僕のよふねの目覚めのこと
最終話です。
僕は相も変わらずここ、『春陽』で働いている。
店も変わらず、僕が働きだした5年前から変わらない。
僕はやっぱりネガティブだし、アルバイトの身分を“享受”している。
他にやりたいことは見つからないが、最近はもっと広い世界に出てみようかとぼんやりとだが思ったりしている。まだ春美さんには話していないのだが。
万年アルバイターの僕がこんなことを言い出したらどんな反応が返ってくるのだろう。
ああ、そろそろ言ってみるものおもしろいかもしれない。
あの人がいなくなってからしばらくして望月さんから手紙が届いた。
これまでにも何度か手紙のやり取りはしていたが、彼女の就職先が決まってからは一度も合っていないし話していない。
黄色の封筒の裏には『望月 智』と強く濃い字で書かれており、中には“緊急”連絡先と、実は僕と同じような考え方になり人と関わることに疲れて仕事が続けられなくなって辞めたことと、最初に渡した名刺はちょっとした大人の意地だったんだごめんね、と実に彼女らしい内容が綴られている。
じいさんが死んだのはもう半年も前のことだ。じいさんはたまに奥さんを連れて春陽へ通ってくれた。
常連さんの中でも僕はじいさんに一番なついていてよく店中にからかわれた。
あのお喋りなじいさんが奥さんと話すときだけはゆっくりとした口調になるのでそれが妙におもしろくて、時折微笑ましく思うその時間が僕は好きだった。
あの時僕はじいさんの自宅にいた。古い木材の匂いのする台所の側の部屋で奥さんと僕と二人で看取った。
じいさんは『先に逝かないでくれて嬉しい』とつぶやいてから数時間後かに静かに去っていった。
あのいつもの笑顔は見れなかったが、同じ顔を奥さんがしていた。不思議なものだ。
じいさんが死んだ後の僕は、久しぶりに大泣きした。仕事もできないくらいに一週間泣き続けた。じいさんを思えば悔しさが溢れ出て、じいさんを思って泣いているのか自分が悔しくて泣いているのかわからなかった。
ただ不思議なことに泣きわめいていても、僕がじいさんに問いかければいつも通りに返ってくる。
もう新しい言葉は紡がれないのに。そのことにもっと涙したが、泣き止んでみれば水分がなくなってカラカラの頭に僕のすべきことがぼんやりだが形作っていた。
遺された者は、逝ってしまった人が残した人生を自分の人生に加えて生きるのかもしれない。“僕”の輪の中にその人が溶けこむような。
じいさんの場合だって、もちろん僕の人生だじいさんの生を背負うわけじゃない。
ただ、そこかしこにじいさんがいる。思い返せば子どもの頃に失ったあの子もいる。
彼らが僕を形作るモノの中に死という形で深く刻ませることは仕方のないことなのだろう。生と死の交わり合う場所はそう作られている。
だが、結局のところ理由は何でも良いしどれも正解だ。
「あのおじいさんは芦名くんにとってのキーパーソンの一人だったんだね。」
いつだったか、春陽さんが陽介くんをあやしながら言った言葉だ。
小さな息子に向けたくしゃくしゃの笑顔を見ていると、ああそうかと深く開いてしまった穴にすとんとはまった。
なるほどそうだったのか。
店を休んでいる間、実家に帰って両親とじいさんのことを話したが、二人にも春陽さんと同じようなことを言われた。
久しぶりに会った両親は記憶している姿よりも老け込んでいたが、話している時は僕を探るようで優しい目をしていた。
何度か見たことがある眼差し。こんな簡単なことに気づかなかったのは少し損だったな。
僕はおもはゆくなり苦笑した。
じいさんは最後に見事なもう一つの深く開いてしまった穴を僕の中に掘っていったが、これも少しずつ土が被さって埋まっていくのだろうと思いたい。
最後まで『嬉しい』と言い続けたじいさん。俺も嬉しいよとじいさんを思うたびに涙しながらつぶやく。
そんなことを思いながら望月さんからの手紙を閉じて指で辿り『望月 智』の字をしばらく見つめた。
あのくるくる変わる表情を浮かべて書いてくれたのかなと思えば僕も同じ顔で笑えたような気がした。
終
最後まで読んで下さりありがとうございました。
この話は、もっと長編になる予定だったんですが淡々とした文章で書きたくなりこの形になりました。
芦名くんのひねくれた子どもっぽい性格と素直に優しくありたいと思う気持ちの2層性を生ぬるい目で見てくれれば…と思います。
それでは、最後までお付き合いくださりましてありがとうございました。
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