ハッピー・ウェディング
ハッピー・ウェディング
「仕事も落ち着いてきたんだしさ、息抜きに何か始めてみたら?」
そう、お節介焼きの幼馴染が言うものだから、あれやこれやと考えて、絵を始めてみることにした。
絵画教室の先生には筋が良いと褒められ、林檎、花瓶、風景画...それから、元々好きだった列車を描いた。
根を詰めてやっていた仕事とは違い、自分の好きなものが描けるのがなんとも楽しかった。
旧友達にリクエストを受け、商売用の広告や人形の絵を描いて手渡したこともある。少し恥ずかしかったが、彼らの喜んだ顔が見られたのでとても安心した。
「すごいね。まるでプロの画家みたい」
被写体にする列車の写真を撮るとき、僕の想い人と駅で鉢合わせた。
「そんなことないよ。まだまだ下手くそ。でも、仕事と違って何回でも失敗できるから、気は楽かも」
そう言って笑うと、彼女も「そっか」とはにかんだ。
夕方のホームにシャッター音が響く。
彼女は長い髪と裾の長いワンピースをひらひらと靡かせ、僕をからかうように呟いた。
「私ね、結婚するよ」
もう一度シャッターを鳴らしてから、僕は彼女の横顔を見つめ直した。
「彼?...良い人だもんね」
「兄さんは、話が決まる最後までずっと泣いてたの。『妹は誰にもやるもんか』って。もう子供じゃないのにね」
1年も前から、彼女とその恋人は結婚を約束していた。しかし彼女の兄は強情で、何を言っても折れなかったのだ。
でも...
「お兄さんの気持ち、僕はわかるけどなぁ」
「そう?...兄さん、過保護だから」
「君みたいな素敵な妹さんが取られちゃったら、僕だって泣いちゃうかも」
「......ホント?」
無言を答えとした。もうとっくに列車は出てしまっていて、撮るものがない。それでも、何故か僕は手を休めることが出来なくて、無人の、僕ら2人しか存在しないホームの向かいを撮り続けた。
ふっ、と、彼女がカメラの前に立った。
「撮ってくれる?」
「良いよ」
「やった!...それからさ、私のこと、描いてよ」
「人は描いたことないなぁ......でも、頑張るよ」
そうカメラを構え直すと、被写体はパァっと花が咲くように笑った。
「嬉しい!じゃあ私が、貴方の始めてなんだね」
白いワンピースでふわりと舞う。
ずるいなぁ。
恋を、列車の奥深さを、始めて教えてくれたのはいつだって君だった。
今度は、人を撮る楽しさと、それから、失恋の味。
始めてを全部奪ったくせに、僕の手から離れていってしまうなんて。
僕の嗚咽がシャッター音に隠れても、きっと泣いているのは直ぐにバレてしまうだろう。
ハッピーウェディング。