皇太子との顔合わせは担がれたままで
鈴麗が先に飛び降り、その後に蘭珠が続く。馬を人に預けた景炎が、こちらに向かって歩いてきた――かと思ったら、いきなり肩の上に担ぎ上げられる。
「え? あ、あのですねっ! 私荷物じゃないんですが!」
どう見ても肩に担がれた姿は米俵……。とんとんと拳で背中を叩いてみたけれど、景炎はまったく動じた様子も見せない。
「何をなさるんですか、乱暴な!」
「鈴麗、荷物がちゃんと運び込まれたか、お前は監視しておけ。俺の部下は信頼してくれてかまわないが、念のためだ。頼むぞ」
鈴麗がくってかかるのを、彼は片手で軽くいなす。それからいきなり大股に歩き始めた。
「ちょっ、揺れっ、揺れますっ!」
大股に歩くというより半分走ってそうな勢いだから、頭がぐらんぐらんする。蘭珠が肩の上で身体をばたつかせたら、景炎は歩く速度を緩めてくれた。
「なんだ、景炎。その娘は」
ほっとしたのもつかの間、不意にかけられた声は前方からだ。彼の肩に担がれている蘭珠は、上半身をえいと持ち上げ、無理矢理前方へ視線を向けた。
――誰?
思う間もなく揺さぶられて、元の体勢に戻される。彼の肩に腰のところで引っかけられたみたいになって、手足を振り回した。
「いたっ、なんなんですかっ、もうっ」
背中に向かって話しかけてみるものの、彼は蘭珠に返してくれるつもりはなさそうだ。
「兄上――この娘か? これは玲綾国の公主だ。つまり、俺の嫁」
――嫁って!
いや、まさしくそうなんだろうけれど、嫁と言われるとなんだか一気に現実味を帯びてくるのはなんでなんだろう。
「そうか、顔くらいは見せないのか?」
「――断る。婚儀が終わった後だ」
ふん、と笑った気配がした。
「まあいい。俺は父上のところに行く」
こちらへと歩いてくる足音がしたかと思ったら、そのまま彼は蘭珠を担いだ景炎の側を通り抜ける。
「おい、蘭珠公主」
「は、はい?」
名を呼ばれたので、思わず顔を上げた。
こちらに半分振り向いた格好で立っていたのは、背の高い青年だった。二十代前半、景炎と同じくらい背が高い。少し、彼より細身だろうか。
色白の肌に切れ長の目、深い緑に金で刺繍を施した袍の似合う涼やかな美貌の持ち主ではあったけれど、なんだか軽薄そうな雰囲気も感じる。
彼は薄い笑いを浮かべて言った。
「皇太子の龍炎だ。ま、異母弟相手じゃ苦労が絶えないだろう。何かあったら、頼りにするといい」
「あ、あの――こんな格好で、スミマセン……?」
首を傾げながらも、蘭珠も返す。けれど、二人の会話はそこで打ち切られてしまった。蘭珠を抱えたままの景炎が足を速めたから。
「しまった、袋にも入れておくんだったな」
「は? 袋? 私、真面目に荷物です?」
龍炎の姿が見えなくなって、ようやく景炎は蘭珠を下ろしてくれた。それから、蘭珠の手を勝手に握って歩き始める。
「お前を兄上に見せたら、面倒なことになると思ったんだ――ま、しかたないか」
「面倒って」
問い返しかけたけれど、そこで蘭珠は言葉を止めた。
――そういや、女癖が悪いって聞いてたっけ。
「ごめんなさい、顔を見せたらいけなかったんですね……でも、皇太子殿下が私なんか気にすることもないでしょうに」
何を言っている、とぐしゃぐしゃと頭をかき回される。
「俺の宮の直前まで馬車で乗り付けられたらよかったんだけどな。父上や皇后、おばあ様以外は歩くのが決まりだ。ついでだから庭を少し見て回るか」
大慶帝国において、皇帝一族が暮らす後宮は、迷路のような作りになっているらしい。もし、皇宮が攻められるようなことがあったなら、敵が攻め入りにくいようにだ。
そのため、基本的には、後宮の手前で馬車を降りることになる。そこから先、皇帝や皇后は、侍従達の担ぐ輿に乗るのだそうだ。
並んで歩き始めてすぐ、妙に入り組んだ作りであるのに気がついた。
「ここ……迷路、みたいですね」
「ああ。俺の宮は、一番手前にある」
「全員がここに住んでるんですか?」
「いや、成都に屋敷を持っている者もいる。俺は――後宮の守りを任されているから」
「そうなんですね」
なんでだろう。こうやって、景炎と手を繋いで歩いているのが妙にそわそわする。
担がれたり、振り回されたり――でも、ただ、こうして共に歩くことができるだけで幸せなのかもしれなかった。
景炎は、将軍の地位を授かって、軍部に身を置いているために後宮の一番手前となる区域を与えられている。
「さて、ここがしばらくお前の住む場所だ。俺の住まいはあちらの宮。婚儀が終わったら俺の宮に移ってもらう」
蘭珠に与えられたのは、居心地のよさそうな小さ目の房と呼ばれる建物だった。この国では、「宮」は、皇族が住まうところを表している。
景炎が自分の住まいだと言った宮と蘭珠の房は、外廊下で繋がれていて、庭に下りなくても直接行き来することができる。
「厨房はついていないから俺の宮を使え。湯殿などはお前の房にもある」
「はい」
そう返事をしたところで、房の中から鈴麗が長裙の裾を持ち上げて飛び出してくるのが見えた。
「蘭珠様っ! どこに行ってしまったのかと――」
完全に景炎のことは無視している。鈴麗、と小さな声でたしなめたけれど、彼女は気にしていないみたいだった。
「少し、庭を案内してただけだ。そうかっかするな」
鈴麗の目の前で蘭珠の肩を抱き寄せるものだから、鈴麗がぷくっとふくれっ面になる。
「さあ、お部屋に入りましょう。殿下もいらっしゃいますか?」
全身で「来るな」という雰囲気を発しながら誘っているのだから、説得力ゼロだ。景炎は笑って手を振った。
「いや、国境での戦いの後始末もある。明日にでもまた会おう」
手を振った彼がいなくなるのを見送ってから、蘭珠は鈴麗の肩に額を預けた。
「お願いだから、もうちょっと景炎様と仲良くして……!」
「ダメです、油断は禁物です」
「……うーん……」
それってどうなんだろう。とはいえ、鈴麗をこれ以上刺激するのもまずそうなので蘭珠は静かに口を閉じたのだった。