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第17話 死の象徴

 昔、赤毛と呼ばれる熊がいた。

 そいつはツキノワグマのくせに珍しい赤褐色の体毛の信じられない巨体で、人食いだった……。

 

 今から20年近く前、その事件は起きた。

 その年は記録的な冷夏で、農作物も恐ろしい被害を被った。

 山の実りも少なく、飢えた獣達が人里まで降りてくるなんて事態が頻発した。

 その中にあいつがいたんだ。


 初めての被害者は独居のお婆さんだった。

 民家に侵入し冷蔵庫をあさっている所に出くわし、腰を抜かした所をやられたんだ。

 2人目はその家の隣の子だった。

 お婆さんの家から出てきた所に出くわしてしまったんだ。


 大きな音に不審に思った近くの人が見に行くと、子供を貪り食らう赤毛の姿を見つけたそうだ。

 まだ明るかった事もあり、人間の悲鳴を聞いて賢いあいつは一旦山に逃げ出んらしい。

 

 この事態に地元の警察から猟友会、はてはマスコミまで短手古舞の大慌てだ。

 赤毛の射殺を目指し、大勢が山に分け入っていったんだ。

 だけど、やつは賢かった。

 慎重に立ち回り、長い事逃げ遂せてみてた。


 ……そして、俺にとっては忘れもしない、忘れたくても忘れられないあの日が起きる。

 あの日、ちょうど暗闇迫る黄昏時に、俺は猟師の叔父さんの家に行ったんだ。

 薄闇が世界覆い尽くし何も見えななく寸前、叔父の家の裏手にやつがいたんだ!


 当時中学生だった俺より頭2つ、3つでかい巨体がのっそり立ち上がって、俺を睥睨していた。

 褐色の体毛に、白い三日月を誇示するように見せびらかせる大熊がだ!!


 家のドアは俺と赤毛の中間にあり、僅かに俺の方が近かった。

 あの時は無我夢中だった。

 本能に突き動かされ、自分でもびっくりする速さで熊目掛けて走ったんだ!

 おそらく熊の方も面食らったんじゃないかな。

 まさか餌が自分から突っ込んでくるなんて思いもしなかったんだろう。

 

 だけど、それが幸運を呼び寄せた。

 おそらく恐怖で立ち止まったり、あるいは逃げたりしたら俺は今生きていなかっただろう。

 一切の遅滞なく勝手口のドアを捻ると家の中に飛び込んだんだ。

 そうして一気にドアを閉めると、ほっと人心地ついて心臓と肺が自己主張を始めた。

 生き残った喜びを主張するかのように!

 だけどまだ俺の認識は甘かったんだ。


 目の前のドアが音も無く開いていくんだからっ!!


 あの時の絶望と恐怖は、今でも魂が覚えている。

 俺が見る怖い夢はきまって()()()で、長い事、それこそ上京して心機一転するまで本当に悩まされ続けた。

 いや、それは嘘だな。今でもたまにあの時の恐怖が甦る事がある。

 それ程の思いを味あわされたんだ……。


 ドアを開けられたら喰われる!

 俺は全力でドアに飛び付くと内に引っ張った!

 そしてあらん限り、でき得る限りの大声で叫び続けたんだ。

 悲鳴の様な意味不明な言葉を絶叫するかのように、ただただ叫び続けたんだ!!

 

 俺とあいつを隔てるのは、薄っぺらい木製のドアの厚みしかなかった。

 すりガラス越しのやつが本気になりさえすれば、簡単に壊され俺は殺される。

 そんな心許無いドアが俺の命の生命線だったんだ!


 このままじゃ殺される……。

 恐怖で頭がおかしくなりそうな俺に2つ目の幸運が訪れた。

 異変に逸早く気付いた叔父達が、大声を上げ駆けつけてくれたんだ。

 しかも猟銃をもって!

 熊もその声でわかったのだろう。

 俺をあきらめるとドアを放し、一目散に山に逃げていったのだ。

 緊張で固まった俺は、叔父達によってドアから離されるまで必死にドアを引っ張り続けていたんだそうだ。とても子供のものとは思え合い火事場の力だったらしい。


 もう夜だという事で赤毛の狩猟は断念されたが、その2日後無事あいつは射殺された。

 ……その後聞いた話では、腹を裂いたみると中から人間の一部が出てきたそうだ。

 その状態から、おそらく俺が襲われた時間のちょっと前だったそうで、犠牲になったのは叔父の近所の人だった。


 もし俺が動けなかったら?

 あるいは俺が逃げ出していたら?

 動きが少しでももたついていたら?

 開くドアがへの対処が少しでも遅れていたなら……?

 それとも、叔父達がすぐに気付いてくれなかったら?

 そしてあいつが満腹でなかったのなら……?

 

 あの日、あの時、俺が助かったのはいくつもの偶然と幸運が重なった、奇跡の様な結果だった。

 あの時抱いた強烈な畏それ。

 恐怖と絶念が、俺の中の死をあいつとして形作ったんだ……。


  

 



 そんなあいつが俺の目の前に佇んでいた。

 死んだはずなのに!

 しかも日本ではなく、この異世界でだ!!

 

 だけど、俺が見違える筈がないんだ。

 あの忌まわしい血の様な赤褐色の体毛。

 それとは対照的なほど美し白い三日月の模様。

 それになんといってもあの目だ!

 俺を見下し、餌としか思っていないあの目!

 別の熊のはずがない。

 あれは確かに死んだはずの赤毛だ!


 俺の記憶が、心が、本能が目の前のあいつが本物だと告げている。

 それと同時に冷や汗がどっと流れ出し、金縛りにあった様に体が動かなくなっていた。

 目の前にいるのは俺の死の象徴。

 あの時の風景を、この捕食者からもらった恐怖を、数十年経った今でさえ消し去れない傷痕として心と体に刻み付けられていた。

 そんな巨獣が、欠伸するかのような自然な動作で右手を払った。


「あっ……」 

 

 反応する間もなく頭を打たれた俺は、何mも吹っ飛ばされた。

 何度も何度も転がり漸く止まったのは壁際で、誰かの死体にぶつかって勢いを減じたようだ。

 全身が他人の腸や血に塗れ酷い匂いがする。

 それに頭から自分の血が勢い良く流れ出して、全身をあちこち打ち付けられたせいで痛くて堪らない。


「うっ、おっ……」


 なんとか立ち上がろうとするが体が上手く動かない。

 獄鬼バルギスと戦っていた時とは天と地の差。

 病人に、いや、体が別人のものにでもなったかの様にいう事を聞いてくれなかった。

 だがしかし、俺がどうな状態であろうとあいつが、赤毛が待ってくれるわけではなかった。

 まるで遊ぶかのように腹の部分を横から救い上げられ、また遠くに吹っ飛ばされてしまう!


「がはっ!?」


 落ちた衝撃で一瞬呼吸できなくなる。

 ただただ苦しく痛かった。

 呻いている間にまた転がされ、あるいは天高く跳ね上げられた。

 何度も、何度も、何度もだ……。


「ぐっ……」


 もはや呻き苦しむだけの木偶人形だ。

 だが、何故やつは俺を一思いに殺さない?

 そう思った瞬間、最悪な答えに辿り着いた。


 いたぶって遊んでいるんだ。


 ツキノワグマやヒグマは食べるために殺すだけではなく、時として猫がネズミをおもちゃにして殺すように、獲物をいたぶり殺すのだ。

 

 時としてその獲物に人間が当て嵌まる。

 過去の熊による悲劇が、食べるのではなくいたぶり殺す事が事実だと証明している。


 真に今の俺の様に!

 強靭で凶悪な腕にふき飛ばされ、あるいは叩き付けられる。

 やつは苦しむ俺を見て楽しんでいるんだ。

 子供が捕まえた虫を残虐な方法でいたぶり殺してしまうように!


 抵抗しようにも痛みとぬぐい切れぬトラウマのせいで、体が思う様に動いてくれない。

 そしてもたつく間に嬲られ、また傷と痛みが増えていった。


 ここで、終わるのか?


 俺の一生はこんな情けない最後で終わるのか?


 そう思うと、目の前に計り知れぬ絶望と恐怖が押し寄せた……。

 

  



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