プロローグ
十歳神童、十五歳で才子、二十歳過ぎればただの人……、なんて言葉があるが、ある意味これは正しい。
神童と呼ばれる者の多くはただの早熟であり、その時点での運動能力や学業といった評価項目が同年代と比較して高水準、あるいは破格の成績であったりするだけだからだ。
つまり成熟が早いというだけで、大人になった時の能力は実は平凡だったり、当たり前の範疇に収まってしまう事が、往々にしてよく見られるというだけの話だ。
まあその他にも、親の欲目なだけの場合や途中で挫折するケースもあるので、大成するのが難しいからこそ、こんなことわざが生まれたのだろう。
もちろん、何事にも例外は存在する。
例えば知能指数では現れない独創的な思考や発想、あるいは芸術方面でいえば余人に代えがたい創造性や表現能力を有していれば、成人しても天才のままに違いないだろう。
ああそうそう、大人になっても他者と隔絶した能力を有している、なんて稀有な例もあり得るな。
ソースは俺自身だ。
勉強や運動、どちらでも俺に適う奴はいなかった。
それは同年代だけじゃない。
年上にも負けなかった。
いや、すぐに負けなくなったというべきか。
習い始め、やり始めの頃は当然俺が負けて、悔しさを味わったりもした。
でも負けん気が人一倍強かったせいか、上から目線でお前には無理だ、できっこない、なんて言われると見返してやりたくて、つい向きになって努力したんだ。
そうするとすぐに成果がでて、あっという間に相手を見下ろす立場になっていた……、というわけだ。
見下した態度の奴が逆の立場に置かれ、絶望し顔が醜く歪む姿は、正直痛快だった。
若気の至りだけど、偉そうな奴を見返してやるのが楽しくて、ついいらない勝負を挑んだりしたっけな。
……間違いなくあれは黒歴史だ。
まっ、まあ、そんな俺だけど高校、大学、院と進学し、年齢が上がっていっても何も変わらなかった。
相変わらず持て囃され、評価もすこぶる良好のままだった。
このまま何の憂いもなく現代社会を謳歌し続けるんだと、当時の俺は根拠の無い自信に満ち溢れていたんだ。
だけど、そうならなかった。
さっき、神童は早熟だったり挫折したりして平庸になるっていったけど、それ以外のケースもあったんだ。
周囲が、社会が、凡人に、歯車になるように求めるんだ。
教授たっての願いで推薦を受け、社会の一員になった。
大変お世話になった教授だし、入社先が誰もが知っている大企業だったから、深く考えず安易に頷いた俺が馬鹿だったという話だ。
もし本当に自分の力を十全に発揮したかったなら、自分でベンチャー会社を興すなり、アメリカにいって出資者を募り企業すればよかったんだ。
そうしておけば、リスクは高くとも自分の意志で、自分の考えによって行動できたんだ。
だが大企業の研究室に配属された先では、チームを組まされ研究テーマも会議という体裁はとっているものの、ぶっちゃけると上の意向によって勝手に決められるだけだった。
配属チームでは能力よりも年功序列が罷り通っていて、ただ指示通りに実験をこなす助手の如き扱いだった。
こんな筈じゃなかったと現実と理想の乖離に悩まされ、自分の選択に後悔しかなかった。
だけどすぐに辞めるわけにはいかなかった。
日本の悪慣だが、早期退職者は次の就職が見つかり辛いからだ。
3年、そのぐらい我慢すれば今までの経歴もあるから、就職先を選ぶ事もできるだろうと、忍従の日々を過ごすしかなかったんだ。
能力は端から評価されず、意見もアイデアもほとんど通らない環境で、ただただ我慢を強いられた。
皆経験した事だからと、決められた事を決められた通りにやるだけの、いうなれば流れ作業を行う立場に追いやられ、無為で無駄な日々を消費し続けたんだ。
そうして俺はどんどんと思考が麻痺していって、いつしか会社の歯車になる事を受け入れてしまっていた、というわけだ。
後は坂から転がり落ちるだけ。
気付けば俺は、メタボリックが心配な何処にでもいるアラサーのおっさんになっていた……。