10「母と息子の会話」
「こっちのノンカフェイン紅茶とやらは、香りが良くて飲みやすい。そっちの大豆クッキーとやらも、甘過ぎなくて丁度良い。それから、あっちのエルガーだかエルボーだかのレコードも、ちょいとスローテンポで眠くなりそうだけど、ビージーエムとしては悪いない。だから」
オリバーは、そこで言葉を区切ると、レースのクロスが敷かれた丸いテーブルを囲み、自分を挟んで向かい合って座っているメアリーとピーターを順番に見たあと、ため息をひとつこぼして立ち上がり、部屋の隅でアントレーやカテラリー類を乗せた台車の側に佇む狐耳の紳士の側に寄ると、その紳士に向かって提案する。
「ここは邪魔者は立ち去って、二人だけにしてやろうじゃないか。トイレまで案内してくれ。口当たりが良いから、調子に乗って飲みすぎた」
「承知いたしました。それでは坊ちゃま、メアリーさま。どうぞ、ご歓談を」
そう言って紳士は二人に会釈をすると、流れるような所作でオリバーを先導し、勇ましい獅子のレリーフが刻まれた木製の重厚な扉を押し開け、先に廊下に出るように促す。
オリバーが廊下に出ると、紳士は無表情で何も言わないまま静かに一礼し、扉を閉める。
「フィリップとは、コミュニケーションをとれているの?」
「はい。付かず離れずで、なんとか意思疎通は図れています」
「そう。フィリップも今ではシティーバンクの頭取だもの。お金には困ってないでしょう?」
「はい。いまのところ、経済的には困窮してません」
「でしょうね。それなら、何も心配いらないわ。フィリップに引き取らせて正解だった」
これで言いたいことはすべてだとでもいうように、メアリーは早々に会話を切り上げてカップを持ち上げ、紅茶を嗜み始める。ピーターは、一度は口を開くものの、そこから言葉が紡がれることは無く、そのままクッキーに手を伸ばし、半開きの口に入れて食べる。
ノイズまじりのレコードによるクラシックと、微かな嚥下音や咀嚼音に加えて、部屋には気まずい沈黙が流れる。そして、クッキーを食べ終えたピーターは、冷ややかな視線を送るメアリーに怯みつつも、耳をピンと立て、唇をキッと真一文字を引き結んでから意を決した様子で口火を切る。
「あのね、ママ」
「待って。私をママとは呼ばないで」
「あっ、うん」
へなへなと耳を垂れ、言葉を失ってしまったピーターに対し、メアリーは先を促す。
「言いかけたことは、何なの? 気になるから、言いなさい」
「ううん、何でもない。また三人で一緒に暮らそうよって言おうとしたんだけど、無理みたいだから」
「あぁ、……そうね」
かぶりを振って落ち込むピーターに対し、メアリーはソワソワと耳を動かしながら、どこか落ち着かない様子で、しんみりと話し出す。
「ごめんね、ピーター。あなたは悪くないのに、私とフィリップの問題に巻き込んでしまって」
「良いんだ。気にしなくていい。今日は、こうしてお話できて嬉しかった。……また、いつか会えるよね?」
「えぇ。ピーターが立派な大人になれたら、きっと再会できるわ。そのときには、今日のことを笑い話として語れるようになってるわよ。だから」
「うん。ここで、いったんお別れだね。バイバイ」
「元気でね。さよなら」
メアリーは立ち上がると、今にも泣き出しそうな表情のピーターの頬に片手を添え、添えていないほうの頬に愛おしげにキスをすると、そのまま獅子の扉に向かい、ノブを引いて廊下に出る。
すると、廊下に出てすぐのところでは、オリバーが壁に頬と片耳を付けて立っていた。
「訊くまでもないかもしれないけど、一応、何をやってるか訊いてもよろしいかしら?」
「いやぁ、その扉が思いの外、分厚くてさ。しかも、床には毛足の長い絨毯が敷かれてるだろう? だから、どこか壁の薄いところが無いかと思って探してたんだ。メアリーもトイレか?」
「デリカシーが無いのね。失礼しちゃうわ。私はただ、歓談が終わったから席を立っただけよ。帰りましょう」
「もう、おしまい? せっかくだから、ディナーも食べて行こうぜ」
「いいのよ。もう、いいの。これ以上ここに長居していたら、帰れなくなるわ」
そう言うと、メアリーは両手で顔を覆い、堰を切ったように大粒の涙を流し始めた。その豹変ぶりにオリバーは驚きつつ、慌ててスラックスのポケットから丸まったハンカチを取り出し、それをメアリーの目元に押し当てながら宥める。
「おいおい、急にどうした? 何を話したか知らないけど、ひとまず泣き止んでくれないか? これじゃあ、俺が泣かしてるみたいだろう?」
オリバーが眉を下げて困り顔でアタフタしていると、廊下の奥から紳士が姿を現し、抑揚のない声で言う。
「たった数分間に何があったか存じませんが、お二人を廊下に野放しにするわけには参りませんし、身嗜みを整えたいことでしょうから、パウダールームにご案内します」
「おう、気が利くな。助かるよ。――行こう、メアリー」
「えぇ」
メアリーは片手で溢れ出る涙を押さえ、もう一方の手をオリバーの肩に添えつつ、紳士のあとについて長い廊下を歩きはじめた。




