大人だけど子供みたいな
/ 「a man × a woman」 / -前編- side:光
――僕は今、何故かお見合いに来ている。
スーツを着て、仲介人である母と共にお見合いの場である料亭の廊下を歩いていた。
母は僕よりも数歩前を歩き、僕がその後ろを付いて行く構図だ。
和風作りのその料亭の廊下は、ただただ襖が続くばかりでどの部屋に向かっているのかも見当がつかない。
少し足を引きずりながらだらしなく歩く僕とは対照的に、母はきちんと背筋を伸ばし、美しい姿勢で歩いているので
その着物姿が妙に様になっている。
そしてどうにも機嫌がいい様子だった。おそらく、おせっかいをやくのが好きな母のことだ。
この突然決まったお見合いにもノリノリなのだろう。
(というか、ホントいきなりだったよな。)
僕がここにいる経緯は、およそ一ヶ月前まで遡る……。
それはお盆のころ、一度実家に帰省したときだった。
「そうそう、光、実はあなたには幼い時に決めた婚約者がいるの。」
父と母と僕で一緒に席について夕食を食べている時なんの前触れもなく母がそう言った。
当然、そんな話を唐突にされて困惑しない訳がなく、机の上に置かれたおかずの鶏の唐揚げを取ろうとした僕の箸は完全にとまっていた。
驚いた僕は目を見開き、顔だけ母の方へと向け、硬直した。
しばしそのまま無言で硬直。なんと反応するのかに困り、やっと出てきた言葉が「は?」という気の抜けた言葉だった。
「だから、あなたには一応婚約者がいるのよ。厳密には、婚約者候補とでも言えばいいのかしらね。
実はお父さんの学生時代からの親友にもあなたと同い歳の娘さんがいてね。
昔、『お互いの子供が25歳になっても恋人がいなかったら結婚させよう。』って約束してたらしいのよ。」
僕は父を見た。が、父は何事もないかのようにただ黙々と母の料理を食べ続けている。
僕は取りかけて止めていた箸を唐揚げに伸ばし、一つ取って口の中に放り込んだ。
唐揚げを飲み込み、白米を口の中へかき込んだ。
そして母はお茶を啜ってこう続けた。
「それで先週、その相手の女性が恋人がいないまま25歳になったらしくてね。
あなたに恋人がいればこの話もなかったことになったんだけど、最近別れたって言ってたでしょ?
だから相手方にその話をしたら、『是非どうですか?』って正式に申し出があったのよ。」
「つまりそれって……――。」
「そ、実質上のお見合いってことになるわね。で、どう?興味ない?」
「全くもってない。」
僕は即答した。そして茶碗に残った僅かなお米を一気に食べ、箸を置いた。
「どうしてー?いい機会じゃない。会うだけでも会ってみれば。
ちなみに、これがその娘さんの写真よ。」
そう言われて渡された冊子には、一枚の写真と経歴が書かれていた。
僕はまずその写真に写った女性を見た。……が、容姿だけを見れば悪くはなかった。むしろ美人と言える部類に入ると思う。
やはり、まずは容姿を見てしまうのが、男の性というものだろう。
しかしこの女性、何処かで会った気がする……。
そんなことを考えながら僕は母に麦茶をいれてもらい、それを一口飲んだ。
まあ、それは置いといて次にその経歴を見たが、そちらはいたって普通のものだった。
普通の庶民の家に生まれ、普通の大学を卒業し、そして今はアクセサリーショップで働いているみたいだ。
なんて上から目線で思ったが、普通の高校を卒業して一般企業のサラリーマンとして働く僕が、
きちんと大学まで行って勉強した人に上からものを言うのは、失礼というものだ。
一通り目を通し、僕は母にその冊子を返した。
「どう?ちょっと会ってみる気は湧いた?」
母は期待を込めた目でこちらを見つめていたが、僕の気持ちはやはり変わらなかった。
いきなり見ず知らずの人と会うのもなんだか気が進まないし、
それに相手にはもしかしたら、付き合ってはいないがずっと想っている人がいるかもしれない。
そう考えると、流れでお見合いなんかさせたりしてしまっては悪い気もする。
「ごめん母さん、やっぱり断わるよ。」
そう言うと、さっきまで無表情かつ無言で夕食を食べていた父が少し残念そうな顔をした。
2人に申し訳ない気持ちもあったが、僕はそこできちんと断わって、実家から帰ったので
そこでこの話は終わったものだと思っていた。
だが、それから数日経ったころ母から電話があり、再びそのお見合いの話をされた。
僕はもちろん断わり続けたのだが、とうとう母の粘りに負けてしまい、僕の方から折れて
まぁ、会うだけなら、と返事をしてしまったのだ。
それからトントン拍子に話はすすみ、縁談の話は着実に進められていた。
と、いうわけで僕は今ここにいた。
今となってはやはり根負けせず断わっておくべきだったな、と心底後悔していた。
僕は本日数度目の溜め息をついた。本当に憂鬱でしかない。
それにこんな気持ちで会っても、相手の人に失礼と言うものだ。
そう思うと僕の気持ちは落ち込むばかりだった。
ようやく同じ景色ばかり続く廊下を抜けて、母が足を止めたのはおそらくこの料亭で一番奥にあるであろう部屋だった。
母は「失礼します。」と一言言い、その襖を両手で開け、僕に先に入るように仕向けた。
部屋のなかには机と4枚の座布団が置かれていて、すでの相手の親御さんと、写真の女性が座っていた。
実際に会ってみるとその女性は写真で見た以上に美人だった。加えて着ている着物が様になっている。
僕はその親子を見比べていたのだが、やはり少し似ていた。目が似ている気がした。
僕が先に相手の女性の正面に座り、母は襖を閉めてから僕の隣に座った。
親と親、子と子が向き合うような構図だ。
そこでは「この度は……――。」などと親同士のあいさつが交わされていた。
そして挨拶もそこそこに、お互いの紹介が始まった。男である僕から挨拶を始めるのだが、少し緊張する。
「僕は関本 光と言います。職業は貿易関係の会社の普通のサラリーマンです。趣味は……」
こんなにお見合いが緊張するものだなんて思わなかった。
それ以前にこんなに緊張すること事態が、久しぶりだった。
自分がおぼえている限りでは、最後に緊張したのは今勤めている会社の採用試験の面接の時だった気がする。
がちがち、とまでは行かないがかなりの緊張具合で、
後半の挨拶はたじたじだったがなんとか最後まで噛まずに言い終えられた。
そして、相手の挨拶が始まった。
「私は吉野美奈といいます。
職業はアクセサリーブランドショップ"Heaven's door"本店で従業員として働いています。」
やはり、と僕は思った。
これだけ綺麗な女性なのだ。僕はアクセサリーショップとか化粧品とか、
そういった美容系統の商品の接客をしているに違いないとある程度想像していたからだ。
しかし、それ以上に僕には聞き捨てならない言葉が飛び込んできた。
"Heaven's door"
日本の女性で、このブランド名を知らない女性はまずいないだろう。
主にブライダルアクセを専門としていて、結婚指輪なんかは特に有名だ。
一度はつけてみたい憧れのエンゲージリングのブランド、それが"Heaven's door"なのだが
実は最近、僕はその"Heaven's door"本店へと足を運んでいる。
前まで付き合っていた彼女にプロポーズしようと、必死に働いて貯めたお金で結婚指輪を買いにそこへ行った。
結局プロポーズする前に彼女と別れてしまい、その指輪は僕の自宅のデスクの引き出しの中にしまってある。
(そのとき僕の指輪選びを、そこの店員さんは深身になって手伝ってくれたんだよな……。ってあれ、待てよ…?)
僕は再びその女性の顔を見た。女性はまだ自己紹介を続けていたが、そちらは上の空で
とにかくあのときの店員さんの顔を必死に思い出し、目の前にいる女性と照らし合わせた。
程なくして紹介が終わり、次にお互いへの質問が始まったのだが、僕はただなんとなくその質問に答えていた。
とにかくあのときの店員さんと似ている感じが拭えなくて、ずっと同一人物か確認したい気持ちでいっぱいだった。
隣では母が吉野さんへ質問を投げかけていて、母の質問に対する吉野さんの答えに、
僕はただ「へぇ」と相槌を打っていただけだった。
そして程なくして、仲介人を挟んだ会話を終えて、僕と吉野さんは2人で料亭の庭を散歩することになった。
これはいい機会だ。さっさと僕の疑問を解決してしまおう。
料亭の庭は蝉の鳴き声がやかましく、お世辞にもムードがいいとは言えなかった。
庭に出て歩きだして間もなく、僕は吉野さんへと疑問を投げかけた。
「あの……もしかして僕と吉野さんって、前に一度会ったことってありませんか?
いや、僕の勘違いならそれはそうと言ってもらって構わないんですけど……。」
僕は自分の疑問に確信が持てなかったので、自然と語尾の語調は弱くなってしまったが、
僕がそう言うと彼女は、にっこりと微笑んだ。
「ええ、会っていますよ。」
やはり……。予想が当たって少し嬉しい気持ちになる。
そして今度はさっきと対象的な悪戯な笑みをこぼして彼女は続けた。
「じゃあ、今度は私からの質問です。私達はどこで会ったのかは覚えていますか?」
「確か、"Heaven's door"の本店で吉野さんが僕のアクセ選びを手伝ってくれたんですよね?」
僕がそういうと、突然彼女は僕に抱きついた。
「え?えっ、ちょっ、吉野さん??」
もう、全くもって予想外な彼女の大胆な行動に僕は完全に固まっていた。まるで金縛りにあったかのように。
何せ、外見からして彼女がこんな大胆なことをするなんて思いもしていなかったし、
僕に抱きつく彼女の香水の匂い、桜の香りが僕の鼻腔をくすぐる。
紛れもなくそれは女性の香りであり、抱きつきながら僕を真っ直ぐに見つめる彼女の瞳は、
女らしく色っぽい艶かしさがあった。
「私、嬉しいです。貴方が私のことを覚えててくださるなんて。
でも、だからってこんなことイキナリしちゃだめですよね。ごめんなさい、驚きましたよね?」
そう言って彼女は僕から離れた。
ホントに驚いた。イキナリこんな大胆なことをする女性に始めて出会ったよ。
「まぁ、確かにちょっとは驚きました。」
苦笑いで僕は答えた。
実際、ちょっとどころではなかったが。
しかし、僕にはその理由を理解しかねる点がいくつもあった。
「……あの、どうしてそんなに喜んでいるんですか?
僕達って、その一回会ったきりの関係でしょ?それも客と店員の関係で会話したぐらいだし、
特に思い入れのあるような出会いらしい出会いでもない。
なのにどうしてそこまで……喜ぶことができるんですか?
まるで、何年も会ってなかった恋人との再会を喜ぶように。」
「…………――――。」
そう言うと彼女は黙り込んでしまった。
それと同時にさっきまで夏を一気に駆けぬけんとばかりに鳴いていた蝉達が急に鳴き止んだ。
一匹、二匹と次第に鳴く蝉が減っていき、最後まで鳴いていた蝉が鳴き止むと周囲は物音一つなく、静かになった。
今は、さっきまで蝉の声に隠れていたししおどしの音だけが庭中に響いていた。
そこで強い風が吹いた。それは彼女の長い髪を舞い上げ、風が止むと彼女の髪はさらりと元に戻った。
おそらく、よっぽど丁寧に手入れしているのだろう。
「そんなの……――。」
彼女は下を向いてそう言ったが、そこで言葉が途切れた。
そして、それから顔を上げて、僕の方へと向き直って、その瞳は真っ直ぐ僕を見つめた。
あまりにも勢いよくこっちを見られて、正直彼女の雰囲気に圧倒されていた。
「そんなの決まってるじゃないですか。
私……、私、貴方が好きなんです。初めて会った……あの時から……。」
「え……?」
その言葉に、今度はさすがに驚きを隠せるはずもなかった。
なんせ、一回出会いとも呼べない形で会って、再会して。それから2時間ほどで僕は今告白されているのだから。
けど、その状況をすぐに理解しろなんて無理な話な訳で。
時が永遠に止まったような感覚に襲われた。
けど、僕はともかく彼女は僕以上に時が止まったような感覚のなかにいるに違いない。
木々がざわめき、庭の池の水面が揺れる。
どこかの部屋から、料理を食べながら談笑している声が聞こえていた。
うるさいな。全くもってうるさい。談笑の声が?高笑いするおっさんの声が?
いや、違う。
うるさいのは、僕の心音だ。踊るように脈打ち、飛び跳ねるように高鳴っている。
僕は告白されている側で、緊張する必要なんてないのに……何故……?
彼女は更に言葉を続けた。
「一目惚れなんです。
初めて会ったあの日、貴方を一目見て好きになりました。
けれどあのとき、貴方がエンゲージリングを選んでいるのを見て、私の恋は始まった瞬間に一度終わりました……。」
彼女は一度空を仰ぎ見た。
それにつられて、僕も空を見上げた。雲ひとつ無い、まさしく夏らしい青い空だ。
「けど、私の恋は終わりませんでした。
少し異例な形ですが、私の恋は終わると同時に再び始まりました。
これを運命と思わずにいられるでしょうか、いえ、思わずにはいられません。
私はこの機会を無駄にしたくないんです。」
そう言って彼女は僕の手を包むようにして握ってきた。
さっきまで空を見ていた彼女は、再び僕に向き合い、真っ直ぐな瞳が輝いている。
けれど、少し風があるせいで潤っていた彼女の目が、少し乾いてるような気がした。
僕は握られた手を握り返すわけでもなく、また振りほどくわけでもなく、ただその手を見ていた。
そして彼女は一拍おいてこう続けた。
「……光さん、よろしければこの縁談、受けていただけませんか?
私は貴方となら人生を楽しく過ごしてゆける。そんな気がするんです。」
「…………――。」
今度は僕が黙り込む番だった。
無論、返事は決まっていた。ただどうやって断わろうか、それだけを考えていた。
一般的に考えて、こんな形で始まる恋愛が長く続くのだろうか?
確かに、彼女の容姿だけを見れば文句はないし、さっき話した限り、とってもいい娘なんだってことも分かる。
なにより、ひかえめな口調ながらも、そこには彼女の確固たる意志を感じる。
だけど、恋愛はお互いの想いが通い合って、初めて成立するものだ。
僕は、握られていた手を振りほどいた。
「すみませんが……――。
僕は貴方と結婚するつもりはありません……。
僕には、貴方がこのシチュエーションに酔っているだけに感じるんです。
それに、こんな短時間で人をホントに好きになれるものなのでしょうか。」
時間をかけて、お互いを知って、それでいい所も悪いところも見て。
それでもいいと思えるならば、恋人として付き合う。
それが僕の恋愛観だ。
彼女は悔しそうに唇を噛み締めていた。
それも当然だろう。僕も少しきついことを言ってしまったのだから。
なによりも自分の恋愛観が否定されたところにその悔しさは由来してるのだろう。
けれど、僕には彼女の恋愛観は絶対に信じれない、"トラウマ"があるから仕方が無い。
「吉野さんも知っての通り、僕にはつい最近まで恋人がいた。
その彼女とは婚約までしていたのも、だいたい想像できて……ますよね?」
彼女は僕の言葉に頷いた。
「その彼女とは中学2年のときから付き合ってたんです。
僕は本当に彼女が好きだったんです。そしてそれは相手も同じものだと思っていました。
子供のころからずっと一緒にいて、そして何よりお互いのことをよく分かっている……つもりだった……。」
この話は今まで誰にもしなかった。
両親にも、職場の頼れる先輩にも、そして学生時代からの親友にですら。
けれど、僕は彼女にはなんだか話してみたい気持ちになった。僕の、恋愛の"トラウマ"を。
ずっと立ち止まりながら話していたが、再び僕等は歩き始めた。
しばらくは無言で歩いていた。
ときどき宴会をしているおっさん達の声が聞こえる以外は、周囲は相変わらず静かで、
僕は彼女の歩調に合わせてゆっくりと歩いた。
数分の沈黙を破ったのは、彼女だった。
「……その彼女とは一体何があったんですか?」
彼女は恐る恐る、と言った感じで僕に尋ねて来た。
おそらく、そう簡単に踏み込んでいい問題じゃない、これが僕の心の闇だということに気付いているのだ。
僕は、努めて明るい声で答えた。
「ずっと僕等2人はお互いのことを思い合ってきました。
だけど僕よりもずっとかっこよくて、お金も地位も名誉も持っている男の人が目の前に現れたら
その彼女はあっさりと僕の元からいなくなったんです……。」
「そんな……。」
そう言って彼女は悲痛な面持ちをした。
「10年以上一緒の時間を過ごしたのに、結局僕は彼女の心を僕の元へ留めておけなかったんです。」
「…………。」
彼女は何も言わなかった。
僕は彼女を見た。横顔しか見えなかったが、彼女が自分のことのように悲しんでいるのはその表情から伝わった。
「分かりますか吉野さん。長い間一緒にいても、すれ違いが生じるのに、
まして出会って数時間でお互いを好きになって、人生の伴侶としてその相手を選んだ所で
結局すれ違って本末転倒になることは、火の目を見るよりも明らかなんです。」
いよいよ彼女はなにも言い返せなくなっていた。
「仮に貴方の気持ちが本当でも、僕のことを貴方は何も知らない。
僕がどんな人間か貴方は知らな…………」
「……そんなことはありませんッ!!」
不意に彼女が叫んだ。
想像もしなかった大声を出されたせいで、僕の体はびくっと僅かに跳ねた。
大声を出されたこと以上に驚いたのは、もう彼女は反論できないと思っていたのにも関わらず、
僕が反論されたことだ。
それは彼女の目いっぱいの反論だった。
それと同時に、僕の恋愛に対して臆病になっている気持ちを奮い立たせるための
起爆剤となるような、そんな感じで僕の心へと響く叫びだった。
「私は貴方が、どれだけ優しくて、どれだけ相手を純粋に思うことが出来る人間かを、
よーーく、知っているつもりです……!!だって初めて会った時、貴方は……――。」
そして彼女は、僕と出会った日のことを語り始めた……――。




