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その2


 五時限目の授業があと十分で終わるというとき。


 担任の渡辺先生がおもむろに教卓を叩き、進路指導の紙を提出していない人は今すぐ出さないと文化祭の実行委委員に任命すると言った。


 五時限目は数学で、渡辺先生の教科だったからクラスメイトは皆、気が弛んでいたところを叩き起こされ、一斉に机やカバンの中身を漁り始めた。


 私も同じだった。急いで机の中を見るが、お目当てのプリントは出てこない。


 そのとき、昨日持ち帰ったまま鞄の中に入れっ放しだったことを思い出した。恐る恐る、鞄を開けてクマが見えないように手を突っ込みながらプリントを探した。あったと思って顔を上げると、目の前に渡辺先生が立っていた。


「涼風さん。プリント、ある?」


 彼女の眼差しが私と交錯し、心臓がひきつった。


「……はい」


「なら、すぐに出して」


 彼女の威圧的な視線に晒され、焦った私は鞄から急いで手を引っこ抜いた。けれど、そのせいでバランスを崩し、あっと思ったときには鞄が手を離れ、渡辺先生の足元に落ちた。


「もう……慌てなくたって」


 先生が拾おうとするのを止めようと手を伸ばすが、間に合わなかった。


 声にならない吐息が漏れ、下唇を強く噛んだ。


 渡辺先生は鞄の中にあるオスカーに気付くと目を見開いた。


「涼風さん……」


 その声にははっきりと驚きが混じっていた。顔を上げていたら、侮蔑的な眼差しをまともに受けていたかもしれないが、私はスカートの上に作った握りこぶしを見ていた。


 耳まで真っ赤になりながら、その場にうつむいていると、渡辺先生は静かに私の膝に鞄を置いた。えっと思いながら顔を上げると、渡辺先生の瞳は困惑に揺れていた。


「ないならないで、いいから」


 渡辺先生は何事もなかったように言うと教卓へ戻って行った。


 いまやクラス中の視線が私に集まっているのが分かった。吐き気がした。だけど、次の瞬間、それを上回る最悪な気分になった。


「他にいなければ、涼風さんが文化祭実行委員ということでいいわね」


 クラスは静まり返っていた。誰も、何も、言わない。


「じゃあ、涼風さんということで決まり」


 渡辺先生に優しさはなかった。あのとき、一瞬でも感じた情は私をあれ以上の屈辱へと追い込むためにあったのだと気付いた。


 心の中でどうにか均衡を保っていたものが、この瞬間、がらがらと崩れていくのが分かった。



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