第二話 始動
とりあえず、卓球は楽しいんだ!というのだけでも分かって欲しい、伝わってほしいという願いを込めて
「卓球場」
その扉の上にはそう書かれた大きな看板が掲げられていた。なかからは微かにカコンカコンという小気味良い音の反響を感じる。
間違いない。ここが自分のずっと求め続けていた場所だ。
高鳴る胸を抑え、頬をパンパンと叩いて気合を入れ、大きく息を吸い、ドアノブに手をかけ、ゆっくりと引いた。ギギギギギ、という音が、このドアの向こうに蓄積された確かな歴史を感じさせた。「お願いします」そう呟いて、卓球場のほうへ一歩踏み出し、その全貌を目にした。
「これは…期待以上だな…」思わずそう口にした。
高くはないが、十分な天井。美しさが保たれた床。そこにざっとみたところ十二台ほどの台が、ズラッと並べられていた。
「てっきり設備になんか期待してなかったんだけどな。これも過去の遺産ってやつか…」
そして何より驚いたのは…
「おいおい、みんな強えじゃんかよ」
ひと目見て分かる、卓球のレベルの高さだった。
別に、鬼気迫る勢いで卓球をやっているわけでも、汗だくだくでやっているわけでもない。
皆それぞれ楽しそうに、自由にやっている。所謂「遊び」の卓球だ。
しかし、そのレベルがやけに高いのだ。
「おりゃあ!」「うりゃあ!」「そいやあ!」
など、間抜けな声を発しながら、実に眩しい笑顔でドライブを打ちあう、(引き合い、というのだが)一つのペアがあった。二人は、美しく描き出される弧線で結ばれていた。強烈な上回転をかけられたボールはによって相手のコートに沈み込み、跳ね上がる。そのボールを同じように打ち返す。それをミスが出るまでひたすらやり続ける。簡単そうで、全く簡単ではない。
他の所へ目をやると、また同じような間抜けな掛け声を発しながら、ひたすらロビングとスマッシュの応酬をやっているペアがあった。スマッシュを打つ方は、まるでバドミントンか、もしくはバレーボールをやっているかのように、高々と跳び上がり、ボールを台へと打ち付けていた。右へ左へ。シュートを入れたりカーブをかけたり。時にはフェイントで前に落としたり。どれも質が高い。相手方の方はどうかといえば、これも例にもれずニコニコしながら、そのすべてを高く高く打ち返すのだった。どんなに体勢が崩れても、時には台の方向を見ることが出来なくても、ボールは高々と舞い、相手コートに吸い込まれていく。こちらもただ返すだけでなく、様々な回転をかけているため、ボールは伸び、曲がり、止まる。ここでロビング側がいきなり後ろからカウンターをお見舞いした。
スマッシュ側は流石に驚いたようで、返球が甘くなる。すると、さっきまで後ろに居たはずのロビングマンはもうすでに前に居て、ここぞとばかりに逆襲する。しかし、これまたさっきまで前にいたはずのスマッシュマンは、もう後ろで陣取っている。攻守が逆転し、またラリーが始まる。
「すげえな…やっぱ中学とはレベルが違うな…」
「君、新入生かな?体験しに来たんだったら、僕とやらないかい?」
「うあっ、あっ、はい!お願いします!」
すっかり周りのプレーに見入ってしまっており、取り乱してしまったが、これ程嬉しいことはない。右腕が、一刻も早くラケットを握らせろとうるさかったところだった。急いでラケットを取りに行き、台に入る。
「君の戦型は?」
「裏裏ドライブマンです。先あなたの戦型は何でしょうか?」
「裏粒カットマンです」
「カットマンか…よし。お願いします!」
何球か肩慣らしにラリーをし、天夢はサーブの構えに入った。左手の掌に収まったボールを見つめる。くっ、と膝を曲げ、その反動を利用して3メートルほどトスを上げる。その間に右腕を振り子のように動かし、遠心力をためる。そしてボールが自分の胸あたりに来たところで思い切りボールを擦る。真下を真っ直ぐ切る。強い下回転をかけるための基本通り。そしてそのままサーブを下回転に見せないために、素早いフェイクモーションを入れる。ここまで終わって、ようやくボールはネットを超えた。すぐさま次の打球準備に入る。
相手の方はカットマンなので簡単にはボールを落としてくれない。バック面が粒高ともなれば尚更。
ぶつり、そんな音が聞こえそうなほど、相手はツッツキをブチ切ってきた。しかし天夢にとっては別に驚くことではない。いくら回転がかかっているとしても、ライジングで触れば軽く返せる。腰を捻り、膝を曲げて重心を落とし、まさにボールが跳ねた瞬間、下から上にボールを擦り上げた。その軽いドライブに対して、相手は冷静にカットを繰り出す。
「…綺麗だな」思わずそう呟いた。ボールに強い下回転をかけるラケットは美しい楕円を描く。そしてその強い下回転をかけられたボールは台の下から浮き上がりながら自分のコートへすうっ と滑らかに入ってくる。
「これじゃらちがあかねえな」
天夢は一度カットをストップする。慌てて相手は前へと飛び出し、ツッツキしようとする。しかしジャストミートせず、少し浅く入った。
「…狙い通り!」
天夢は大きく手首を曲げ、そのボールを待ち構えていた。曲げた手首を返しながら、ボールの左斜め上を思い切り振り抜く。
少し右に曲がりながら、ボールは相手のバックのサイドラインに突き刺さる。完璧なコースに、完璧なタイミングで入った。流石にこれはもらったと思った。ボールが自分のガラ空きのフォアサイドを駆け抜ける音を聞くまでは。
「…嘘だろ…」
立ち尽くすしかなかった。見ると、カウンターを放ったであろうバックバンドは、ラバーが黒から赤に変わっていた。つまり、前にでて、ツッツイた後、瞬時にラケットを反転していたのだ。
思わず相手の方を見る。
すると、ドヤァ…という音が顔から聞こえてきそうな、ドヤ顔を決めてきた。さっきまでの丁寧な対応が嘘のようだ。しかし逆に爽やかな気分だった。それほどまでに相手のプレーは素晴らしかった。
「…名前、聞いてもいいか?」
「あっ、そうだったそうだった。完全に忘れてたよ。僕の名前は大野泰。君と同じ、新入生だよ」
「新入生か…てっきり先輩かと思ってた…俺の名前は大和天夢。これからよろしくな。」
「うん、よろしく!」
本当に、自分の夢は叶うんじゃないだろうか。その期待に、疑問を抱く余地はなかった。
だってまだ、何も知らなかったのだから。
一、二週間に一回のペースを守って頑張ります。