◆1◆
いつの日か、人生の成功者になってやる。そして高層マンションの最上階から、地上を見下ろして高笑いするのよ――
ネオン輝く歓楽街。
二十歳になったばかりの紺田メグミの人生目標は、玉の輿に乗って贅沢三昧の日々を送ることだった。
自分を美しく聡明に見せることは昔から得意だ。ついでに言うと男の扱いにも長けている。手の平でコロコロと転がすなんて造作もないこと。
母親から受け継いだベビーフェイスと、努力によって維持しているFカップ。これを駆使して、たった一年でキャバクラ『ヴィーナスの花園』のナンバーワンにまで登り詰めた。隙あらば足を引っ張り蹴落とそうとする同僚や、上辺だけ仲の良い友人に囲まれながら、それでも誰一人信じることなくここまで辿りついた。
あとは、馬鹿な金持ち男を捕まえて、結婚までこぎつけるだけ――
「セブンス・ヘルCEO――ルシファー様?」
渡された名刺を見て、メグミは男ににっこりと微笑んだ。笑顔の仮面を張り付けるなど、造作もないこと。
「へええ、CEOだなんて、偉い方なんですねぇ」
ルシファーだなんて、寒すぎる偽名だわ、と心の中でツッコミを入れつつ、メグミはシャンパングラスを掲げながら初対面の男を値踏みする。
高そうなダークスーツはオーダーメードのようだ。靴もネクタイもハイブランド。ちらりと見えた腕時計は数百万ほどの値打ちがある。
もしかしたら本当に、この男は金持ちなのかもしれない、という思いがメグミの脳裏を過った。偽名を使う必要のある大企業の若社長、ということも考えられる。
ならば自分が今できることは、精一杯この男の戯言に付き合うだけだ。
「それでは、ルシファー様に乾杯」
グラスを合わせ、互いにシャンパンを飲み干す。
「ところで、ルシファー様はどんなお仕事をしてらっしゃるの?」
テーブルには高級フルーツの盛り合わせが運ばれてきていた。メグミはその中で真っ赤に売れたイチゴを手に取り、彼を見つめながら口に含む。手に着いた果汁は唇と舌で舐め取りながら、最後に自分の指を甘噛みして見せた。
しかしルシファーは、そんなメグミを気だるげに見返しながら、バイオレットの長い髪をかき上げる。
「人を使い、支配する仕事だ」
言いながら足を組み、グラスを傾けた。一見、よくある仕草だが、それでも不思議と気品が感じられる。
これは稀に見る上客かもしれない。逃がしては損をするだろう。
自分の色香で惑わせて、言いなりにさせる事など容易いこと。手を握り肩に頬を寄せ、猫なで声でねだるだけで、陥落しない男などいない。
ブランドバッグや海外旅行、高級マンションを手に入れるまたとないチャンスに、メグミは唇の端を微かに上げた。
「フフ……気に入った」
そんなメグミを見て、ルシファーは不敵に笑い出した。
そして、息がかかるほどに顔を寄せると、頬に細長い指を這わせた。それはとても冷たく、メグミの背筋を凍らせる。けれど、くすぐられる肌は次第に火照り、吐く息は熱い。できるのは、ただ彼の紫色の瞳を見つめ返すだけ。
「……打算的で頭の回転が速い。美しく、その瞳と身体は男を惑わす……そなたこそ、悪の淑女レディ・アスモデウスに相応しい」
「アスモ……? それはなんです?」
強張る顔を、必死に笑顔で取り繕う。
「私と一緒に来ないか?」
冷笑を浮かべたルシファーが、音もなく手を差し伸べた。
「この手を取れば、この世界で“欲しい”と思えば何でも手に入る身分をくれてやる」
その夜、メグミは契約書にサインをして、世界を変革する組織の一員となった。
◆◇◆
「ここが女子更衣室。っていっても女性はまだ二人しかいないんだけどね」
組織の先輩でもあるクイーン・レヴィアタンに案内された更衣室で、メグミは割り当てられたロッカーにバッグを押し込んだ。
「向かいのドアは談話室。個人部屋はまたあとで案内するわ。一応、簡易ベッドと執務机があるだけの部屋なんだけど、カーテン付けたり、テレビ置いたりとか、好きにリフォームしてかまわないから。それと、あとで光彩と指紋のデータ取らせてね」
「はあ……」
「念のため言っておくけど、これはアジト入口のセキュリティーを解除するためで、決して裏切り者を特定して抹殺するためじゃないわ」
「……わかりました」
二日酔いの頭は重く、説明が頭に入って来ない。
悪の組織、セブンス・ヘルの幹部にスカウトされた翌日、メグミはレディ・アスモデウスとして初めて本部に出勤していた。
時刻は午前九時。夜の仕事をしているアスモデウスからしてみたら、本来なら夢の中にいる時間だった。
事前に受けた説明によると、この組織はフレックスタイム制を導入しているらしく、コアタイムと呼ばれる時刻までに集合すればいいとのことだった。ただ、毎週水曜日は幹部会議があるため、早朝出勤が必須になる。ちなみに、今日はちょうど水曜日。
「ふわ~」
勝手に出てしまう欠伸を手の平で隠していると、それを見たレヴィアタンがくすりと笑う。
「っと、ごめんなさい」
「いいの、気にしないで。昨日遅かったんでしょう? もうちょっと出勤時間考慮してくれてもいいのにね」
内緒話をするように言う彼女は、光沢のある蛇柄のパンツに、毒々しい赤と黒の縞模様をしたノースリーブ。肌触りのよさそうなストールを首に掛けていて、彼女が動くたびに、まるで天女の羽衣のようにふわりと宙を舞っていた。
どれほど軽いものなのか、触れて確認してみたいと思わせるほど、不思議なものだった。
とにかく、格好は奇抜だが、中身は優しいそうなお姉さんらしい。その笑顔を見つめているうちに、甘えれば甘えるほど、甘やかしてくれるのでは、という思いが膨らんでいく。
ギスギスした友人関係しか知らないアスモデウスは、何故かほっとすると同時に、心の中が温かくなっていた。
「えっと、それでね、あなたはお色気担当だから、ちょっとコスチュームがアレなんだけど大丈夫かな?」
「はあ……」
申し訳なさげに差し出された衣裳は、レースをふんだんに使ったピンクのベビードールだった。
思い切り生地の少ない上下……ちなみに下はティーバッグになっている。キャミソールは胸元のリボンで解けるようになっていて、腹部は丸見えになるらしい。
お腹を冷やすと大変だから、と追加で渡されたマントはかざすと光が透けるほどに薄かった。
「えっと、どう? 違うの頼んでみようか?」
衣装をじっと見つめていたアスモデウスの顔を、レヴィアタンは心配そうに覗き込む。
「え? あ、はい! これくらいなら問題ないです」
彼女は良かった、とほっとしたように微笑んだ。
「それじゃあ、着替えたら談話室に来てくれる? 幹部のみんなに紹介するわ」
「はーい」
そして、アスモデウスは慣れた手つきでコスチュームを身に纏った。最後にガーターベルトのホックをパチンと止めて、15センチヒールのエナメル製ティーストラップパンプスを履く。
鏡の前でくるりと回ってから、胸の前で手を交差させて笑顔を作り、軽く首を傾げて見せた。
「うふ、完璧っ☆」
セブンス・ヘルの一員として世界を征服した暁には、アスモデウスは南国一帯の支配権を得ることになっている。大好きなハワイに世界各国のイケメンを集め、一生遊んで暮らすのだ。
「うふ、うふふふっ……」
更衣室を出ると、ヒールの音を高鳴らせ腰を振って妖艶に歩く。
本日、レディ・アスモデウスの初出勤日である。