乗り越えるべき壁を越えるための咆哮か……。
そのどれかはわからない。
眩い閃光と破壊の嵐が遠い過ぎると、俺の右手と熊の頭は飛散し勝負は決していた。
「勝った! 勝ったぞ! 俺は勝ったんだ!!」
アラサーのおっさんが年甲斐もなく大はしゃぎした。
興奮が痛みを和らげ、俺はまた喜びを体中で表現した。
はしゃぎ過ぎて、疲れた足が絡まり転んでしまう。
「ははははっ! 我ながら情けない。 だけど勝った! 本当に勝ったんだな。そういえばこの右手は治るんだっけ……」
起き上がり地面に腰を付けた状態で喪った右手を眺めた。
たしか死は無理だけど、肉体の欠損は魔法や薬で治せたはずだ。
急いで帰って治療してもらえば、元通りになるだろう。
そう思い、腰を上げようとした矢先、小春日和の様な優しい光が俺に降り注いだ。
「!? ……これは?」
どうやら高度な回復魔法のようだ。
全身の痛みが和らぎ、右手が再生していく。
しかし誰が? 何のために?
いつの間にか霧が晴れ、訝しむ俺のすぐそばに、こんなダンジョンには似つかわしくない異国の衣を身に纏った絶世の美少女が微笑みを浮かべて佇んでいた。




