16:はじめての外敵
ハラハラと落ち着かない気持ちで、私は洞窟の出口に通じる道を眺めていた。
残ったチリに説明を求めると、小さなヒヨコは羽を震わせてスマホを見せるように指示する。
「この赤い画面は、ダンジョン内に敵が侵入したことを意味します」
「敵って? 他のモンスターということ?」
「いいえ、別のダンジョンの勢力、もしくはここを乗っ取ろうと画策している者です。創世神様のお力で、このダンジョンに対して害意のある者が来た場合は、まとめてエマージェンシー扱いにしております」
「カルロたちは、大丈夫かしら?」
「相手によりけりですね。彼は弱小ダンジョン内でも魔王ですから、普通のモンスターよりは強いはずです。しかし、相手が他の魔王や幹部クラスになると厳しいかもしれません」
それは大変なことだ。私は今すぐカルロを助けたい気持ちに駆られた。
一緒に過ごすうちに、彼に対してかなり情が芽生えてしまっている。
とはいえ、レベル一桁では行っても足手まといにしかならないだろう。無念。
「でも、カルロが倒されたら大変だわ」
「そうですね。魔王にとっては大変でしょうね。倒されれば、所詮それまでの器だったということですが」
魔王の危機だというのに、チリの言葉はドライで他人事だった。
「そんな酷いことを言わないで。カルロに何かあったら、私たちだってタダでは済まないかもしれないのよ?」
「その可能性は低いでしょう。魔王を倒しても、ヌシまで倒すという者はあまり知りません」
「どういうこと?」
首を傾げる私を見て、チリは説明を始める。
「魔王を倒した者は、新たな魔王となってダンジョンを治めることが多いのです。ダンジョンを維持するためには、ヌシが必要ですからね。モエギ様は、新たな魔王と共にダンジョンを運営することになります」
「そんな……カルロ以外の魔王と一緒にダンジョンで暮らすなんて」
その時には、カルロはすでにこの世にいない可能性もある。
それでは駄目だ。
「私、カルロが心配だから様子を見て来るわ!」
「ちょっと、モエギ様!?」
私は、カルロやブルーノがいると思われる方向を目指して走った。
整備して綺麗になった洞窟の道順は、ほぼ頭に入っている。
そんな私の肩には、チリがくっついていた。向かい風に飛ばされないよう、器用に襟の中に入り込んでいる。
明るさにやられないように、そっと目を開いて洞窟の出口を見ると、岩山に魔王とウルフがいた。
一人と一匹は、警戒した様子で空を見上げている。
彼らの視線の先を見ると、空中に角と羽の生えた白い馬がいた。
体全体は白いけれど、たてがみと尻尾だけが赤い。
「あれって……」
「おそらく、天馬の雄ですね。この世界の天馬は雄にだけ角があるのです。そして、気性は性別を問わず、ものすごく荒いです。赤が混じっているので、他のモンスターとの混血かもしれませんね。モンスターは基本同種と子をなしますが、種が近いと別種との子供を産むことがあるのです」
「あれがエマージェンシーの原因? なんだか怖いわね」
「気位が高く荒々しい天馬ですが、モエギ様に害を与えることはないと思います。馬種は全体的に女性に優しい生き物なので。特にモエギ様のように、異性に縁のない女性には……」
余計なことを言い出すヒヨコをひっつかんでポケットにねじ込み、洞窟の外へ出てみる。
何かあれば洞窟内へ逃げ戻ればいいのだ。
外へ出ると、カルロと天馬が同時に私を見た。
「ふぅん? これが新たに生まれたヌシか。気配がしたので来てみたが……まだ、若いな」
透き通った赤色の瞳で、天馬が私を見つめる。
「モエギは私のヌシだ。馬はさっさと厩舎へ帰れ」
カルロが敵対心をむき出しにし、天馬を追い出そうとしている。
天馬も彼を睨んで言い返した。
「あんたには荷が重いんじゃないのかい、青二才の魔王様? 俺が代わってやるよ」
「……貴様も、似たような年齢だろう?」
「言っておくが、俺は八十歳だ。あんたの場合は、同じ八十でも五十年以上眠っていたのだから、実質二十代だろ?」
モンスターの間では、年齢は一種のステータスなのかもしれない。カルロが悔しそうだ。
しかし、ポケットの中のチリが「二人とも年齢二桁なので、モンスターの中では青二才です、赤ん坊同然です」と補足している。
天馬は、地面に着陸すると私の方へ向かって来た。
「初めまして、ここのヌシさん。俺はヴァレリ、この近くの平原を縄張りにしている天馬と火馬の代表だ」
「は、はじめまして……? あの、魔王なら間に合っています」
私は早くも逃げる体勢で、洞窟に向かって後退した。
「そう怖がるなって。あんたに危害を加えることはないから」
ヴァレリは先回りして洞窟の入口を塞ぐ。
(さすが馬、動きが早い)
どうしようかとオロオロしていると、後ろからグイと腕を引っ張られた。カルロだ。
「もう一度言う、モエギは私のヌシだ。平原を治める馬共が相手だとしても譲れない」
強く腕の中に抱きしめられ、私は「苦しい……」と小さく抗議した。
カルロは恐ろしく整った顔に険しい表情を浮かべてヴァレリを見ている。
私は、カルロを肯定するように彼の背に手を添えてみた。
「なるほど、人間のヌシは人型がお好みらしい」
途端に馬の姿だったヴァレリは、白い霧に包まれる。
しばらくして現れたのは、赤髪に透き通った赤い瞳を持つ精悍で美しい顔立ちの青年だった。
年齢は私やカルロくらいで、しなやかな手足にはしっかりと筋肉がついている。
服は、赤と白の民族衣装のようなものを身に纏っていた。
後ろで一つに結んだ長い髪を払いながら、彼は私たちの方へと進んで来る。
カルロが守るように私を抱き直した。
「朽ちたダンジョンが目覚めたとなれば、他のモンスターが押し寄せて来る。脆弱な魔王に、このダンジョンが守れるのかい?」
「……黙れ」
抱きしめるカルロの腕の力がまた強くなり、身じろぎできず、じっと彼の様子を窺う。
真っ赤な髪をかき上げるヴァレリは、そんなカルロを冷たく一瞥して追い打ちをかけた。
「ずっと居眠り状態の魔王様は、現在の情勢も碌に分からないだろ? 今は新たなヌシの情報が広がっていないし、俺らが平原を縄張りにしているから、このダンジョンに他の種族が入ってこないだけだ。さっさと俺に魔王の座をあけ渡せ」
やっぱり、ダンジョンはモンスターにとって魅力的な場所なのだろうか。
カルロもヴァレリもダンジョンに執着している。
詳細を聞きたいが、今は何も言えない。
(私、ダンジョンのことも、カルロたちのことも、何も分かってない。もっと自分から知っていかなきゃならなかったのに……)
何故か、ダンジョンでの穏やかな生活が、このまま無条件で続くと思っていた。阿呆だ、阿呆すぎる。
静かで平穏な生活が、いつまでも続くとは限らない。
自分たちで生活する術を見つけ出したって、外部から壊されればどうにもならないのだ。
カルロは尚も、ヴァレリを手負いの獣のような目で睨んでいる。
いつの間にか足もとに来ていたブルーノも、低い声でうなり声を上げた。
「何を言われても、攻撃されたとしても、モエギは渡さない……」
「……カルロ」
そこは「ダンジョンは渡さない」でいいんじゃないかな? などと思いながら、私は成り行きを見守る。
何かあれば、全力でカルロを守る所存だ……
(弱いけど! 持っている武器はスマホだけだけど!)
固いから、当たればちょっとは痛いと思う。
ヴァレリは私たちの様子を見て、少しだけ肩をすくめて言った。
「俺は手荒な真似は好まないから、近いうちにまた来る。それまでに結論を聞かせてもらおうか」
緊張で身を固くする私に微笑みかけたヴァレリは、再び馬の姿になって飛び去っていった。
(大変なことになってしまった……!)