皇族暗殺計画を阻止せよ!(2)
広い後宮は、外に出る人もなく静かだった。
適度な間隔を取り、見つからないように注意しながら進んでいく。
道が複雑に入り組んである庭園ではあるけれど、どこをどう進めば最短経路で目的地に着くことができるのか、抜け道も含めて地図は全て頭に入っている。
――何ごともなければ、それにこしたことはないんだけど。
「蘭珠様っ!」
低い声で鈴麗が蘭珠の名を呼ぶ。同時に袖を引いて、隠れるようにうながされた。後宮内の警護にあたっている兵士達が、向こう側を歩いている。
とっさに傍らの建物の床下に入り込む。他の娘達も皆、上手く身を潜めている。鈴麗と共に床下で息を潜めていたら、目の前を兵士達の履き物が通り過ぎていく。
――どうか、見つかりませんように……!
蘭珠の祈りが天に届いたのか、その後も見つかることなく祭壇の用意されている広場へとたどり着くことができた。
祭壇の傍らに立っている四人の兵士達以外人の気配もなく、広場もまた、しんとしていた。
「このまま、身を潜めて待機」
ささやき声と共に蘭珠が手で合図すると、一行はばらばらになって身を隠す。しばらくその様子を観察していたけれど、怪しい者が来る気配はなかった。
――あの娘の勘違いだったのかしら。
勘違いならば、それでいい。今夜一晩何もなければ、明日の儀式の前にもう一度祭壇を調べればすむ話だ。
――どうか、何ごともなく夜が明けますように。
身を潜め、蘭珠は祈りながらも、いつでも飛び出せるように祭壇から視線は離さない。この寒さだというのに、剣の柄にかけた手は、じっとりと汗をかいていた。
「――何者!」
不意に、鋭い声がして、蘭珠はそちらへ視線を向けた。
どこからともなく現われた黒装束の男達が、祭壇を守っていた兵士達のうち三人の首を静かに締め上げた。残る一人は襲撃に気づき、大声を上げて応援を求めようとする。
だが、もう一人の襲撃者が背後からするりと近づき、その兵士の首筋も締め上げて気絶させた。
襲撃者達は、自分達のなすべきことをわかっているのだろう。ぐずぐずして時間を無駄にはしなかった。
襲撃者の四人が気絶させた兵士達の防具を外し、縛り上げて物陰へと運んでいく。その間に残りの者達は、広場にしつらえられている祭壇やその周囲に何か細工を始めていた。
――おそらく、火薬を仕込んでいるのだろうけれど。運んでいった兵士達はどうするつもりなのかしら。
予定ではこのまま捕縛にかかる予定だったけれど、思っていたよりも、敵の数が多い。
使いを走らせたから、そのうち景炎がやってきてくれるのを待った方がいいかもしれない。
――殺した方が、よほど早かったでしょうに。
なぜ、わざわざ鎧を剥いで連れ去ったのだろう。あの場で殺した方がよほど楽だっただろうに。
だが、すぐに戻ってきた男達を見て、その疑問は解決した。戻ってきた男達は、護衛の兵士達が身に着けていた鎧を身に着けていたのだ。
そうか、と蘭珠はようやく得心した。見回りの兵士を斬り殺せば、この場に血が残る。血を流さない方法で殺害したとしても、この場から見張りの兵士がいなくなってしまう。
だから、仲間を宮中の兵士に変装させ、朝の交代の時間までしのぐつもりなのだ。
――ということは、やはり春華様が協力している、ということになるのかしら。
祭壇に仕掛けを終えたのだろう、黒一色を身にまとった男達が立ち上がった。兵士から奪った防具に身を包んだ男達と視線を交わして合図する。
彼らが引き上げようとしたその時――もう一つの動きがあった。
「何者! そこで何をしている!」
誰何の声に、男達が一斉に振り返った。
――この時間に、ここに兵士は来ないはずなのに。
こちらに向かってくるのは、どうやら警護のために巡回していた兵士達だろうか。だが、蘭珠が把握している限り、巡回が来るのはもう少し後のはずだ。
「神聖な祭壇に、何かしたのだな。捕らえよ!」
隊長らしい男が声を上げ、駆けつけて来た兵士達が剣を抜く。争いになったならば、兵士達の方へ加勢した方がいいだろう。
蘭珠が、側にいた鈴麗に合図しようとしたその時。音もなく飛んできた矢が、兵士の喉に着き立った。喉を貫通した矢がかすかに震えている。
「矢はどこからだ!」
兵士達がうろたえる間もなく、もう一本の矢が飛んできた。二人目の兵士も音もなく崩れ落ちる。
「……あそこだ!」
矢が飛んできた方向を見つけ出し、ようやくそちらへと視線が向く。
――誰?
蘭珠のいる位置からではよく見えないが、広場を取り囲む建物の屋根の上に誰かいるようだ。
「――撤収!」
姿までははっきり確認することはできなかったけれど、屋根の上にいたのは女性だ。
そして、蘭珠も鈴麗も、その声に聞き覚えがあった。
そうしている間にも、駆けつけて来た兵士達と男達の間で戦いが始まっていた。
こうなったら、兵士達に加勢して、男達を追い払うしかない。それに、屋根の上にいる人物を逃がすわけにはいかなかった。
「――鈴麗!」
「はいっ!」
鈴麗との付き合いは長いから、それだけで蘭珠の意図をくみ取ってくれる。
今身を隠している場所からは、矢を放った女のところまでは行くことができない。死角になる場所から、屋根の上に上って取り押さえるしかないだろう。
どこから屋根に上れば死角に入ることができそうか、素早く確認する。鈴麗の合図で、あちこちに身を潜めていた『百花』の娘達も動き始めた。
身を潜めていた場所から音もなく飛び出しては、巡回の兵士達に加勢する。
そちらは彼女達に任せておくことにして、蘭珠と鈴麗は隠れていた場所から飛び出した。こちらに気づいた女が、屋根の上から矢を放つ。
その矢が、音を立ててはね飛ばされた。
「蘭珠、お前、こんなところで何してる」
目の前に立っていたのは、先ほど知らせを走らせた景炎だった。矢をはねのけた剣を握っているというのに、彼はこんな時でも落ち着きを忘れてはいなかった。
「――新年を祝う祭壇付近に細工をするという情報があったので」
「それにしても大人数だな。全員お前の手の者か」
半ばあきれたような声で景炎は言う。そして、蘭珠から視線をそらすことなく、剣を大きく振った。飛んできた矢がもう一度払い落とされる。
「まったく――何人の娘をここに入れていたのかと思うと、末恐ろしいな」
「――屋根の上に、弓を持った者が。私は、そちらに」
「無茶はするな!」
「しません!」
景炎の言葉には、にっと笑って蘭珠は口笛を吹いた。集まった娘達が、さっと散る。屋根の上にいる女の注意を引きつけるために。
「では、行ってきます!」
景炎が心配してくれるのが嬉しいと――そう、思ってしまう。
「鈴麗、先に行って! あなた達は、援護! 無茶はしないで!」
「はいっ!」
屋根に上る鈴麗に手を貸し、ついで蘭珠が上に上る。そうしている間、蘭珠と鈴麗が攻撃されないように娘達が注意を引いてくれる。
刃の打ち合わされる音、怒声、そして地面に切られた者が倒れ込む音。先ほどまでしんと静まりかえっていた広場は、今や戦いの音に溢れていた。
今まで身を伏せていたから見えていなかったのかもしれないが、屋根には矢を射た女だけではなく、他に何人かいたようだ。
蘭珠が屋根によじ登った時には、先に上がった鈴麗が三人を相手に切り結んでいる。
そして、その向こう側にいる女が、もう一度弓を引き絞るのが見えた。その他にも二人、弓を構えている者がいる。
「援護する! 動ける者は撤退!」
そう、鋭い声で女が命じるのが聞こえた。では、自力で動けない者はどうなるのだろう。蘭珠のその疑問はすぐに解消された。
弓を引き絞った女が、地面に倒れ込み、動けなくなっている仲間めがけて矢を放つ。
――口封じ、しようというの!
たしかにここまで入り込んだ相手。ここで口封じしてしまった方が後のしがらみはなくなるのかもしれない。
だが、これ以上目の前で殺人を犯させるわけにはいかなかった。
「――どいてえええっ!」
そのうちの一人に、振り返る隙も与えず、蘭珠は背後から斬りかかった。
うめき声を上げた相手を屋根から地面へと蹴り落とす。そのまま蘭珠は目の前に立ち塞がるもう一人と剣を交えた。
――この剣を直接受けてはまずい。
あきらかに蘭珠より力では相手の方が上回っている。溶けた雪で滑りやすい屋根の上では、いつもと同じように動くことはできないだろう。
冷たい汗が背中を流れ落ち、自分の鼓動を痛いほどに意識する。
正面からにらみ合う中、先に動いたのは相手だった。勢いよく接近してきたのを、わずかに横に動くことで交わす。そして振り返ったその刹那、肩から腰まで一息に切り下げた。
「――くそうっ!」
男が呻くが、手から剣が転がり落ちる。
「――どいて」
蘭珠が男に剣を突きつけて命じると、男はみずから地面へと飛び降りた。どさりと音がして、ここからは見えないが着地に失敗したらしい。
残った一人が、鈴麗の手にかかって腕を傷つけられ、これまた地面へと蹴り落とされた。




