第4部:クリスマス・プレゼント
「コートなんか着こんで、どこに行くんだ?」
「夜の特別メニューのための、鳥を仕入れに」
ジャケットのポケットに手を突っ込みながら、ああ、とライアが頷く。
「そういや、今日はクリスマスか」
「……お前も、忘れていたってクチか?」
「最近、色々と立て込んでいてな」
そう言って笑うライアは、どこか疲れているようで、
「ここ数日は少し落ち着いてきたようだから、今夜はオマエのところの店に顔出せるかもしれん」
「……ああ、客が来るのはいつだって大歓迎だよ」
話題を変えようとする悪友に、僕は、何も気づいていないフリをすることしかできない。
清濁問わず町の一角を律する組織の頭に対し、僕は場末のパブの小間使いにすぎない。
助言なんていう気の利いたことはできないし、下手に手を出してもライアの足を引っ張りかねないのだから、僕にできるようなことはほとんどないのだ。
現実というモノが絵本の中や、たまにやってくる劇団が演じる演劇の世界みたいな優しさがないことを知っているから、必然、僕は人との距離の取り方を考える羽目になる。
「お前と話していたら、久々にオヤジさんとこのウイスキーが飲みたくなってきたな」
「ウイスキーなら、いいヤツが入ったってオヤジが言っていたよ」
互いに、触れるべき所を弁える。
ライアはパブの常連の一人で、僕は酒とつまみを差し出す商売人、それだけだ。
そこから一線を越えてしまえば、僕と彼の関係が変わらざるを得ないだろう。
そして、その先に優しさがないことを知っているから、僕もライアも、足を止めるのが最善と判断する。
ただの、当たり前なことにすぎないのだ。
「今晩はロースト・ターキーをつまみにウイスキーか、楽しみが増えたな」
「この間みたいに、酔って喧嘩はやめてくれよ、掃除が大変だ」
「まあ……うん、そうだな。せっかく頭にまで上り詰めたんだ、互いのために、自重はするさ」
そこでようやく、ライアがそれまでとは作り笑いとは違う、僅かではあるが楽しげな笑みを浮かべた。
それを見て、僕も安堵の息を小さく吐きながら、
「なら、鳥を運ぶのを手伝ってくれるよな、お頭殿?」
「任せとけ。部下にばっか力仕事をさせていたから、体が鈍っていたとこだ」
それからは、他愛のない世間話をしながら歩いていた。
いくつかの道を曲がり、曲がり、曲がっていったところでようやく、薄暗くも陰気でもない、人の多いメイン・ストリートへと出る。
道沿いに店を構える建物はどれも大きく、一定の間隔で灯っている灯りのおかげで薄暗い中でもずいぶん明るく感じられた。
ガラガラガラと道の真ん中を馬車が行き交い、両端をぞろぞろを人が通る中には、不穏な空気は感じられない。
少しでも裏へと踏み込めば、盗みはもちろん、奴隷や違法物品の売買、殺しに至るまで、役人もロクに干渉しない――できない、とも言えるが、この際どちらでもいい――無法地帯があるのに、この空間だけが、それとは隔絶されたような雰囲気を醸し出している。
それはまるで、うっかり見てしまった現実から目を逸らした子供のようで。
ここが正しいというよりは、むしろ、ただ表面上だけでも安定していることを主張しているようだった。
「ずいぶん人通りが多いな」
「クリスマス、って感じだな。家族連れとかカップルばかり……オレたちみたいに、野郎同士で歩いている奴はいないか」
「それは言うなよ」
人の隙間を縫うように歩きながら、馬鹿笑い。
これも、いいんじゃないか?
悪友と二人でクリスマスの道を歩くのも、いいじゃないか。
小さな繋がりでも、そこに価値を見出していれば、上出来だ。
「おっ、なんかいい匂いがするな」
「たしか近くに、旨い店があったっけ……俺は行ったことないけど」
「なら、今度行ってみるか? オレも、一人で高いメシを食うよりかはマシだろうしな」
立ち並ぶ店は、実に様々だった。
オヤジのいるパブよりもずっと繁盛していそうなバーがあれば、中からうまそうな匂いを漂わせる大衆食堂、見た目を気にしたがる若い娘が嬉しそうに入っていく洋装店等多岐に渡り、僕とライアはそれらを適当に冷やかしながら歩いた。
「こんな所、かわいい子と歩いてみたいもんだなぁ、アイン?」
「それを俺に訊くのか……まあ、そう、思わないでもないな」
別に、悪友と練り歩くのも悪くなかったけれど、上機嫌なライアに合わせる形でそう口にした時、
『――いつか2人で、この日にお祝いしようね』
どうしてか、不意に頭の中を言葉がよぎった。
それは、10年前に交わした約束。
一緒に痛みを受け、泥水を啜り、一欠けらのパンを分け合った人との、脆くも固い口約束。
彼女は、今、どうしているだろう?
あの時の約束を、覚えているだろうか?
あれは冗談半分のモノで、既に忘れてしまっているのだろうか?
それとも、――
「目的の店は、どこだっけ?」
「そうだな。たしか、もう少し行った先の、……」
ライアに訊かれ、僕が答えかけた時。
「……? どうしたんだ、急に立ち止まったりして」
「…………」
不意に黙り込んだ僕に、ライアが怪訝そうな表情をした。
「…………」
だけど、僕は答えなかった。
いや、答えられなかった。応えることができなかった。
立ち止った僕を、道行く人が迷惑そうに避けていく中でも、動こうという思考が湧かなかった。
「ぁ……え……」
僕は、その場に釘付けになっていた。
視線も、1か所に向けたままで止まっていた。
前方、向こう側からゆっくりと歩いてくる、一人の女性へと注がれていた。
「どうして……?」
「おい、どうしたんだ? どこを見ている?」
その女性は、酔ったようにふらふらとおぼつかない足取りで歩いていた。
防寒具の類は身につけず、所々に装飾の施された服にはスリットが多く、露出した肌色は直視しづらいのか、周りの人間は敢えて彼女を避けて歩いているように見えた。
(――知っている)
僕は、彼女を知っている。
その姿を見ただけで、奇妙な懐かしさを覚えた。
この辺りの地域では珍しい黒い髪は長く、後ろで一つにまとめていて、顔は白いを通り越して青白く、目はどこに焦点を定めているかも分からないくらい所在なさげに彷徨っていて、口元には作ったような笑み。
僕は、彼女を知っている。
随分と変わっているけれど、知っている。
一目見ただけで、そうだと分かった。
「ん……あれれ~?」
彼女も僕に気付いたのか、目を僕に向け、ヘラヘラと笑いながら駆けてきた。
駆けてきて、
「う……おっとっと」
道端の石に躓いて、よろけ、辛うじて踏み止まる。
「こうしてお話しするのは、久しぶりだねぇ」
「あぁ……俺も、久しぶり、だな」
声は、ほとんど変わっていない。
顔も、変わっているように見えたけれど、根本的な部分は昔のまま、笑みの作り方も、変わっていなかった。
感情は湧かない。
身を焦がすような嬉しさも、頬を濡らすような涙も出てこない。
それは、捉えようもない感情に塗れたプレゼントとして現れ、
「5年ぶり、かな」
「そうだねぇ~、5年ぶり、5年ぶり」
何の緊張も、感慨もないまま。
僕と、彼女――かつて苦痛を共にし、5年前に分かれた〝彼女〟は、向かい合った。