異世界の塩事情◆湖塩余話
国内の「鹹湖(=淡水ではない水溜り)」と言えばサロマ湖や浜名湖、宍道湖といった「汽水湖(=海水の浸入により塩分を含むようになった水溜り。要は海水と淡水の中間)」が限界の日本人にとって、最も縁遠い存在であろう「塩湖(=塩類濃度0.05パーセント以上の水溜り)」&湖塩。
この塩湖、「塩類」というのがミソで、実は一番、話を脱線させたり膨らませたりしやすい採塩環境なんですが、土壌と気候の面で無視できない条件がチラホラあるので、異世界物でさらりと登場させられるようになるためにも、みっちりおさらいしておきたいと思います。馴染みがないということは、それだけ「描写力や知識が要求される」というデメリットがある分、「より異世界感を演出する装置になりうる」というメリットがあるということにもなる訳ですからね。
ちなみにこの文章中での等級分けは、今回便宜上つけた仮分類であって、実際にそう分類されているわけではありませんのでご注意ください。
さて、そんな「塩湖(&湖塩)」について少しでも語ろうとする時、絶対に無視することができない存在があることにお気づきの方もいらっしゃるかと思います。今はなき内海、「テテュス海(テティス海、古地中海とも)」です。海の北岸と南岸がぶつかり合ってしまったことで、テテュス海は消滅に追い込まれました(隆起した部分は「アルプス・ヒマラヤ造山帯」を形成)。実際には跡形もなく完全消滅した訳ではなく、ごく一部が地中海・黒海・カスピ海・アラル海などとして現在まで姿をとどめている訳ですが、少なくともヨーロッパからアジアにかけての総ての塩湖の祖、「母なる海」などと持ち上げても問題ない存在でしょう。
同時に、「国家レベルで活用しても枯渇しない程度には大規模な塩湖集団(もしくは岩塩層)」を形成するためには、「かつて海だった」というドーピングが必要となる可能性が高いこと、もしくは「かつて海だった」というドーピングを投入してしまうと――勿論、元になる海の規模にも拠りますが――かなりの確率で大規模な塩湖集団(もしくは岩塩層)を形成せざるを得ないこと、はご理解いただけるかと思います。そのためこの世界の常識をひきずったままでは、気候(ズバリ雨量)によってはかなり痩せた土地(=塩害との戦い)にならざるを得ないのも要注意です。
◆初級編
地殻変動があったかどうか、海水を元手にできたのかどうかが分からない塩湖。周囲の土壌にも塩分が含まれているのかどうかも分からない。標高が高ければ隆起を疑えるが、さして高くない場合はますます分からない。基本的には「河川の流入はあるが流出がないことによって塩分濃度が上がってできた」とのみ解説される。降雨も含めて流入量≒蒸発量なら塩湖の状態を維持できるが、流入量<蒸発量なら湖が縮小方向に進み(消滅の危機あり)、逆に流入量>蒸発量なら淡水湖化する。
◇死海【英語:Dead Sea/ヘブライ語:Yam Ha-Melah/アラビア語:Al-Bahr al-Mayyit】
アラビア半島北西部のイスラエル国とヨルダン・ハシミテ王国の国境にある、鹿児島県霧島市とほぼ同サイズの塩湖。聖書には「アラバの海」「東の海」などの記述でその名が見られる。世界一標高が低い(海抜マイナス四百十八メートル)。流入河川はヨルダン川のみ。
◆中級編
地殻変動した際に逃げ損ねた海水を元手にできた塩湖。そのため周囲の土壌も広範囲に塩分を含んでいることが多く、かなりの量の塩の供給が期待できる。海からの切り離され方にも拠るが、基本的には「高度を問わず内陸部」に位置しやすく(e.g. 東ヨーロッパから中央アジア一帯)、隆起を伴う場合は「高高度の内陸部」に位置しやすい(e.g. ヒマラヤ山脈一帯&アンデス山脈一帯)。初級以上に河川との繋がりが薄い場合が多い(塩分を流出させる河川は元より、水分を供給する河川もないなど)。降雨も含めて流入量≧蒸発量の間は塩湖状態を維持できるが、流入量<蒸発量の状態が続くと塩性湿地(塩沼)化ないしは塩類平原化する。気候の都合もあるが、雨期(概ね冬)は塩湖、乾期(概ね夏)は塩原というところも多い。
◇ウユニ塩原【Salar de Uyuni】(=トゥヌパ塩原【Salar de Tunupa】)/ウユニ塩湖(通称)
南米ボリビア多民族国ポトシ県アントニオ・キハロ郡ウユニ市にある、岐阜県とほぼ同サイズの塩原(塩原としては世界一位)。「塩湖」は通称。標高は富士山頂とほぼ変わらない約三千七百メートル。ペルー以南のアンデス山脈間に広がる「アルティプラノ(スペイン語で「高原」の意)」の一部であり、アンデス山脈が隆起した際に逃げ損ねた海水が干上がってできたとされる。周囲には同様にしてできたと思われるコイパサ塩原(=コイパサ湖)もある。採塩は塩の結晶を直接採掘できる乾期(五月~十二月)に限られた作業であり、塩原全域を覆う雨水が邪魔になる雨期(一月~四月)には行われない。
ちなみに、湖底には世界の半分を占めるとされるリチウムが埋蔵されているが、開発はまだされていない模様。
◇エーア湖【Lake Eyre】(アボリジニ名:カティ・タンダ【Kati Thanda】)
オーストラリア連邦南オーストラリア州にある、最大で山形県もしくは青森県とほぼ同サイズの塩水乾湖。オーストラリア最大の湖でもある。クイーンズランド州の方から一応水は流れてくるが、その時期の降水量によって湖の大きさは異なる。乾期には完全に干上がることもある。
◇茶卡塩湖
中華人民共和国青海省海西モンゴル族チベット族自治州烏蘭県茶卡鎮にある塩湖。標高は富士山よりやや低い約三千百メートル。テテュス海から生まれた塩湖と看做して差し支えない模様。
◆上級編
湖の水源がやや特殊で、知らないと思いつきにくい。
◇アッサル湖【Lake Assal】
東アフリカのジブチ共和国タジュラ州とディキル州にまたがる火口湖。標高は海抜マイナス百五十三メートル(アフリカ大陸の最低標高地点)と海より低く、流入河川はない。目の前のタジュラ湾(アラビア海)の海水が滲みこんだ地下水脈をその水源としている。
◇解池
中華人民共和国山西省運城市塩湖区解州鎮にある塩湖。関帝(=関羽)の出身地としても知られる。殷代には既に採塩が開始されており、中国古代文明の発祥地である中原(黄河中流域を中心とした地域)を支える一大産地として古代の諸王朝に重要視された。海塩の生産が盛んになるまでは国内で第一の産地として君臨しており、この地域の領有は経済的、政治的に大きな意味を持った。位置的に恐らくテテュス海から生まれた塩湖と看做せそうだが、詳細は不明。流入河川も不明。
◇トレヴィエハ塩湖(=トレヴィエハ塩田)【Laguna Salada de Torrevieja】
スペイン王国バレンシア州アリカンテ県にある塩湖。そもそもは入り江だった部分が湖化したもの。パイプラインで湖に送られてくる「ピノソの岩塩を溶かすことで作られた鹹水」と、「サラダ・デ・ラ・マタ湖(後述)で濃縮された鹹水」とを水源とし、湖そのものを人工的に塩を生産する工場(=塩田)として活用している。夏には緑藻の一種であるドナリエラの産出するカロテノイドの影響でピンク色に染まる。
◇バスクンチャク湖【Ozero Baskunchak】
ロシア連邦アストラハン州アストラハン市にある、千葉県柏市とほぼ同サイズの塩湖。テテュス海から生まれた塩湖と看做して差し支えない模様。塩化ナトリウムの純度が高く、ロシアの一大塩産地といえる(供給量は国内需要の約八割)。流入河川はないようだが、湖底の岩塩層がかなり厚く、湖底から直接、飽和食塩水が供給されていると見られる。
◇マタ塩湖【Laguna Salada de la Mata】
スペイン王国バレンシア州アリカンテ県にある塩湖。トレヴィエハ塩田(前述)の蒸発湖として活用されている。
◇レトバ湖【Lac Retba】/ラック・ローズ(通称)
セネガル共和国ダカール州リュフィスク県にある塩湖。そもそもは入り江だった部分が大旱魃で水深が下がった上に、海との出入り口も塞がれたことで湖化してできたもので、流入河川はない。大潮の際に入ってくる海水を水源としている。雨期には褐色の湖が、乾期には緑藻の一種であるドナリエラの産出するカロテノイドの影響でピンク色に染まることから、「ばら色の湖」の通称がある。
◆番外編
塩化ナトリウム以外の塩類がメインで採れる塩湖。
◇アタカマ塩原【Salar de Atacama】/アタカマ塩湖(通称)
南米チリ共和国アントファガスタ州エルロア県サンペドロ・デ・アタカマにある、チリ最大の塩類平原(世界二位)。充電式電池の材料とされるリチウムの産地として有名(埋蔵量は世界の三割弱)。一年を通して水のない塩原であり、水のある部分は別途、ラグーン(要は水たまり)と呼ばれている(e.g. セヤス湖)。
◇ナトロン湖【Ziwa Natron】
中央アフリカ東部タンザニア連合共和国アルーシャ州ロリオンド県にある、岐阜県郡上市とほぼ同サイズの強アルカリ塩湖。プレート境界の一つである大地溝帯の谷底に連なる一連の湖の一つ。湖岸の北側でケニア国境と接する。石鹸やガラスの材料ともされる炭酸ナトリウム(炭酸ソーダ)の産地として有名。近くにはマガディ湖(ケニア共和国)もある。
◇マガディ湖【Ziwa Magadi】
中央アフリカ東部ケニア共和国リフトバレー州にある、強アルカリ塩湖。プレート境界の一つである大地溝帯の谷底に連なる一連の湖の一つ。石鹸やガラスの材料ともされる炭酸ナトリウム(炭酸ソーダ)の産地として有名。近くにはナトロン湖(タンザニア連合共和国)もある。
◇トゥルカナ湖【Ziwa Turkana】(旧称:ルドルフ湖【Rudolfsee】)
中央アフリカ東部ケニア共和国とエチオピア連邦民主共和国の国境にある、栃木県とほぼ同サイズのアルカリ性の砂漠湖(大部分はケニア)。アルカリ塩湖としては世界最大を誇る。石鹸やガラスの材料ともされる炭酸ナトリウム(炭酸ソーダ)の産地として有名。砂漠に於ける貴重な水源であり、ナイルワニの生息地としても知られる。
世界に分布する塩湖を駆け足でおさらいしましたが、地形や土壌、気候などの制限はつくものの、なかなかどうして役に立ちそうな存在であるということを、再確認していただけたのではないかと思います。いわゆる「内政物」のご都合主義を支える存在としても、塩湖は役に立つ可能性があることをご理解いただけたのではないかという気がします。正直、制約は面倒な存在ですが、それを回避しよう、あるいは乗り越えようと知恵を絞ることで、「どこにでもある似たような設定」から一歩抜け出せるのではないかと愚考するしだいです。