電撃訪問
ようやく自分の足で、結衣のいる病室まで来れるようになった。結衣のいる病棟は、遼がいた場所とは違った雰囲気があった。入院している患者の表情が、どこか曇っているというか。治る見込みの立たない患者もいるのだろうか。そんな空気の重さを感じる。
『橋本結衣』と書かれたネームプレートを見つけると、遼は一つ深呼吸をした。荻野には今日退院することを、既に伝えている。恐らく結衣と会話しているのではないだろうか。中から声がした。
「こんにちは、失礼します」
扉を開くと、目を丸くした結衣が立っていた。遼がいきなり入ってきたので、驚いているようだ。彼女には黙っていたので、無理もない。
「ど、どうしたの。歩けているじゃない?」
結衣が声を震わせて、遼に尋ねた。
「退院することになったんだ。その前に結衣にどうしても会いたいと思って。だからここへ来た」
結衣の元気そうな顔を見て、一安心の遼であった。
「ねえ、荻野は知っていたわけ?」
「ああ、もちろん。僕から会うようにお願いに行ったからね」
「余計なことを……」
結衣が照れくさそうに話す。荻野は本当は会いたかったはずだと確信していた。
「じゃ僕はここで。後は二人で心行くまで話してね」
部屋を出て行く荻野に、遼は一礼した。そして二人きりになった結衣の部屋。待ちに待った瞬間のはずなのに、結衣は何も喋ることが出来なかった。心の準備が出来ていれば、こんなこともなかったのに。
「最近、小説は書いているの?」
いきなり遼が尋ねてきた。戸惑う結衣。
「書いているよ。書いているけど、最近は息詰まっているかな」
「息詰まることもあるんだね。いつもスイスイ書けるわけじゃない……」
独り言のように、遼は話した。そしてバスケについて語り出した。
「バスケも同じだよ。大会前、あまり調子が良くなかったんだ。不安を抱えて臨んだら、案の定、膝をやってしまった。」
感傷的になっている遼を見て、なぜか結衣は感動していた。<光>の遼はいつも見ているけれど、<影>の遼はなかなかお目に掛かれない。貴重な姿を見れた気がして、ウルッと来たのだ。
「遼にも不調の時はあるんだ」
「そりゃあるさ。でも今回は結衣に助けられた。もう一回バスケをやってやるぞって。本当は辞めるつもりだったんだ。やる気にさせてくれたってことで、そのお礼を言いに来ました」
「お礼?」
結衣はむず痒かった。誰かにお礼を言われることなんて、あまり慣れていない。いつもはわがままばかり言って、怒られてばかりなのに。
「お礼だなんて。私はファンだったから、当然のことを言っただけ」
「いいんだよ、それでも。今度試合があったら、観に来てよ。結衣のためにプレーするからさ。僕は今まで誰かのためにプレーはしたことなかった。でも今度の復帰戦はぜひ結衣のために頑張りたい」
遼の言葉に、結衣は猛烈に感動していた。何という素敵な言葉だ。
「うん。私も復帰戦、観に行くから。その時まで体調を良くするね」
分厚かった灰色の雲が、真っ青の快晴に変わった瞬間であった。そして思い込みはもう止めようと誓った。
「結衣も小説頑張ってね」
「ああ、そうだ。前に小説を見せてあげるって言ったよね。実はネットに連載しているものがあるんだ」
結衣はノートの切れ端にURLを書いて、遼に手渡した。URLには結衣が書いた完結作品が掲載されていた。
「ありがとう。ぜひ読んでみるから」
「良かったら、感想聞かせてね」
結衣は笑顔だった。遼はそれがとても嬉しかった。恐らく何らかの理由が結衣にはあったのだろうけれど、それは敢えて聞かないでおくことにした。
「どこへ行ったのかと思ったけど、やっぱり結衣さんの所へ来てたんだ」
声の主は、アユミだった。恐らく遼を探して、ここへ来たのだろう。やれやれといった様子である。
「こんにちは、結衣さん」
挨拶をしたアユミに、結衣は軽く会釈した。
「悪い、悪い。どうしても結衣さんに会って挨拶しておきたかったから」
申し訳なさそうに、遼は言った。結衣の中で、またマイナスの考えが浮かびそうになった。けれども今回はそれを振り切る。余計なことを考えるな。結衣は心に誓った。
「結衣さん、具合が良さそうで何より。また遼が会いたいって言ったら、今度は会ってあげてね。こう見えても寂しがりやさんだから」
「余計なこと言うなって」
遼は照れくさそうに言った。
「もちろん。私は遼のファンですから。彼に呼ばれたら、いつでも行きます」
結衣が元気になればいい。そうすれば遼に会うことができる。結衣の中で、スイッチが入った瞬間であった。