景炎と鈴麗と腕試し
「景炎様、お願いがあるるのですが、聞いていただけます?」
蘭珠がそう言うと、景炎は驚いたように目を瞬かせた。それから大きくうなずいてくれる。
「俺にできることか?」
「剣の練習をしたいんです。国境を過ぎた後、練習する機会がなかったから、腕が鈍ってしまったような気がして。どこかいい場所をご存じありませんか」
「なんだ、そんなことか。それなら、俺が相手をしてやる。鈴麗とまとめてかかってきてもかまわないぞ」
それを聞いて、俄然やる気になったのは鈴麗だった。
「やりましょう、蘭珠様。ふふふ、腕が鳴ります」
「鳴らしちゃダメだってば!」
「俺にかなうと思うなよ。そうだな、あまり人目につかない場所の方がいいだろう。国境でのことがあるから、剣を使えるのは知られているだろうが、どの程度の腕なのかまで知らしめる必要もないな」
「ありがとうございます!」
蘭珠と鈴麗の声が見事に揃った。
急いで部屋に戻ると、動きやすい服装に改めて、景炎に指定された場所に向かう。
――なるほど。
こうやって迷路のように入り組んでいる庭は、人に隠れて剣を振り回すのにもいいのかもしれない。景炎の言うように、どの程度使えるのかまでは見せない方がいいだろうから。
「えいっ! この剣、こんなに重かった?」
とりあえず携えてきた剣を振ってみる。
「国境を越えてから、素振りもしてませんでしたからねぇ……」
国では師匠がついていたけれど、ここでは違う。しばらく持っていなかっただけで、こんなに重くなるなんて想像したこともなかった。
「早かったな。よし、二人まとめてかかってこい」
二人一度で大丈夫かなんて言えるはずもなくて、鈴麗と顔を見合わせる。しばらくの間、そうしていたけれど、蘭珠はにっと笑った。
――劉景炎と剣を合わせるチャンスなんて、めったにないじゃないの!
だって、助けに来てくれたあの時、彼の腕は間近で見た。蘭珠と鈴麗二人でもきっとかなわない。ならば、真剣にやってみてもいいじゃないか。
「ふふん、後悔しても知りませんからね! 蘭珠様、お先!」
あっという間に剣を抜いた鈴麗が、景炎に打ってかかる。
「――速いっ!」
思わず口をついて出たのは、彼があまりにも素早かったからだ。
彼がさっと鈴麗をかわしたところに、すかさず蘭珠がつっこんだ。
蘭珠の一撃は、軽く剣を合わせただけで弾かれる。
――そうよね、こちらの剣は軽いから……。
蘭珠も鈴麗も、力という点では普通の男性にも及ばない。だから、身のこなしを徹底的に学び、技術とスピードで相手を上回ろうと心がけてきた。
だが、景炎は蘭珠の速度をあっさりと上回ってきた。蘭珠を軽くいなして、にやりと笑って見せる。
「今度はこちらから!」
蘭珠が弾かれたのを見て、すかさず鈴麗が斬りかかる。
――今なら。
景炎が鈴麗の方に向きを変えたのを見て、すかさず彼の背後から蘭珠はうちかかった。
鈴麗とはずっと一緒に剣の腕を磨いてきた。だから、鈴麗と組んでかかればそれなりに強く戦うことができると思っていた。
斬りかかってきた鈴麗を軽く足を裁くことで避けた景炎は、そのまま蘭珠のほうはみむきもせずに蘭珠の剣を受け止めた。
一瞬力比べになるが、圧倒的に蘭珠の方が分が悪い。そうと知って、退こうとしたその瞬間。
「嘘ぉ……!」
自分の剣があっさりと宙に舞うのを見て、蘭珠の口からは間抜けな声が上がった。
鈴麗と二人なら、けっこういい線いけると思ったのにこんなにもあっさり弾かれるなんて。地面に落ちた剣を見て視線を戻したら、鈴麗の剣もたたき落とされたところだった。
「……参りました」
降参の印に頭を下げて、それから地面に落ちた剣を拾い上げる。鈴麗も剣を受け取り、頭を下げた。
「二人とも、悪くはないな」
「そんなこと言われても、説得力ないですよ。鈴麗と二人なら、あと二度くらいは打ち合えると思ったのに」
剣を片手に文句を言ったら、愉快そうに景炎が笑う。それから彼はもう一戦しようと誘いをかけてきた。
悔しい。このままやられっぱなしでは悔しいじゃないか。
「――鈴麗」
名を呼んで鈴麗の方に目をやったら、彼女も同じ意見みたいだった。
「左から行くわ!」
「私は右からっ!」
その言葉だけで、次にどう動くべきかすぐに理解する。
今度は鈴麗が先にかかり、上段から狙いを定め――と見せかけておいて上半身を横なぎに払う。蘭珠が続いて上から振り下ろした剣を、景炎は素早く飛び退くことでかわす。
「まだまだぁっ! 鈴麗っ!」
「はいっ!」
今度は鈴麗が足下を、蘭珠が上半身を狙う。ガシンッと金属同士がぶつかり合う音がして、鈴麗と景炎が競り合いになる。
「行っけぇ――!」
せめて一太刀。景炎の肩に狙いを定めるも、彼は鈴麗を身体ごとはじき飛ばした。捻るような身体の動きとともに、蘭珠の剣を受けとめる。
「うー!」
悔しくて、うなり声が出た。
鈴麗と二人がかりでも、一太刀も浴びせることができないなんて。情けなくて唇を噛む。
最低限、自分の身さえ守れればいいと思っていたけれど、もし、送り込まれて来たのが景炎並の腕の持ち主だとしたら、逃げるための道を開くどころじゃない。
「……もう一度、お願いできますか?」
取り落とした剣を拾い上げてたずねれば、にっと笑った景炎が無言のまま手をひらひらとさせて、蘭珠を挑発してくる。
むかっとして、鈴麗と顔を合せた蘭珠は、剣を握り直して景炎に打かかる。踏み込みが浅いだの、敵の動きを予測しろ、だの景炎はその度に声をかけてくれた。
「……さすがに……もう、無理……!」
蘭珠が音を上げた時には、日もだいぶ傾きかけていた。
「なんだ、存外だらしないな」
「――だ、だらしないって! 何刻打ち合っていると思ってるんですか!」
蘭珠が侍女達を連れて後宮の探検に出かけたのは、昼餉を終えてさほど時間のたたないうちだった。
それからわりとすぐ景炎に会って、彼の宮に戻りながら抜け道を一箇所だけ教えてもらって、その後すぐここで待ち合わせをした。
それからずっと打ち合っていて、もう日は西に傾いている。もうすぐ日は完全に沈んでしまうだろう。
景炎の体力は正直化け物じみているんじゃないかと思う。
日本の時間に換算するならば二時間以上は動きっぱなしだったわけで、身体のあちこちが痛い。
「鈴麗、あなた無事?」
「……明日は身体中痛くなりそうです」
「私もよ」
顔を見合わせてため息をついたら、景炎が不満そうな声を上げた。
「お前達が飽きずにかかってくるからだろうが。そうじゃなかったら、俺だってここまでやったりしない」
「ええ、ありがとうございました。明日が来るのがちょっと怖いですね。動けなくなりそうで」
きっと、明日は激しい筋肉痛に見舞われることになりそうだ。
「俺が時間を取れる時は、いつでも相手をしてやる。自分の身は自分で守りたいというのは俺としても安心だからな」
「な――ちょっと! それは困りますっ!」
大きな手で頭をぐしぐしとかき回されたから、せっかく結った髪がぐしゃぐしゃになってしまった。慌てて撫でつけながら、蘭珠は唇を尖らせる。
――なんだ、大丈夫じゃない。
彼とは、うまくやっていくことができそうだ。鈴麗の方に目をやったら、景炎に向かって、深々と頭を下げたところだった。