いきなりばれた!
――抜け道みたいなものがあるはずなんだけど。
敵の先を行くために、こういうところでは抜け道も用意されているはずだ。きっと巧みに隠されているのだろうけれど。
「なんだ、お前逃げるつもりなのか」
「景炎様っ」
背後からがしっと頭を掴まれて蘭珠は声を上げた。
――し、心臓に悪いったら!
景炎の気配を一切感じなかったのも怖い。少し離れた場所にいた大慶帝国の侍女達が恐れ入った様子で頭を下げる。
「な、なぜ……こちらに……?」
「国境までお前を迎えに行けと言ってくれたのは、姉上だからな。その礼をしてきたところだ」
春華の住まいは、ここから少し行ったところにあるそうだ。
――景炎様が助けに来てくれなかったら、どうなってたんだろう。春華公主は、今のところ景炎様の味方?
ちょっとこのあたりは、人間関係を整理しておいた方がいいかもしれない。
「これからお前のところに行こうとしていたら、逃げるとか言っているのが聞こえたから声をかけてみた」
「に、逃げるというか――どこに行っても、避難経路は大切でしょう?」
それもまた本当のことだったから、するすると口から出てくる。
「蘭珠は心配性だな」
「……それは、そうかもしれませんけれど」
「心配性なくらいでちょうどよいんでございますっ! 何があるかわかりませんからね!」
うろうろと視線を泳がせている蘭珠を背後にかばうようにして、鈴麗が立ち塞がる。
「お前な、もう少し俺を信頼しろ。蘭珠の夫になる男だぞ?」
「まだ、なってません!」
――やだな。
不意にそんな思いが芽生えて、蘭珠は動揺する。今、心臓が掴まれたみたいに痛くなった。
鈴麗は蘭珠のことを思って、景炎を警戒しているのであろうけれど、できれば仲良くして欲しい……と思ってはダメだろうか。
「……悪かった、用心深いのはいいことだ。お前に抜け道を一つ教えてやるから機嫌を直せ。ああ、お前達は先に帰れ。鈴麗だけついてこい」
むぅっと唇を尖らせていたら、景炎は鈴麗以外の侍女達を追い払ってしまった。そして、蘭珠の手を引いて歩き始める。
――だから、困るのよ……こういうのは。
大きな手に自分の手が包み込まれる感触。
剣を握ることの多い蘭珠の手は公主の手としては、少しごつごつしている。景炎の手はもっとごつごつしていて、その手が蘭珠の手を包み込む。
ちらりと背後に目をやれば、鈴麗は目を伏せながら数歩離れたところをついてきていた。
「よかったんですか? 大慶帝国の侍女達を帰してしまったのに、鈴麗だけ連れてきて」
「いいだろ。どうせ、お前と二人になろうとしても、鈴麗は離れないだろうし」
そんな会話をしている間も、なんだか耳が熱くてしかたない。自分で自分の感情がうまく制御できない。
「蘭珠? 何が気に入らない」
「ごめんなさい、そんなのではなくて――ええと、手……手、が気になる……から」
「手? 気にするほどのことじゃないだろ。どうせ、あと数ヵ月すれば婚儀なんだから」
「そうじゃなくて」
――耳が、熱い。
自分は今、どんな顔をしているんだろう。それがわからないから怖い。
ただ、彼を死なせたくないと、夢中でこの十年を過ごしてきた。それなのに、当の本人を目の前にしたら、何も言えなくなる。
それきり、何も言わずに景炎は蘭珠の手を引いて歩き続ける。しばらく行ったところで、彼大きな庭石の前で足を止めた。
「ほら――ここから、近道をすることができる」
「この、隙間ですか」
「そうだ。よく見なければわからないが、この岩は簡単に動かすことができるから見てろ」
景炎が片手で岩を押すと、あっさりと岩が動く。蘭珠は目を見張った。そこには人一人くぐることのできそうな隙間が空いていたからだ。
今まで自分達が歩いてきた道を振り返ってみる。
おそらく――日本の単位に換算したら、数百メートルはあるだろう。ここを通ることができたら、相当な時間短縮になるはずだ。
「私に教えてしまってよかったんですか?」
「まあな――このくらいなら、たいしたことはない。ここは、侍女達も使っているから教えてもいいんだ。他に、皇族しか知らない道もあるが、それは教えてやらない」
「ありがとうございます。覚えておきます」
内心の思いは押し隠して、蘭珠は微笑む。
全てを見つけ出すことはできなくても、この後宮内で動き回りやすいように、もっと緻密に調べなければ。
――私が、何のためにこんなことをしているのか、それだけは知られないようにしないと。
まだ、何が起こったというわけでもない。
景炎を死なせたくなければ、歴史を変えなくてはいけないのだから。それを避けるために何ができるのか――蘭珠が考えなければならないことは、まだまだ多い。