19:吸引力が落ちないただ一匹のヒヨコ
「カルロ、今日は助けてくれてありがとう。あなたのおかげで沼の外に出られたわ」
「いや、私が油断をしたせいでモエギは蛇野郎に攫われた。もっと気を配っておくべきだったのに。あのままいれば、モエギを奪われていたかもしれないと思うと……」
なんだか、カルロの口が悪くなっている。
あの蛇に怒ってくれているのだろう。
「そうね、最悪丸呑みにされてしまったかもしれないものね」
「いや、ヌシには価値があるからモエギを殺したりはしないだろう。だが、利用はする気だろうな。あいつの目的は分からないが、きっとロクなことではない」
二人の間に重い沈黙が落ちたので、私は気を取り直すべく別の話題を出した。
「それよりも、そろそろ体を洗いましょう。私もあなたも、ついでに私の服の中に入り込んだチリも全身泥まみれよ」
「モエギが先に洗えばいい。私は後で入る」
「カルロが先に行けばいいのに……って言っても、延々と譲り合いをすることになりそうね。さっさとお風呂に入ってくるわ」
むんずとチリを掴んだ私は、そそくさと脱衣場へ移動する。
熱いシャワーを浴びた私は、新しい服に着替えた。
泥だらけのカットソーやパンツは、洗っても汚れが落ちるか微妙である。
(漂白するけど、茶色いシミが取れないかも)
とりあえず、漂白剤を入れた桶につけておく。
外に出ると、入れ替わりでカルロが脱衣場へ入っていった。
「カルロ、汚れた服は、水でゆすいで桶につけておいてね」
「……わかった」
体がきれいになったら、次は食事の準備だ。
チリの腹の音が轟いているので、急いで作った方がいいだろう。
このヒヨコは小さな体なのに、とても大きなお腹の音を出すのだ。
「うん、岩マメと岩カブで、リゾットでも作りましょうか」
使える食材が限られているので、日々のメニューを考えるのも大変だ。
皮を剥いたカブを薄く切り、緑色の茎や葉も包丁で刻んでいく。それらをチューブニンニク入りのオリーブオイルで炒めて、醤油を垂らした。
イタリアン特有の美味しそうな匂いが広がっていく。
それから、水とマメとご飯を投入。グツグツ煮込んで、冷蔵庫の片隅に眠っていた賞味期限間近のとろけるチーズをふりかけた。
牛乳があればもっと美味しくなっただろうけれど、ないものは仕方がない。
(これで、チーズもなくなっちゃったわね。日に日に調味料が枯渇していく……)
そろそろ出来上がりそうな頃合いで、カルロが風呂から出てきた。新しい魔王服に袖を通し、綺麗になっている。
私は小さな丸いテーブルにリゾットを並べた。
留守番を頑張ったブルーノのぶんは、大豆を炊いたものを用意している。ずっとダンジョンにいて、彼が獲物を刈る暇がなかったからだ。
この世界の魔物の食事事情は分からないが、元の世界の犬は塩分の多いものが食べられない。野菜の中にも、食べてはいけないものがあった。
というわけで、悩んだ末に茹でた大豆という結果になったのだ。
横目で見てみると、ブルーノは普通に食事をしている。大豆でも平気だったようだ。
美味しくも不味くもないという表情だけれど……
(せめて、お肉があればなぁ。私としても切実に肉や魚が食べたい)
ベジタリアンではないので、大豆だけでは物足りないと感じてしまう。
そっとカルロやチリの様子を窺うと、彼らは美味しそうにリゾットを食べていた。
特にカルロは目を輝かせている。
「今日の料理も美味い」
「良かったわ。もっと食材があれば色々作れるんだけど」
「ふむ、そろそろ狩りに出るか。ちょうど近くに馬肉が採れる場所が……」
「カルロ。返り討ちに遭ったら嫌だから、今はやめておきましょうよ」
チリはといえば、リゾットを小さなくちばしで吸い込んでいる。
その吸引力は全く衰える気配がなく、私はヒヨコの体の神秘を感じた。
食事を終えると、私は眠くなってきた。色々あって体力を使い果たし、出来ることもない。
部屋のベッドで横になると、カルロがやってきた。
「モエギのベッドは向こうだろう?」
言うと同時に彼は私を抱き上げて、魔王の部屋に向かって歩き出す。
「自分の部屋でいいわよ〜、動くのが面倒なの〜」
「私が運ぶから問題ない」
降りたいと暴れてみるが、器用なカルロは全くバランスを崩さずスタスタと洞窟内を歩いて行く。
あっという間に、魔王の部屋についてしまった。