敵襲、そして運命の再会
蘭珠達が乗る馬車が下ろされ、馬を繋ごうとした時だった。
「――敵襲!」
誰かが声を上げる。蘭珠が声の方向に目をやれば、騎馬の一団がこちらへと向かってくるところだった。
「このあたりを荒らしている盗賊のようです! 姫様は、馬車の中に避難なさってください――侍女殿も!」
護衛隊長の言葉に、蘭珠と鈴麗は顔を見合わせた。それから、かねてから打ち合わせていた通りに、馬車に逃げ込む。
広大な土地だから、警備隊の目も行き届くはずもなく、こうやって盗賊が横行するのだ。
座席に身を寄せ合うようにして座ると、前方からは慌ただしく馬を馬車に繋ぐ物音が聞こえてくる。
「……私達だけでも逃がそうというのね」
「この場に踏みとどまって、敵を迎え撃つ者と、馬車を護衛して逃げる者とに別れるはずです」
警備の体制の詳細について蘭珠達は聞かされていないけれど、護衛隊長達に任せておけば大丈夫なはずだ。
それでも、いざという時のために備えておかなければと馬車の中でも準備を進めているうちに、馬車は走り始めていた。
「――国境の治安が悪いというのは本当でございましたね」
鈴麗が長衣を脱ぎ捨て、座席の下から剣を取り出す。
蘭珠と高大夫が組織した『百花』では、読み書きそろばんといった基本的な教育の他、間者として生き残るための様々な手も娘達に教えていた。
たとえば、道ばたに生えている草の中で食用に使えるものだったり、薬として使えるものを見分けるたりする方法にキノコや蛇から毒物を採取する方法。
野営に備え、動物の生態も教わったし、化粧や髪型で別人のように見せる術に、相手を油断させて情報を引き出すための会話術。
そんな中、自分達の身を守るための剣術ももちろん必須科目だった。蘭珠自身も、最低限自分の身を守ることができる程度の剣術は身に着けている。
「鈴麗、私の分の剣もちょうだい」
長い衣を脱ぎ捨て、身軽な格好になる。鈴麗が蘭珠へと手渡した剣は、一般的な剣より少し細身で短く、軽めに作られていた。
剣を大事に腕の中に抱え込みながら鈴麗が微笑んだ。
「ご安心なさいませ、蘭珠様。鈴麗がお守りいたします――我が身に代えても」
「代えてもらっては困るの。嫁いだ後、愚痴をこぼす相手がいなくなってしまうじゃない」
蘭珠も笑いに紛らわせて返した。
――今まで訓練を重ねてはきたけれど、これだけの人数に囲まれるのは初めてかもしれない。
馬車の窓にかけられた布をずらして外の様子を確認すれば、かなりの人数がこちらの馬車を追いかけてきているのがわかる。
「……お互い、生き残ることを考えましょ。私のために命を落とそうなんて、考えないで――そんなことのために、ここまでで連れてきたわけじゃない」
――『戦史』にはこんなこと、書いてなかった!
前世で愛読していた『六英雄戦史』本編が始まるのは、今から十年以上先のこと。しかも、蘭珠はメインの登場人物ではなかったから、蘭珠の過去について詳細な記述なんてあるはずもない。
――私が知っているのは、劉景炎の妻となり、彼が国境警備に追いやられた後も従って
いたということ。そして、彼の死と共に、本編から消えたことだけ。
もし、ここが本当に『六英雄戦史』の世界なのだとしたら、蘭珠はこれからあと十数年は生きているはず。こんなところでは死なないだろうとわかっていても――実際に襲われたら恐怖を覚えずにはいられない。
「――どこまで逃げることができるでしょう?」
隣に座る鈴麗の顔を見たら、血の気が引いて真っ白になっていた。
悲鳴にも似た馬の声が聞こえてきたかと思ったら、馬車がさらに速度を上げる。がたがたと揺れる馬車の中、蘭珠はますます強く剣を握りしめた。
けれど、逃走も長いことは続かなかった。悲鳴が響いたかと思ったら、がたんと大きく揺れて馬車が、停止してしまう。
――今の悲鳴は……御者が、倒された?
蘭珠達の馬車を御しているのは、護衛としてついてきた兵士達のうちの一人だ。役目を放棄して逃げ出すなんてないから、きっと倒されてしまったのだろう。
――逃げる……どこへ? 護衛隊長達が駆けつけてくれるまで、しのぐことができる?
頭をめまぐるしく回転させる。こんなにも早く馬車が停められるとは予想よりちょっと早い。
馬車の扉が大きく開かれて、人相の悪い男がのぞき込んでくる。
「ぶ――無礼者! 玲綾国、蘭珠公主の馬車と知っての狼藉か!」
叱咤の声と共に、鈴麗の持っていた剣が閃いた。その剣が、馬車の中に上半身を押し込んでいた男の胸にためらうことなく突き立てられる。
うめき声と共に、男が崩れ落ちるより先に鈴麗は剣を引き抜いた。
――怖い。
滴り落ちる血の色は生々しくて、目をそむけたくなる。
男の死体が引きずり下ろされ、別の男が乗り込んで来ようとする。その男もまた鈴麗の一撃によって崩れ落ちた。
「ここでは狭い! 表に出ます、蘭珠様は中に!」
そう叫ぶのと同時に、今自分が殺したばかりの男の身体を外へ蹴り出し、鈴麗が飛び降りた。
「ここにいられるものならいたいけれど――それは無理そう!」
反対側の扉が破られる。乗り込んでこようとする男の顔に思いきり剣の鞘を叩きつけ、ひるんだところで蹴り倒すのと同時に身を翻す。鈴麗が飛び降りた方の扉から、馬車の外へと飛び降りた。
――大丈夫。私は、大丈夫……頑張れる、から。
周囲は騒然としていた。
盗賊は公主の嫁入り行列と聞いていたのだろうか。次から次へと現れてきりがない。
「鈴麗、こちらに!」
「……はいっ!」
馬車を背中にし、それで背中側の守りとする。二人並んで左右から切りつけてくる敵を必死に押しのけた。
誰のものかわからない剣を受け止め、はじき飛ばし、肉体の一部でいいから傷つける。
永遠とも思えるほど長い時間が過ぎたのち――不意に角笛の音が響いてきた。はっとしたように、盗賊達が音のする方向に目をやる。
――あれは。
盗賊達の攻撃の手が一瞬緩み、蘭珠は彼らの視線が向いている方へちらりと目線をやる。
そこにずらりと並んでいたのは揃いの装束――軽い革の鎧――に身を包んだ兵士の一団だった。五十人ほどいるようだが、恐ろしいほどに統率が取れている。
「――かかれ!」
一際立派な鎧を身に着けた男の号令と共に兵士達は動き始めた。
――速い!
普通の公主なら、そこまで見抜くことはできなかっただろう。
けれど、蘭珠は高大夫の教えを受けている間に、父や兄の指揮する軍を見る機会があった。こっそり盗賊征伐についていったこともある。
――玲綾国の軍より、断然上……!
「くそう、こうなったら目の前の獲物だけでも!」
「蘭珠様!」
呆然と救援の方へ視線をやっていたけれど、鈴麗の声にはっと我に返る。上段から振り下ろされた剣をなんとかかわした。
勢いあまった相手の剣が、背中を守るのに使っていた馬車に食い込む。
「くそっ!」
剣を手放そうとした男の腹に膝をたたき込む。身体を二つに折った男の肩に、鈴麗の剣が振り下ろされた。
そうしている間にも、盗賊の一団が、救援にやってきた兵士達によって次から次へと切り伏せられていく。
こちらに向かってくる敵の数が減って、ようやく蘭珠は息をついた。
――大慶帝国の軍がここにいるということは。
不意にどうしようもない予感に胸が震える。
現れた軍勢は、あっという間に盗賊達を追い払ってしまった。盗賊の返り血を浴びた手を、あり合わせの布で拭った蘭珠は、兵を率いてきた武将の方へと目をやる。
――きっと……間違いない。
たった一枚の絵で恋に落ちた。彼の全てを知りたくて、ありとあらゆる情報を探し回った。それでも、叶うことのないはずの恋、だった。
「遅くなって悪かった。俺は――劉景炎。お前の夫となる男だ」
冑を取り、素顔を露わにした彼が高らかに宣言する。
「陽蘭珠にございます――救援、感謝いたします。殿下」
――これが、再会になるなんて。
十年ぶりに見た彼は、ますます素敵になっていた。胸がざわざわして、頬が熱くなる。
それを隠すように、蘭珠は丁寧に頭を下げたのだった。