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S(少し)F(不思議)な町のしおり

森の声とマグカップ。

作者: 五春 束頁

目を覚ますと森の中にいた。

普通の人ならここでパニックや「え、夢?」などと言ってほっぺたをつねりそうなものだが、生憎私はこの手の夢に対して慣れ過ぎていた。大海原の真ん中に浮かんだいかだの上で目が覚めたこともあったし、水つながりなら国内で一番有名な山の近くにある五湖のほとりで、ずぶぬれになった状態で目覚めたこともある。

だから、いつも通り再び目をつぶって、寝てしまおうとした。知覚できた夢なんてものは儚いもので、存在を否定されてしまえばあっという間に消えてしまう。

せっかく夢の中で夢だと気づけたのだから、何か好きなことをすればいい、という人もいるだろう。けれど、私はそれをするにはこの類の夢を見すぎた。

現実の私は28歳で、小さなころは父親がやれ旅行だ、やれキャンプだといろいろなところへと連れて行ってくれた。ところがそんな父は早逝し、母も後を追うように自殺してしまった。その頃私は大学に進学したばかりで、保険金で学費と生活費を賄う毎日だった。父と母の死は大して私の心を揺さぶらず、気を落とさず単位も落とさず、地方にあった大学を卒業した私は、そのまま内定の出た会社に入社するために上京した。

ところが入った会社はドが付くほどのブラックで、ほうほうの体で逃げ出したころには気力も体力もお金も何もかもを奪われたあとだった。

辛うじて残ったお金で株の運用を始め、それが当たったからこそ今を生きているわけだけれど、それすらも失敗していれば私はとうに首を吊るか電車に飛び込んでいたことだろう。ある意味、最も現実味のあるもので現実味のない死から救われたのだ。

そして仕事が株トレーダーとなったことで、家にいる時間が自然と増え、不規則に眠るようになったことで眠りは浅くなり、自然夢を見る回数が増えた。その中で、たびたびこんな夢を見るようになったのだ。

目をつぶった私は、部屋の薄っぺらく固いマットレスと、軽さだけが取り柄の羽毛布団の感触を体に思い起こさせようとする。地面は固かったし、私の体にはなにか布が掛けられていたらしく、感触を思い出すことは簡単だった。

そのまま私が夢の中で眠りに落ち、現実に帰ろうとしていると、どこか遠くで歌う声が聞こえてきた。フクロウの鳴き声や野ネズミが地を走る音、時々聞こえる獣の声とは違って、はっきりと人の声だとわかった。

朗々と響くその声は老人のそれではない。よくある話なら老人が歌い、それに呼応するように獣が吠えたりするのかもしれないが、この若い声はそれとは全く違う。何か祝詞のような歌詞なのだろうが、私の知っている言語ではなかった。

ここまで認識してしまうと、自然脳は活動を始め、眠ることはままならなくなる。仕方なしに私は瞼を上げ、夜空を見上げる。近くに街灯がほとんどないのだろう、小さな星まで見える。時折またたくのさえはっきりと肉眼で見ることができた。

声は次第に近づいてくる。害のある人だろうか。人殺しだろうか。それとも仙人だろうか。善人だろうか。相手がどんなであれ、目が覚めているのに寝転んでいれば、アクションを起こすという意味では不利になる。体を起こし、辺りを見渡す。

そこで、ようやく私は脇に焚火があることに気付いた。私にかかっていた、柔らかな民族的意匠のブランケットと合わせると、遊牧民か何かに保護された、という夢らしい。それなら、歌声が知らない言語なのも納得できる。

季節は冬のようで、これだけは現実と一致していた。風が冷たい。思わず焚火に手をかざす。

「――やぁ、起きたのかい」

ふと気づくと歌声は止み、焚火の光が届くギリギリのところに人影があった。声は若く、私と同年代の男性のもののように聞こえた。

「あなたは、私の作った男性像?」

そう言うと、彼は心底面白そうにひとしきり笑った後こう言った。“そんなことを言う迷い子は初めてだ”、と。

彼の話を信じるのであれば、私が目覚めたこの場所は此岸と彼岸を結ぶ、死者の森と呼ばれるところであるらしい。彼はそこの守り手で、いわゆる「カロン」に近しい存在だという。普段は森をふらついて妙な“モノ”や“物”が紛れ込んでいないかを見回っているそうだ。

けれど、私の知識の中ではカロンは老人であるはずだ。そのことを伝えると、吐息とともに彼の輪郭が変わった。

結局のところ、神格やそれに近しい存在にとってカタチはどうでもいいらしく、気まぐれや、相手の望んだ姿になるのだそうだ。ということは、と私は某ゲームの男子を想像してみる。するとその通りに彼の輪郭は変わった。

「これはまた、面白いカタチだ」

そう言って彼はやはり笑ったが、その場から動こうとはしなかった。神になぜ、を問うてはならない、というのはどこかで聞いた話だけれど、私は思わず聞いてしまった。

「それは簡単なことさ。君はまだ死んでいないからね」

そう言って、彼は焚火に薪を放り込む。見たことのない枝が、所定の場所に落ちたかのように焚火に収まり、ぱちぱちと火の粉を上げる。この暖かさは本物なのだろうか、と思いながら私はブランケットに包まる。

ふと気づくと私の座っている近くにはマグカップが置かれていて、温かそうに湯気を立てている。ヨモツヘグイ、とも思ったが、カロン曰く私は死んでいないし、飲んでも大丈夫だろう。こういう時にうろ覚えの知識は楽だ。いちいち事の真偽を確かめず、大丈夫だろうと飲み下せるから。

マグカップに入っていたそれは甘く果物の香りがした。ネクタルだろうか。時間をかけてちびちびと飲んでいると、カロンはまた歌い始めていた。今度もやはり私の知らない言語だった。

死者の渡る森。父も母も、この森を通ったのだろうか。カロンにあったのだろうか。懐かしい甘さと歌声に、私はそう思ってしまった。もし、両親がここを通ったのなら、きっとカロンに会ったはずだ。確信は無いが、なぜかそう思える。そうなった場合、誰の姿を望んだのだろう。父が望んだのは母だろうか。それとも私だろうか。関係ない赤の他人だろうか。母が望んだのは父だろうか。私だろうか。赤の他人だろうか。私は誰を望むのだろうか。

そんなことを考えていると瞼が重くなり始める。温かさと居心地の良さのせいだろう。ブランケットに包まり、横になる。徐々に意識に霞がかるように、水底に沈んでいくように、私の意識は遠のいていく。

意識の最後の一滴がしたたり落ちる直前に、カロンは歌を止め、私に覆いかぶさるようにして言った。

「君の三度目が、遥か遠くでありますように」



いつも通りのベッドで目が覚めた。何か夢を見ていたようだが、記憶に残っていない。部屋は暗く、スマホで時刻を確認すると、午前三時だった。私は株トレーダーのようなことをして生活費を稼いでいて、株価が安定してから眠るようにしている。自然と生活のリズムは不規則になり、こんな時間に目が覚めるという寸法だ。

シャワーでも浴びようかと思って立ち上がると、パソコンデスクに置いてあったマグカップから湯気が上がっていた。はて、と思い中身の香りを嗅ぐ。果物のような香りだ。香り自体は、最近フレーバードティーに凝っているからおかしくはない。おかしいのは、午後八時ごろに寝たはずなのに、未だに湯気が立っていることだ。

さんどめが、はるかとおくでありますように。

どこか遠くから、そんな声が聞こえた気がした。


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