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1:勇気を出したら頭を打った

 真っ白で大きな綿毛が、ふわふわと宙を舞っている。

 降り積もったそれらで覆われた足下は柔らかく、まるで雲のよう。とってもメルヘンな風景だ。


(ここはどこなの?)


 キョロキョロと辺りを見回した私――春山萌黄は、地べたにアヒルのような格好で座り込んでいた。


(そう言えば……何をしていたんだっけ?)


 アッシュブラウンに染めたくせ毛を掻き上げた後、両手をついて立ち上がる。

 白いブラウスに流行の茶色いスカートは、少しだけしわになってしまった。

 見慣れない景色の中を歩きつつ、私はここへ来る前の記憶を思い出し、僅かに体をこわばらせる。


(私……突き飛ばされて頭を打って、死んだかもしれない)




 妙な正義感を出したのが、運の尽きだったのだと思う。


 帰宅ラッシュの満員電車の中、カフェでのバイト帰りだった私は、ドア付近で痴漢されている女の子を目撃してしまった。


 被害に遭っているのは、地味で気の弱そうな、自分とそう年も変わらない人物。

 会社帰りという風ではないので、大学生くらいだろうか?


 その子は、化粧気のない顔に黒いフレームの眼鏡をかけている。いかにも真面目そうな子で、服装だってタンクトップやミニスカートではなく、長袖カーディガンにロング丈のスカートだ。

 異性を誘惑するような格好ではない。

 痴漢している男性は固い会社に勤めていそうな、七三分けのエリート風中年サラリーマンだった。


 何故か、この手の真面目そうな痴漢は、気が強そうで派手な美人などではなく、大人しくて反論してこなさそうな地味目の女の子を狙うのだ。

 被害に遭っている子も、困った表情で立ち尽くしているだけで、声を上げられない様子だった。

 後ろを振り向いて「止めて」と訴えかけるような視線を痴漢に投げかけているが、相手はお構いなしに彼女の体に触れ続けている。


 周囲にいる乗客も気付いているだろうに、全員見て見ぬ振りだった。厄介ごとに巻き込まれたくないのだろう。

 どうしようかと悩みながら見ていると、不意にその女の子と目が合ってしまう。

 怯えた子馬のような真っ黒な目が、じっと私を見据え、声を発さない彼女の口が「助けて」と動いた気がした。


 私は、仕事先で割と面倒見の良い方だと言われている……事実、少々世話好きな性格だった。

 そして、素行の悪い女性なら痴漢されてもいいというわけではないが、女性の中でも特にこの子のような弱い相手を選んだ痴漢や、それを見ていて助けない周囲の人々、そんな全てに憤りを感じていた。              


(このまま、事なかれ主義を貫いていたら、私も周りと同類だわ)


 動いたって、できることなど知れている。けれど――


(やっぱり、見捨てられない……!)


 今にも泣き出しそうな女の子を放っておくことなど、私にはできなかった。

 気付けば、満員電車の中を痴漢に向かって進んでいる。

 幸い彼女のいる位置は、私が立っていた場所から離れておらず、すぐに辿り着くことができた。

 そうして私は、骨張った汚い中年男性の手を捕まえ、上へと掲げる。


「ち、ちちち痴漢は、やめてください!」


 できる限り大きな声で訴える。

 恐怖と緊張のあまり、声が裏返ってしまったけれど、しっかりと主張できた。


(これで、周囲の人々も痴漢を認識してくれたはずよね?)


 被害者の女の子は、恐怖と安堵の入り交じった瞳を私に向けている。

 けれど、結局動いたのは私一人だけだった。

 周囲は相変わらず知らん顔でチラチラ様子を見るだけ。私の声も聞こえていないかのようだ。


(そんなはずはないのに、気付いている……よね?)


 気弱な学生風の女の子に、冴えないカフェ勤めのフリーター……弱い相手に味方しても、自分が馬鹿を見るだけ。

 それを、電車の中に佇む人々は知っているのだ。


 これが現実。正義感を出して動いても何も変わらない。

 ちょっと頑張ったところで私は何の影響力もない、弱くて無力な人間だった。


(乗りかかった船だから、この子は責任を持って助けるけどね)


 だが、決意した私の腕を痴漢が荒々しく振り払う。

 無関心な周囲の態度が、彼の行動に拍車をかけたのだ。


「お、俺は無実だからな! 冤罪だ! そいつらが、グルになって俺を騙したんだ!」

「違っ……!」

「目当ては金か? なにが痴漢だ、誰がお前らみたいなブスを相手にするか!」


 喋っているうちに勢いづいたのだろうか、痴漢が徐々に声を荒げてくる。

 しかも、助けた女の子は、ものすごい勢いで無理矢理人混みをかき分け、そそくさと別車両へ逃げ出していた!


(逃げてくれていいんだけど、あっさり一人で放り出されると、なんかこう……お礼くらい言って欲しかったなというか。いやいや、人助けでそんなこと求めちゃダメというのはわかっているけど……)


 微妙な状況で取り残された私は、切実に誰かに助けて欲しい気持ちでいっぱいだ。


「お前らみたいなくだらない女共と違ってなあ、俺は重要なポストに就いているんだよ! こんな場所で痴漢扱いされてたまるか! ふざけるな!」


 逆上した男性が襲いかかってきたそのとき、運悪く電車が駅に着きドアが開いた。

 女の子を庇った後、ちょうどドアを背にする形になっていた私は、痴漢に突き飛ばされた勢いで後方へまっすぐに倒れる。


 そうして、駅のホームの固いコンクリートに勢いよく後頭部をぶつけてしまい、そこから意識が途切れ、気付いたら変な風景の中にいた。




 この世のものとは思えない景色が広がる、静かで綺麗すぎる場所。

 そんな世界の一カ所に、山のようにこんもりと大量の綿毛が積もっている場所があった。

 山といっても、私の身長ほどの小さめの山で、近づくと綿毛の山がモソモソと動く。


「……んっ? 動く!?」


 気味悪さを感じた私が逃げようとするよりも、山が崩れて中身が出る方が早い。

 そうして、その中身は――全長八十センチほどの黄色の大きなヒヨコだった。

 このサイズに突かれたら、確実に大怪我をする!


 思わず、悲鳴を上げて飛び退くが、ヒヨコは私を見つめるだけで動く気配はない。

 じりじりと後退していると、不意にヒヨコの口が大きく開いた。


「よく来たな、正義感が強く責任感のある若者よ」

「ヒヨコの妖怪が喋った! しかも、渋いオジサンの声!」


 軽く混乱していた私は、思わず真顔で突っ込み、逃げの体勢に入る。

 しかし、前方に先回りしたヒヨコが通せんぼして言葉を続けた。


「失礼な、我は創世神が一人であるぞ。喜べ、お前は我が世界の……栄えあるダンジョンのヌシに選ばれたのだ!」


 答えると、ヒヨコはのしのしと動き、私の傍に座り込んだ。

 突いてくる様子はないし、大人しいヒヨコの様子を見て、私も徐々に落ち着きを取り戻す。

 いや、こんな巨大で日本語を喋るヒヨコがいるのは変だけれど!


「えっと……ダンジョンって、ゲームの話かしら? あいにく、私はゲームに疎くて、あまり分からないのだけれど」


 というか、私は生きているの? これは夢? 駅は? 痴漢は?

 聞きたいことが沢山ありすぎる。

 黒い瞳でこちらを見つめるヒヨコは、まるで私の心を読んだかのように質問に答え出した。


「まず、お前は死に痴漢は逃げたが後日逮捕された。そして、我は地球の創世神から、お前を預かった――『とあるダンジョンのヌシ』に、お前のような人間を探していたのだ。『お人好しで他人を見捨てられず、そのために死をも恐れず立ち向かう勇気のある人間』がな。そして、ちょうど良いタイミングで、お前が死んだ」


 ずいぶんと簡単に言ってくれるが、到底信じられないような話だ。

 しばらく放心した後、私はやっと我に返る。

 タイミングを見計らって、ヒヨコが話を再開した。


「それはともかく、話をダンジョンに戻そう」

「ともかくって……!? 私にとって重大なことなのに酷くないかな!?」


 大きなヒヨコは私の訴えを無視し、気ままに毛繕いを始めている。


(ぐぬぬ……)


 ダンジョンという言葉はゲームなどでお馴染みだ。

 私はそこまでゲームに詳しいわけではないが、有名な作品は子供の頃にプレイしている。

 そして、いつものお節介でいらぬ正義感と勇気を発揮し、痴漢に立ち向かった結果死んでしまった。


(うん、死んだのは偶然だけれど『お人好しで、勇気のある人間』……なのかも?)


 大きなヒヨコは、さらに詳しい説明を続ける。


「今、我の作った世界では、全て物事が停滞しておる。毎日変化がなく、我としてもつまらない限りだ。そこで、一石を投じることにした。こら、よそ見をするな、お前のことだぞ?」

「へ? 私?」

「お前の元いた世界の創世神とは仲が良くてな。死んだ人間を一人、融通してもらうことにしたのだ……というわけで、我の用意したダンジョンの一つで暮らしてもらうぞ」

「そんな、無茶な!」

「うむ、無茶は承知の上なのだ。すぐ死なれてはつまらんので、その辺りは配慮してやろう。それから、向こうでの説明役は、我ではなくこいつだ。我には他にも仕事があるのでな」


 そう言うと、大きなヒヨコは、くちばしからペッと何かを吐き出した。

 見ると、手のひらサイズの小さなヒヨコだった……


「詳しい話は、我が眷属の『チリ』が説明してくれる。それでは、行ってくるのだ」

「言っていることはなんとなく分かったけど、私には無理だってば! あなたの世界へ行ったところで何もできないよ!」

「お前は死ぬ前に『自分には、何の影響力もない』と嘆いていたな? そんなお前に朗報だ。我の世界では、年齢や性別は『影響力』に関係ない、まさにお前の望む場所であろう。向こうで大事なのは、『適応力』や『柔軟性』だからな」


「ますます無理じゃない? 私は弱い上に、ただの下っ端フリーターだもの」

「お前には『下っ端』だからこそ持ちうる『適応力』や『柔軟性』がそなわっているはずだ。我はそれに期待している。さらばだ!」


 急速に風景が遠のき、ヒヨコのオバケの残像が手を振っている。

 それに伴い、私の意識もプツンと途切れた。


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