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Dracula's Conflict

作者: 金魚

「ああ、暇だ」

 私は独り言を発した。誰もいない、だだっ広い城で。

 私がこのソリトゥス城に住み着いてから、百年は経つ。ずっと一人で住んでいるため、話し相手もいない。だから独り言くらいは見逃してほしいというのが本音だったりする。

 窓の外でバサバサと音がした。コウモリが飛び回っている。もうそんな時間なのかと思い、時計を見たら、夜の十時だ。そろそろ吸血鬼が活動を始める時間である。こんな呑気に解説をしている私もその吸血鬼の一員なわけだが、他の吸血鬼のように人間の生き血を求めて飛び回るわけではない。トマトジュースがあるからだ。本当は人間の生き血の方が良いのだが、意外とこれでいける。今現在、吸血鬼としての人間の生き血への欲望と、私の理性との勝負の勝者は、後者である。

その勝負のキーパーソン、トマトジュースのペットボトル二リットル入りを開け、ワイングラスに注ぐ。これだけで私は幸せになれる。我ながら単純だが、それが吸血鬼なのだから仕方がない。

 私はしばらくトマトジュースをうっとりと眺めた。そして、一気に飲み干した。ああ、幸せだ、幸せ過ぎる。生きてて良かった。

 さて、トマトジュースの補給が終わってしまったので、やることが本当になくなった。どうしようか。

 とその時、城の入り口付近に招かれざる客が現れたことを、私の耳は聞き逃さなかった。


「何ここぉ、超ウケるんですけどぉ。このご時世、都市の郊外に無人の城とかあるんだねぇ! マンガみたーい。ねえねえ、ここ入ってみたくなーい?」

 何だこの話し方は。鼻にかかった、甘ったるい話し方をしている。

「ここら辺は中世からある大きな都市だし、少しくらいはそういう感じの建物もあるでしょうね。入りたいなら一人で入れば? 私は興味ないから遠慮しとくわ」

 こちらは落ち着いた話し方をしている。姿は見えないので何とも言えないが、気品を感じさせる好みの話し方だ。やはり、淑女にはこうあってほしいものだ。

 先程の気配は、この若い人間の女性二人だったようだ。彼女らは今、我がソリトゥス城へ入ろうか否かを話している。彼女らが城に入った場合、何もしないと再び城に来られるので、脅かさなければいけない。正直面倒臭いので入らないでほしい、と私は全力で祈った。

「ねえ、入ろうよぉ。今夏だよぉ? 夏といえば肝試しでしょぉ?あ、もしかしてお化けとか怖い感じ? え、意外なんですけどぉ」

 甘ったるい方がニヤニヤした顔で言った。そこまでしてソリトゥス城に入りたい理由が私には見つからない。

「別に怖くはないわ。ただ興味がないだけよ」

「じゃあ、あたしに付き合ってよぉ」

 そう言って、甘ったるい方は、落ち着いた方の手を引っ張って、城に入ってきた。


 これはまずい。想定していた事態が本当に起こってしまった。ここは吸血鬼の能力をフルに使って脅かすしかない。

 私は手始めに物音を立ててみた。

「ねぇ、今物音しなかったぁ?」

「そう? 大体、無人城だからって動物も住んでいないとは限らないでしょ。きっと動物よ」

 無駄に落ち着いているではないか。確かにその通りであるが、もうちょっと怖がってほしい。

 しょうがないので私は脅かしをエスカレートさせることにした。誰か分からない肖像画から笑い声でも出させてみよう。

「フハハハハハハ……」

 低い男の声で高笑いさせてみた。……自分でやったは良いが、非常に怖い。これはさすがに彼女らも帰るだろう。

「え、ちょっと……聞こえた?」

「ええ。さすがに動物の鳴き声じゃないわよね……。帰りましょう、何かあってからでは遅いから」

 そうだ、その意気だ。落ち着いた方よ、良いことを言うじゃないか。

「何言ってるのぉ? ありえないんですけどみたいなぁ。ここまで来たら最後まで探検する意志を貫くもんでしょぉ?」

 甘ったるい方め、正論を言うんじゃない。私は、ソリトゥス城に関することに対してのみ潔くなるべきだということを彼女に全力で伝えたい。

「とりまぁ、あたしに付いてこれば良いのぉ」

 甘ったるい方はそう言い、落ち着いた方の背中を押した。彼女らはどんどんソリトゥス城を進んでいく。


「何なんだ、彼女達は……。精神力が強過ぎる……」

 いけない、人がいるのにまた独り言を発してしまった。彼女らに聞こえてしまっただろうか。

 あれから一時間。私は思いつく脅かし方を片っ端から試したのだが、彼女らは一向に帰ろうとしない。彼女らの根性、落ち着きっぷりには驚くものがある。とりわけ、落ち着きっぷりは神がかっていた。どんな恐怖体験を再現しても冷静に対処するのだ。こちらとしてはパニックになってほしいのだが。

 しかし、もうそろそろ城を探検するのにも飽きたのではないだろうか。私がそんな希望を抱いていると、甘ったるい方が口を開いた。その発言は、私の期待を裏切らない。

「もうそろそろ帰ろっかぁ? さすがのあたしでも飽きてきたぁ」

「やっと帰る気になったの? まったく、あなたって人は……」

「ごめんごめん。今度は普通にウィンドウショッピングでもしよぉ?」

 今までの私の努力も空しく、彼女らは潔く帰っていった。


 今日は珍しく昼に起きている。あくまで私は吸血鬼なので睡眠は昼に取っている。夜更かし昼バージョンと言ったら分かりやすいだろうか。

 というのも、私の生きる糧、トマトジュースが尽きたからである。勝手に配達してくれれば良いのだが、あいにく私はネットが苦手だ。ネットショッピングをするという選択肢はない。なので、夜更かし昼バージョンをしてスーパーに行かなければならないのだ。

 近くのスーパーまで徒歩十分。少し遠いがしょうがない。諦めはとっくについている。

「こんにちはー」

 すれ違った子どもが挨拶をしてきた。どうも慣れない。普段私達吸血鬼は人間に姿を見られないよう、自分の体を透明化している。しかし、今日は買い物をするので実体化しているのだ。時々実体化するとはいえ、人間に私が認識されることは慣れない。

「こんにちは」

 とりあえず挨拶を返した。今日は何となく、人が良さそうなイケメンの顔にしてみたら、やたら人間の反応が良い。この物騒な世の中で、知らない子どもから挨拶される男などそうそういないものだろう。そんな、世間から認められる顔はどんな顔なのか分かる私の美的感覚は、キている。

 スーパーが見えてきた。もう、さっさと買って、さっさと帰って寝よう。私は心にそう決め、スーパーに入った。

 トマトジュースのペットボトル二リットル入りを五ダース抱えて、レジに向かう。これでもう半年はひきこもれる。そう思うと私は上機嫌になった。

 ちゃちゃっと会計を済ませ、店を出た。ちなみに、この金は決して盗んだりしたものではない。ちゃんと、世界吸血鬼連盟にトマトジュースが買いたいと申請して貰っている金である。

 目の前を女性が横切った。思わず目で追う。この前ソリトゥス城に入ってきた二人組の片割れ、落ち着いた方だった。

 とっさにトマトジュースペットボトル五ダースをソリトゥス城にテレポート。彼女を追うことにした。何故かは分からない。無性に追いたくなったのだ。

 彼女は街の中心部に向かっている。この前より洒落た格好をしている。何があるのだろうか。

 私が不思議に思っていると、彼女は目の前に現れた、重そうな荷物を持った老婦人に近付いていった。

「何かお手伝い致しましょうか?」

素晴らしい。どうしてこうも彼女はパーフェクトな人間なのだろうか。

「ありがとうございます。よろしいですか」

「はい、喜んで」

 そう言って彼女は近くにあった老婦人の家まで荷物を持っていった。

「ありがとうございました。助かりました」

「いえ、お役に立てたのなら幸いです」

 彼女はまた街の中心部に向かう。この前の落ち着きっぷりといい、今の優しさといい、私の理想の女性像である。思わず、彼女との結婚生活を想像してしまった。駄目だ。私は雑念を振り払うように強く首を振る。いけない。私は吸血鬼、永遠の命を持つ者である。人間と結婚などあり得ない。

 昔、私も人間だった頃、婚約者がいた。しかし、吸血鬼に血を吸われ、私も吸血鬼になってしまった。あの頃、女性は少しでもあやしい行動をすれば即、魔女として火あぶりの刑に処せられた。吸血鬼と結婚などもってのほかだろう。それは分かっていた。だから、私から婚約を破棄した。しかし内心、私は彼女と結婚出来ないなど、信じられなかった。私は全てに絶望し、命を断とうとした。しかし吸血鬼は死ねない。ただ、物理的な痛みに悶え、傷が残り、精神がやられるだけだった。

 あれから五百年。一人で、寝て、起きて、トマトジュースを飲み、自分の好きなことをする生活を続けてきた。一時は友人もいたが、すぐに縁を切った。

一見、私の生活は結構良い風に見えるかもしれないが、全然良くない。心の奥底にある、人と仲良くしたいという人間の本能が満たされないのである。しかも、これに終わりはない。ずっと辛い思いをして生きていくのだ。

 こういうこともあり、私は人間の吸血が出来ない。本当は人間の血が吸いたい。しかし、どうしても吸おうとすると相手の人生のことを考えてしまう。人生が狂うことは私で立証済みだ。それが分かっているのに、あえて相手の人生を狂わせることは私には出来ない。

だからトマトジュースに逃げる。

 いつもは考えないようにしていることを思い出し、汗が出た。こんなことを考えても仕方ないと思い、やっと最近忘れてきていたのに思い出してしまった。

 いや、しかし今は彼女を追うことに集中しよう。私はそう思い、額に浮き出た脂汗を拭った。彼女を追う。もうすぐ街の中心地である。

 彼女が向こうに向かって手を振る。その先には男がいた。男も手を振り返す。彼女は男に駆け寄り、男は彼女の腰に手を回す。私はカッと顔が熱くなったのを感じた。


 あれを見てからどうも無気力症候群になってしまった。私が彼女にこだわる理由も特にないのだが、どうも気になってしまう。ちなみに、私が彼女に恋をしている線はないと考えてほしい。私は、人間に恋をするなどという無意味なことはしない。

 私はふと窓の外を見やった。美しい夜景だ。この夜景はサラリーマンの残業によってできているとはよく言うが、果たして彼女もそれに貢献しているのだろうか。……最近、何事にも彼女を関連付けるようになってしまった。私に何が起きたのだろう。

「そんなことなんてどうでも良いか」

 わざと心の声を口にする。極東の「ニホン」という国では言霊というものが信じられているらしい。私も結構信じているので実行に移してみるが、特に効果は表れなかった。むしろ彼女を見たくなった。

「くそ、言霊なんてないじゃないか」

 私はコウモリに変身し、ソリトゥス城を後にした。


 何と、彼女は例のあの男と高級レストランにいた。私は窓の外から訳もなく男を睨み付けた。案の定、男は気付かない。

 食事は一通り終わり、今は会話を楽しんでいるのだろう。そう思った矢先、男が口を開いた。

「今日は話したいことがあるんだ」

 彼女の顔から笑顔が消えた。

「何?」

 穏やかであるが、何かを探っているような声。これから何が起こるのか全く分からない私は、耳をそばだてる他ない。

「ごめん、浮気してる」

 男の告白は端的であった。彼女は聖母マリアのような微笑を浮かべた。男が、何が面白いのかといぶかしげに彼女を見る。

「……だろうと思ってたわよ。最近のあなた、いつも以上に優しくて気持ち悪いくらいだったものねぇ。で? どう? 楽しいものなの? 二股をかける生活ってのは?」

 彼女の声は妙に落ち着いていた。そして、笑っていた。

「いや、楽しくないさ。だからこうして、今俺は君に正直に告白している」

 フッと、彼女は鼻で笑った。

「楽しくないのなら、そんな生活、やめてしまえば良いじゃない。それが出来ないってことは……」

 口が止まる。そして、彼女の顔が苦しそうに歪んだ。

「……私より、浮気相手を選ぶのね?」

 男は頷いた。

「今日は全部俺の奢りだ。これで全部チャラにしよう」

 男はレシートを手に持ち、その場を去った。彼女は、男に待てと言わんばかりに手を伸ばしたが、男は立ち止まらなかった。


「もう、ほんとやってらんないわよ。……マスター、ハイボール一つ」

 彼女はバーに一人で来ていた。マスターに愚痴を言いながら、どんどんハイボールのグラスを空けていく。

「ちょっと、今日は飲み過ぎではないですか」

 マスターが心配した。しかし、彼女の手は止まらない。

「今日ぐらい良いじゃない。失恋したのよ? 私だって、お酒で忘れたいことの一つや二つあるわ」

 それには私も同情する。私も吸血鬼になったばかりの時は、トマトカクテルを愛飲していた。さすがに今はアルコールはやめたが。

「何よあいつ。勝手に、浮気した、別れてくれって、私の罵倒を受けようともしなかったじゃない。浮気したんだから、私に罵倒されて、水をかけられて、ビンタされる筋合いはあるわよ。今日高級レストランのお代を全部奢るだけで、全てがチャラになるとでも思ってるの? 頭おかしいわ」

 確かにその通りである。浮気とは、人間として風上におけない行為であり、それによる制裁を受けないのは、より罪深いことなのである。

 私は彼女に情が入ってきたのだろう。彼女の話を聞いてあげたいと思った。

 私は実体化した。いつもは遊び心で顔の造形を変えるのだが、今回は普通のいつもの顔にした。

チャリンチャリン。バーのドアのベルが鳴る。

「いらっしゃいませ」

 マスターの声が聞こえた。彼女は片手でグラスをもてあそびながら座っている。

「マスター、ハイボール一つ。あと、彼女にスペシャルカクテルを差し上げてくれ」

 私は、彼女を見ながらそう言った。

 彼女の席の二つ隣に座る。

「かしこまりました」

 心なしか、マスターは微笑んでいるように見えた。

「ハイボールでございます」

 私の前にハイボールが置かれた。

「あと、スペシャルカクテルをあちらのお客様に、でよろしいですね?」

 マスターが彼女を見た。

「ああ、頼む」

「もちろんでございます」

 マスターは深々とお辞儀をし、一旦去る。

 彼はカウンターに入り、彼女の前にスペシャルカクテルを置いた。彼女が驚いた顔をする。マスターがこちらを見やり、つられて彼女もこちらを見た。目が合う。私は微笑んだ。彼女も微笑む。

「ありがとうございます」

 私は幾度となく彼女を見てきたが、これが初めての会話だった。胸が高鳴る。

「いえ。何か、元気がなかったようなので」

「ええ。今日は私、失恋しましたの」

 彼女は笑いながら言った。しかし、目は悲しそうであった。

「良かったら私がお話を聞きましょうか? それに、純粋にあなたと話がしてみたい」

 彼女は一瞬驚き、そして微笑んだ。

「はい。沢山お話しましょう」

 私と彼女の間にあった空間は、彼女によって詰められた。


「……なるほど、それは大変でしたね」

 彼女は高級レストランであったことを事細かに説明してくれた。当然、私はずっと見聞きしていたので知っているのだが、ここはあえて、さも今初めて知ったかのように振る舞う。

「そんな、男の風上にもおけないやつのことなんか忘れましょう。パーッと飲み明かせば、少しは気が楽になりますよ」

 思わず言ってしまったが、彼女はもう既にハイボールのグラスをかなり空けていることに気付いた。その数、十数杯。

「いや、でも十分飲み明かしているようですね」

 笑いながら訂正を入れる。

「確かに、私飲み過ぎてますね」

 彼女も笑った。

「じゃあ、今日はこれくらいにしときます。ありがとうございました」

 彼女は笑顔でそう言った。私は、急いで紙ナプキンを手に取り、連絡先を書いた。

「これは私の連絡先です。もし、これからも私と仲良くして下さるならば、後日連絡して下さい」

 やった後に後悔した。急ぎ過ぎたか。

「はい」

 この二文字からは彼女の心は読み取れなかった。


【新着メールは一件もありません】

「はあ……」

 私は思わず溜め息をついた。あれから一週間、彼女からの連絡はない。急ぎ過ぎたよなあ……。気持ち悪いよなあ……。考える度、自己嫌悪に陥る。あの時の自分をぶん殴りたい。

 何故私は彼女にこだわるのだろうか。それが今も分からない。どうせすぐに死んでしまう彼らに関わっても無意味だというのに。いや、無意味ではない。寂しいのだ。私は永遠の命を持つ吸血鬼。対して彼らの命は有限である。それはすなわち、私は関わった人間を送り出すしかないことを示している。私が送り出されることはない。

 吸血鬼になったばかりの頃は、その事実を隠して人間の友人を作ったりした。人間と関わると言っても、色々ある。好きな女性と結婚することは無理だとしても、友人として関わるくらいなら魔女狩りの対象にはならないだろう。そう思っていた。確かに、私が吸血鬼だということはばれず、彼らは火あぶりの刑に処せられなかった。しかし、問題はそこではなかったのだ。数十年後、彼らが寿命を迎えた時、私は本当の問題に気付いた。彼らは次から次へと亡くなっていく。しかし、私は死ぬことはおろか、老いることもなかった。長い間人生を共に歩んできた友人を失う悲しさというのは体験しなければ分からないだろうが、かなりこたえる。私は人間と関わる限り、この感情をずっと感じ続けなければいけないのだ。このことに気付いた時、私は人間と関わるのをやめた。

「チッ……。私の悪い癖だ、ついこのことを考えてしまう」

 私は頭を掻き毟った。五百年間ずっとこのことは頭にあるが、ここまで頻繁に考えたことはなかった。本当に私は最近どうかしている。しかも、これに加えて、彼女に関連することが、ずっと頭を巡っているのだ。

「今ならポエムを大量に書けそうだな」

 私の軽口に反応する人は誰もいない。


 時代はインターネットである。私は苦手であるが、これにはどうしても抗えない。ならば、その波に乗ってやろうじゃないか。そう決意した私は、スマホでSNSアプリをダウンロードし、会員登録した。早速アプリは、【この人達をフォローしませんか?】とランダムに選ばれたユーザーをおすすめしてきた。フォローする気は全くないが、呟きを見るだけ見てやろう。とりあえず一番上のこの人だ……ふーん、男か……。そうやってその人のページを開いた途端、私は驚愕した。

 プリクラなるものが投稿されている。これは別にふつうのことであることぐらい、私でも知っている。問題は写っている人々だった。……おいおい、見たことがあるぞ。いや、忘れもしない。そこには、あの、高級レストランの忌々しい男と、頭から離れない彼女のツーショットプリクラがあった。

【復縁しました やっぱ、彼女といると落ち着くな】

【俺にはやっぱ彼女だけだ】

【浮気してごめん これからは永遠に愛し続けるから安心して】

 見ているこちらが恥ずかしくなるような呟きばかりしている。何なんだ、この前一方的に別れを告げて去ったのはどこのどいつだ。私は憤りを感じた。

 おっ、男のアカウントで、新しい呟きが投稿された。しっかり確認してやろう。

【明日中心街で彼女とショッピングデートする❤ 羨ましいだろー? 妬みに来るなよ?(笑)】

 よし、妬んでいるわけではないが、冷やかしに行ってやろう。私は明日に備えて、いつもより五時間早く眠りについた。


【彼女とデートうぃる 楽しみ過ぎて、待ち合わせより三十分早く来ちゃった(笑)】

 私は今、中心街にいる。もちろん、男はしっかり視界に捉えている。彼は、カフェで、ニヤニヤした面持ちでスマホをいじっていた。彼女と連絡でも取っているのか。あの男の分際で彼女と連絡を取れるなど、はらわたが煮えくり返りそうな気分だが、そこはじっと堪えた。

 対して私は、何も暇を潰すものを持ってきていない。彼らのデートを冷やかしている間、暇はできないと思っていたらこの有り様である。この三十分間、ずっとあの男を観察するなんて不可能だ。しょうがない、あいつの呟きでもさかのぼって見ていよう。不愉快だが。

 そうやって暇を潰していたら、存外三十分は早く過ぎたようだ。彼女の姿が見えてきた。どんどん近付いてくる。

「ごめんね、待った?」

「いや、今来たところだよ」

 くそ、カップルによくある会話をしているじゃないか。私は、意味もなく腹が立った。

 彼女が席に座る。彼女はデートだというのに、怒ったような顔をしていた。

「ねえ、あなた、周りの人達に、復縁したって言ってるらしいわね? 私、あなたと復縁した覚えはこれっぽっちもないんだけど。どういうことか、説明してくれるわよね?」

「い、いやあ、それは……。」

 いやいやいやいや、ちょっと待て。彼らは復縁していないってことなのか?

 男は一瞬沈黙した後、照れ笑いをした。

「実は、浮気相手と別れたんだ。で、俺ってさ、今まで彼女切らしたことなかったじゃん? だから、フリーなの恥ずかしいなあって思って……。どう誤魔化そうかなって考えたら、君の顔が浮かんだんだよ。これはちょうど良いやってことで、浮気相手と別れた口実にした」

 男に反省の色は伺えなかった。むしろ、口実に使ってやったんだ、感謝しろという顔をしていた。

 彼女はうつむきながら口を開いた。

「私、あなたが浮気相手と別れた時、嬉しくなったわ。でも、それはあなたに未練が残っていたからじゃない、あなたがとても憎いからよ。この際だから、はっきり言わせてもらうわよ」

 彼女は顔を上げた。

「あなたが嫌い。もう、顔も見たくないわ」

 彼女はそう言って、男を盛大にビンタした。パーンという音は、カフェ中の人間を振り向かせるほどの大きさだった。


【お話があります あのバーでお会いしませんか】

 彼女からメールが来た。私は小躍りした。しかし、時計は夜の九時を回っている。そんな時間に、私に何の用があるのだろうか。私は疑問に思ったが、それよりも彼女に会いたいので、光の速さで準備をし、例のバーへ向かった。

 全力でコウモリの翼をはためかせ、やっとあのバーに着いた。人間の姿になり、バーのドアを押し開ける。

「お待たせしました」

「いいえ、こんな夜遅くにお呼び立てしてすみません。では、行きましょうか」

 ん? 私と彼女が知っている共通の場所は、ここだけになっているはずだが?

 彼女は、私のそんな疑問を感じ取ったかのように言った。

「ご案内したい所があります」

 私は首をかしげながら彼女に着いていった。


 私と彼女は、ソリトゥス城から正反対の郊外に来ていた。あいにく天気は曇りだ。

「ここは、我が一族に伝わる場所です」

 そう言って彼女が案内したのは、一本の大木があるだけの草原だった。

「大事な話がある時はここを使え、そうすれば願いは叶えられるだろう……」

 彼女は顔を赤らめて呟いた。

「あの時、バーであなたと会った時、私は運命を感じました。そして、あなたの気遣い、優しさに魅力を感じました。あの時から、私はあなたの虜になりました。あなたのことが、頭からずっと離れないんです。朝も、昼も、夜も……」

「奇遇ですね。私もなんです」

 やっと分かった。何故私の調子はここ最近狂っていたのか。それは、私が彼女に恋していたからだ。答えは至ってシンプルだった。しかし、私は、私が彼女に恋をしていることを否定し続けていたためにこのことに気付くことが出来なかった。だが、気付いた今、やることは一つ。男には、駄目だと分かっていてもやらなければいけないことがある。

「それは何故か? 私があなたを好いているからです」

彼女の顔がパァッと華やいだ。嗚呼、この顔を隣で見続けられたら良いのに。しかし、どんなにそう願っても、私が吸血鬼で、彼女は人間であることは変わらない。

「私は、あなたと結ばれたいと思っています。しかし、それは無理なのです」

 ここで私は決心を迫られた。真実を言うべきか、否か。科学が一世を風靡(ふうび)している今、私は吸血鬼だと言っても彼女は信じないだろう。しかし、私は彼女に嘘をつきたくないと思った。五百年間封印していた恋心を呼び覚ました女性に嘘をつくのは、一生後悔すると思ったのだ。だから、信じられなくても、真実を言おう。私は心にそう誓った。

「信じられないでしょうが、私は吸血鬼です。吸血鬼というのは永遠の命を持っています。人間であるあなたと結ばれることは出来ません」

 私はてっきり、彼女は信じないか、驚くかのどちらかだと考えていた。しかし、彼女はそのどちらにも属さないリアクションをした。

「そんな理由なんですか? そんな理由で、あなたは私を突き放すんですか……!?」

「私が吸血鬼だと、信じるのですか?」

「あなたがそう言うのならそうなのでしょう。私はあなたを信じています」

 逆に私が驚いた。今まで人間は、私が吸血鬼だと言うと、殺そうとするか、信じないかのどちらかだった。その驚きが余計に私を惑わせる。こんな素晴らしい女性を、お前はやすやすと手放して良いのか、と。

 私は吸血鬼の象徴である牙を剥き出した。

「これでも、あなたは私を嫌わないでいて下さいますか?」

「はい」

「しかし、そうだとしても、私はあなたと結ばれることは出来ません」

「何故ですか?」

 彼女が眉を下げて悲しそうな顔をした。嗚呼、彼女の全てが愛しい。どんどん私の中で彼女への愛が増幅していく。

「結ばれたとしても、数十年後にあなたは死んでしまいます。私にはその悲しさを背負って生きていくことは出来ません」

「では、私も吸血鬼になります。それで全て解決です」

 彼女は笑顔でそう言った。

「いいえ、駄目です。こんな辛い思いをあなたにさせられません……」

 私はもう我慢が出来なくなっていた。彼女の首筋に噛み付いて、彼女と結ばれたい。それしか考えられなくなっていた。私は一歩、また一歩と彼女に近付いていく。そして、私は彼女の目の前まで来てしまった。

 今、私の中では、五百年間の記憶が畳み掛けるように呼び戻されていた。婚約者と婚約を破棄し、友人は全員死に、孤独な生活を続けてきた、忌々しい記憶達。良いことなんて一つもなかった。しかし、今までの孤独な生活は、彼女が吸血鬼になれば解消される。同時にそう考えている自分もいた。

「早く私を吸血鬼にして下さい。私には、あなたが必要なんです。あなたは私を心配して下さっているようですが、無用です。私の人生なんて薄っぺらいものなんですよ。友人にも彼氏にも良いように利用されるだけの人生なんていりません。そんなやつらより、こんな状況でも私のことを考えて下さるあなたの方が、何億倍も必要なんです。どうか、どうか、私を愚かな人間達から解き放って下さい」

 そう聞いた途端、私は彼女を助けてあげたいと思った。私の心は決まった。彼女と一緒になりたい。彼女もそう望んでいる。ならば、そうなろう。

 私の心臓が早鐘を打っている。呼吸が荒くなってきた。私は、震える手で彼女の肩を掴んだ。華奢で、力を込めればポキッと折れてしまいそうだ。目を閉じ、深呼吸をする。彼女も目を閉じたことを気配で感じる。私はカッと目を見開き、一気に彼女の白くて細長い首筋に牙を突き立てた。

 その瞬間、雲の切れ間から満月が覗いた。その光は、祝福するかのように私達を照らした。

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