灰春論理 Freak Logic
どうでもいいことを考えて、くだらないことを数えて、つまらないことを並べよう。
周りとうまくやれないのは、自分が他人とは違う特異な存在だからだと結論づけて、己を誤魔化す。
地に足のついていない問題ばかり解くのが得意で、成績と知能指数を安っぽいプライドにしている。
脳味噌の製造途中、ド派手に大事な部品が吹っ飛び、真っ逆さまにクスリ漬けになった。
変な小説、変なアニメ、変な映画、変なゲーム、変な音楽を洗いざらいさらって、ウソの孤独を気取った人間嫌いの寂しがりや。
他人の痛みを想像することを放棄して、衝動で行動する怠惰さ。それを病気や狂気だと勘違いしていることに気づいていないフリをする。
頭に次々浮かぶのはありふれた、何千周もした自己否定。現代文の授業をやり過ごすためのマゾ趣味な思考の自慰でしかない。
小賢しいガキの例に漏れず、僕は国語の勉強をする必要が無いタイプだ。
だからといってこんな下らない思索なんかやめて黒板の森鴎外を一行でも読んだ方がまだマシなのは明らかだった。
どうでもいいな。
前の席の女の子がカミソリで腕を切っていることくらいどうでもいい。
血。刃物。
それより、煙草が吸いたい。
煙。火。
『このナイフとライターは、どんなときでも肌身離さず持ち歩かないといけないよ。刃物と火はね、ヒトがヒトである証明なんだ。鳥にとっての羽、犬にとっての牙、熊にとっての爪、蛇にとっての毒。人間にとってそれは刃物と火なんだ。だから常に刃物と火を持ち歩くんだよ。いいね?』
はい。パパ。
いつのまにか昼休みになっていた。机の下のスマホが通知で光る。
「お父さん」からだ。
『今日も遅くなりますか?』
返信をしよう。「お父さん」に心配をかけると、大変なことになるのだ。
『そうですよ。健康上の問題や、不純異性交遊による事故、人を殺害するといった心配は無用です』
物心着く前から、「猟奇殺人」は僕の生活の中に当然のように存在するものだった。地下室からパパが血まみれで出てくるのが我が家では当たり前だった。
パパは殺人の全てを愛していたし、全ての殺人に愛されていた。趣味を存在意義にしている大人は大勢いるが、パパにとってそれは殺人だった。
父親は息子に自分の好きなものを教えてあげたいと素朴に思う生き物だ。
そう、草野球が趣味の父親が子供とキャッチボールをしたがるように。スキーが趣味の父親が息子をスキーに連れて行くように、パパは僕に殺人を教えた。
生まれてから十年間、およそ殺人とそれにまつわる知識と技術の全てを教わった。
親の贔屓目かもしれないけれど、犯罪史上で最多最悪の連続殺人を成し遂げ、連続殺人ブームの原因であり、熱狂的なカルトファンの大量発生を起こし、生きながら殺人鬼として神格化されたパパは、僕を殺人鬼の天才だと評価した。
知識や技術はすぐに飲み込み、手足のように振るえる。
なにより飛び抜けた「視る」才能があるとパパは言った。
さらっと言ったが、連続殺人ブームはブームという一過性の流行を越え、文化として根付きつつある。
日本の新たなガラパゴス・カルチャー。ジャパニーズ・サツジンキ。
パパは日本の殺人鬼にとっての宮崎駿であり、手塚治虫であり、ビートルズであり、カート・コバーンだった。
猟奇殺人というカルチャーをゼロから再解釈し、再構築し、そして根底から新たな価値を提示するまで殺し続けた、殺人鬼の王。
それが英識裕貴 。
僕はその息子の英識十一。
十一。11。トランプのジャック——切り裂きジャック。どうでもいいね。
しかし、それがパパの愛だ。
僕がクソ最低な化け物の息子だってのは、次の父親の息子になって、杉下問知に名前が変わっても変わらない。
三桁を軽く越えるかわいそうな羊達の悲鳴を止めたのは杉下という刑事だった。
捜査一課のキャリア組。パパが同じくキャリア組として捜査一課で警察の捜査を現場で学んでいた時期の先輩で、パパを逮捕した張本人だ。
怪物の息子を管理、監視するという組織的意図で組まれた養子縁組という前提がありながら、ただ、お父さんは僕のことを愛しているらしかった。
しかしパパだって僕のことを愛していたのは事実なのだ。
僕は歩く先を塞ぐクラスメイトに「どいてくれないかな」と思いながら視線を向ける。
柔道で県大会に出場したという男子生徒はビクン、と飛び退いた。しかし、目の前の女子生徒二人、とくに黒い髪の方の女子の目を気にして不自然に元の位置に戻って、僕が見えていないかのように会話を続ける。
「通して」
「で、そこで止めたら駄目なんだよ。もう無理千切れるんじゃねえかってところを——」
「ブレザーに茶色で長いアイロンでカールさせた髪の毛がついてるので取った方が良いよ」
茶色で長いアイロンでカールさせた髪を指で弄っていたもう一人の女子がフリーズした。
黒髪の女子が男子のブレザーを見て髪の毛を見つけて眉を顰めた。その場の空気は最悪な感じになる。
僕は手を伸ばして髪の毛を取ってあげた。
「ああ、サンキューな」
お礼は相手の目を見て言うべきだと思う。
僕は相手の目を見ながらどいてくれたことに礼を言い、教室を出た。
「その瞳は、全てを見抜いて暴きだし、他者を感覚から支配する。
殺人の原理を体現するかのような、十一だけの特別な美しい魔眼だよ」
とパパは言った。
「その瞳は、理解を恐れず拓かれて、言葉を恐れる代わりに吠える。
孤独に愛された人なら誰もが持っている、とても可愛らしい死んだ眼です」
とお父さんは言った。
僕は歩くのが好きだ。一種のクセと言っても良い。学校は電車を乗り継いで通う場所にあるが、僕はいつも帰りに電車を使わず歩いて帰る。家に着くころには日が完全に暮れているが、なんか歩きたいんだよ。電車が嫌いだ。
夜と言っていい時間帯、てくてく家に向かって歩いていると、路地裏で銃声に似た破裂音が連続して響いた。僕以外の誰も気に留めない、小さい音だった。サプレッサーを着けた銃の発砲音ではない。それは経験から確信があった。僕が本能的に感じたものは、その音の匂いや温度のようなもの。ただ事ではないとほとんど直観していて、僕はなにがあったのか確認しに行った。
あとになって思う。僕はあの時路地裏に踏み込むべきだったのかどうか。
こういうとき、踏み込んでしまうから僕はずっと怪物の息子として生きるしかないのか。
でももし、このときに踏み込まなかったら僕は怪物になってしまっていたのかもしれない。
しかしこの時の僕は、踏み込んだことを心の底から後悔していた。
「やばいね!『純血』!この半グレさんたち、殺す気全開だね!ねえ、『センセイ』は『王子』を『俺以上の神童』って言ってたよ。でもねでもね、私だけは届くかもしれないって『センセイ』はいつも褒めてくれてたんだよ。
『お前は充分過ぎる才能がある。なにより先天性のサイコパスで変態だから、そこだけはトイチに勝ってる。あいつは優しすぎる』
って言われたよ。でもなんで殺人鬼になんてならなくちゃいけないんだっつーの。ねえ?あ、でもでも『英識十一』は別に後継者になるために育てられたんじゃないんだよねっわた——」
「ちょっと、静かにして」
「あーごめん……だって『純血』だよ?『殺人鬼の王子』だよ?本物だよ?」
数分前。
僕は路地裏で吸血鬼を見つけた。髪は完璧に白く脱色しているのにも関わらず、まるで織りたての絹のように美しく、しかし無造作に伸ばされている。色素が薄い瞳。三次元存在の臨界に到達している楽園の陶器みたいに白い肌。
吸血鬼が入れ墨の男の血を飲んでいた。
しかし、僕は彼女が吸血鬼で無いことを知っている。
血を飲み込んで、口の中をもごもごさせ、僕の方を見た結城真白は、僕に銃口を向けた。
僕は両手をあげる。
「玩具だよ」と彼女は言って笑う。
パーツのほとんどを金属製に、インナーバレルが窒化チタンコーティングに換装してあるモデルガンは玩具じゃない。地面を見るとうずくまっている半グレのそばでアルミ製BB弾がきらきら散らばっていた。
ああイカれていると思った。どうしよう。
どうしようも、ないんだけれど。
獣のような目つきが驚きに見開かれ、少女のそれになる。
「英識、十一?」
ああ、そうだ。僕は英識十一だった。そして僕のことを英識十一と呼ぶ人間に対して、僕はなにかを背負わなければならないのだ。
「病院行きなよ、結城真白」
「行ってますよーだ。でも薬が足りなくて、半グレさんから奪おうと思って逃走中」
結城真白。「英識裕貴の後継者」たりえる怪物になるよう、幼い頃に誘拐されて僕の家のはす向かい、「スカーレット・ホーム」に集められ、殺人鬼として育てられた子供。
逮捕後、英識裕貴が自著で「唯一、ほとんど完成している」と評した成功例で生き残り。失敗作はほとんど処分された。
会うのは初めてだった。僕はパパにとってあくまで「息子」であり、パパは僕に自分の後を継がせようなどとは考えていなかったので、スカーレット・ホームに入ったことは無かった。パパなりの育児でこうなっただけだ。パパは何人もの子供を本気で殺人鬼にしようと育てている経験と比較して、僕を「殺人鬼の天才」だと評価した。
しかし彼女は違う。「次の英識裕貴」として、殺人鬼として育てられた危険な被害者だ。
パパの信者は結城真白を「殺人鬼の姫」と呼んでいる。彼女がいたから僕は「殺人鬼の王子」として扱われなかった側面は事実ある。そして監視の目と永い洗脳に抗って逃走しパパの逮捕の糸口となった少女。
ヴァンパイアな殺人姫は楽しそうにニコっと笑う。
血のついた口元から覗くのは人間にあるはずのない牙。先端が刃物の様に研ぎ澄まされている、皮膚を突き破り血を吸うためのジルコニア製義歯が都市の光を反射して月の様に輝く。
「ずうっと会いたかったよ。トイチ」
だから僕はいま大勢の半グレ集団に囲まれている。
僕がライナーロックの折りたたみナイフをポケットの中で触りながら逡巡している時、真白は特殊警棒を折りたたんでハンティングナイフをとりだした。
「真白は、人を殺したことあるの」
もし、そうなら。彼女の地獄の上に僕が立っているのなら。その時は。
そう決めていた。でも。
「無いよ。ナイフで殺さないくらい余裕でしょ」
「刃物は人間にとってなに」
「鳥にとっての羽。犬にとっての牙。熊にとっての爪。蛇にとっての毒」
「だからこんなとき、使っちゃだめだよ」
僕は学校指定バッグからステンレススチールの折りたたみ杖を取り出した。
「なんかわかるかも」
真白は特殊警棒をもう一度手に取ってふらふら揺らし、改造モデルガンを構える。
「なにが殺人鬼だコラてめえクソが人なんてやる気ありゃ余裕で殺せるわボケ世の中舐めんなガキてめえおいコラクソが」
そう、それを動機にパパが考案し、提示した代表的な新地平。連続殺人の新たな文化。
『殺し合い』。
僕は高く振りかぶった凶器に視線を誘導させ、すねの一番痛い場所へサッカーキックをぶち当てる。
真白が改造モデルガンを乱射するとかなり集団が統制を失う。あんなの当たったら痛いじゃすまないから当然だ。
真白は反射的にうずくまった男の頭に警棒をフルスイングし、無理矢理口に突っ込んで電流を流す。
バチバチと派手な音が鳴り、男の身体が狂ったように痙攣して涙を流しながら失禁し、噴き出しきれなかった吐しゃ物が気管に逆流して——ああもう。
しかし、あまりのグロテスクな光景に敵の視線が釘付けになっている。その数秒で十人程の半グレを事務作業の様に気絶させていく。意識を失う箇所に意識を奪う衝撃を与えるだけ。服を畳むより僕の身体に染み着いている。
僕は真白の頭をぴしゃりと叩いて悪魔の時間を終わらせる。
街中はまずい。警察沙汰は避けたい。逃げ切れば奴らも通報はしないだろう。
僕と真白はパパから教わった逃走用のパルクールで奥へ、奥へと逃げていく。暗い、暗い方へ。闇の匂いが濃い方へ。言葉を交わさなくても息は合う。だって、僕らは同じように壊されたもんね。
そうして一番黒い匂いがする場所で、最悪が待っていた。
シグネチャー、という言葉がある。連続殺人犯が自身の殺人を完遂させなければならないために同じ痕跡を残す、捜査の手がかりだ。これはMO(犯行手口)とは違い、殺人を犯す理由そのものなため、原則として殺人鬼は変えられない。それは例えば目をくりぬくであったり、皮を剥ぐであったり、殺害方法が必ず絞殺だったり。
『この場合』は星座、つまり、まず殺した相手の誕生月の星座を構成する星の数に身体をバラバラに切り刻む。当然血液に代表される人間の内容物がぐちゃぐちゃに飛び出るので、そこを中心として少し離れたまっさらな地面、黄道十二星座に対応する場所を「キャンバス」として、一生懸命切り刻んだ死体のパーツを星座の形になるよう、星の位置に置いてから血液で線を引き、「さそり座」を死体で表すことだ。
コピーキャット。こいつはパパの模倣犯だ。
模倣犯はいいんだが、アンタレスを表す部位に心臓を置くのはいただけない。オリジナリティのつもりだろうが安直だ。どうせ別の星座も殺すんだからノイズだと思う。
どうでもいいな。
「うわー、頑張ったねこれ」
真白が素人臭いぐちゃぐちゃの切断面を覗く。死体は全身痣だらけだ。
「でも犬か猫で練習はしてるな」
「人間は初めてだろうねえ」
バラバラ殺人星座タイプ。
『パパにとってはな。シグネチャーってのは意味があると思うならあるし意味が無いと思うならないんだ。いくつものアイデアが衝動になって止まらない。だからパパは無数のシグネチャーを気分で変える。その時はそうしなきゃって思うんだ。それがなにかより、やることそのものに意味があるんだな。パパの場合は』
そう。パパはシグネチャーを無数に持っていて、残すときもあれば残さない時もある。しかし、この死体は明らかにパパの犯行の一部を真似たものだ。
僕は真白と目を合わせ、半グレへの強盗行為に関するいざこざを多少暴力的に解決した。バラバラ殺人事件のことも話したが、真白や僕に犯行が不可能だと納得させるのに骨が折れた。
ここで命が一つも失われなかったという意味では穏便に解決してから、仲間の冥福を祈ると最後に伝えて別れた。
警察に通報しよう。
僕は別になんの感情も動かなかった。なにを感じたら善良で優しい人間になるのかな、とか考えてた。真白もなんなら関係の無い冗談を言って笑ったりしていたので残念だったが、まあそうだよな、と思った。こういうの、もう数え切れないよね。お互い。
『現状、あえて消極的に喫煙を許容する条件として様々な社会規範を守らせるべき。刑務所に入ったら煙草が吸えないことを患者は極度に恐れている。法律を遵守させる強い動機となっている』
京極叶先生が書いた様々な意見書の中で最も僕の役に立っている文章。
先生は神経発達心理学の専門家であり、殺人犯の精神鑑定を幾度か経験していることから僕の主治医に選ばれたが、本業は医師ではなく研究者だ。
国立精神総合研究センター。NCP。
そこで僕は発達障害に人格障害、パニック障害に複雑性PTSD、躁鬱病。覚えきれないほどの診断名を付けられ、山ほどの薬剤処方と頻繁なカウンセリングをしてもらっている。
通常の病棟ではなく研究棟に診察室が設けられ、治療というより矯正するために日夜、頑張ってもらっているのだ。
警察の事情聴取が終わったあと、シャワーも浴びられずに僕はそこへ連行された。
殺人事件に出くわすといつもこうだ。
「あんたにナンパされて逃げてたら見つけたって、嘘でしょう」
「嘘です」
「プライドの高いあんたが口裏あわせなきゃいけない状況って、まあ大体想像つくわ。はあ、躁転してるとは思ってたから炭酸リチウムを増量してたんだけど、無駄だったみたいね」
「結城真白は、京極先生の患者なんですか」
「京極真白よ」
「……マジですか」
「ええ、私の娘。実の親は英識裕貴に殺されてる。あんたと出逢うことが無いよう、私達は細心の注意を払ってたんだけれど。運命はそんなの平気で越えるのね」
「偶然ですよ」
「少しの偶然と必然。それを運命と呼ぶのよ」
「刃物やライタ―はともかく、スタンガン付き特殊警棒や改造モデルガンなんて絶対持たせちゃだめですよ」
「……深夜まで大声と騒音を出しながらギターを弾いたりゲームしたりする配信を辞めないのよ。自身のアイデンティティが殺人から配信に変わればと思って、辞めさせたくは無かったの」
有名配信者。『ましろ@殺人姫』。僕でも知っている。自分の背景を開示し注目を集め、インターネットを駆け抜けていた。
「防音のスタジオと称して警察署と大学病院の近く、元の家からさほど離れていないけれどもっと治安の良い場所に自分の金で買ったんですね。オートロック式マンションの脆弱性は説明しただろうから、一軒家かな?後見人である先生は熟慮し、『合鍵を渡すこと。GPSを持ち歩くこと』を条件にサインした。GPSは時間帯と生活リズムから不自然ではないルートを毎日、いくつかのパターンからランダムで表示する。時々、深夜にカラオケやコンビニに行くことくらいは見逃していたが、パターンがあること、位置情報が改竄されていることに気づいた頃には鍵も付け替えられていた」
京極先生は気分を害したらしい。
「流石は運命の王子様ね」
「どちらかというと、兄妹だからでしょう。同い年だから双子か」
「でも、真白はあんたに恋してるわよ」
「恋は学問で語り得ぬものです」
「私はあの子の母親で、女なの」
最強カードを二枚同時に出されたら、反論はできなかった。
診察室を出ると、真白はベンチに座っていた。
「処方箋見せてー。あ、私はベンゾ増えた!炭酸リチウムはマックスになっちゃったけど」
「ちょっと付き合って」
NCPは敷地が馬鹿でかくて、その一番隅に関係者が非公式に作った喫煙所がある。
僕は真白をニコチン中毒にすることにした。非公式の喫煙所への道すがら、健康増進法について話し、精神病院に入院したら退院するまで煙草を吸えないし、刑務所に入ったら何年も煙草を吸えないこと、それがいかに苦しいかを繰り返し説明する。
「トイチがどうしたいのかは分かったよ。ニコチン依存症になるって約束する。あ、コーヒー飲みたい」
あまり使われていない壊れかけの自販機に駆け寄る。あそこは硬貨が詰まることがあるんだよなあ。
注意する前に真白は硬貨を入れてしまい、首をかしげながら返却レバーをがちゃがちゃ動かした。ああ、やっぱり詰まったか。
「トイチ、お金盗られた」
真白が悲しそうな顔で振り向く。
見ると、よりにもよって五百円玉が投入口の奥の方に見える。
無駄だと知りつつ返却レバーを何度か押して、隠れて自作したピッキング用工具を突っ込んでみたが無駄だった。
「ちょっと離れて」
真白が数歩後ろに下がったのを確認し、前蹴りの要領でコイン投入口を思いっきり蹴っ飛ばした。
かりん、と音を立てて五百円玉がお釣りの出口に落ちた。
「あ」
直後、壊れた自販機はガラガラ大量の飲料を嘔吐した。
自販機が凹んでいたり、なにか外傷が残ってたら諦めて壊したことを報告しようと思っていたが、痕跡が無かったので証拠隠滅のために全部回収した。バッグが重い。
非公式喫煙所には誰も居ない。真白はまだ笑っている。
「トイチがぶっ壊した」
「もともと壊れてたの。壊れてるのに置いてあるのが悪いの。壊れたものは戻らないのに」
「じゃあ、壊れなければ壊れないから、壊れなきゃいいんだよ」
「壊れるものは壊れるし、壊れたものは壊れてる。僕らだって壊れてるけどどうしようもないだろ」
急に真白が驚いた顔をする。
「壊れてないよ」
真白は色素の薄い瞳でまっすぐ、僕を見つめる。
「壊れてるよ」
真白は色素の薄い瞳でまっすぐ、僕を見つめる。
死/火/刃物/鬼。
「壊れてないよ。私たちは壊れない。私たち、殺したって壊せないよ」
「……頭が薬漬けのクセに」
真白は色素の薄い瞳でまっすぐ、僕を見つめる。
殺/人/姫。
「壊れてないの。殺されたって壊せない。トイチも私も、殺したって壊れないよ」
大量の飲料は真白のアジトに保管することにした。意外に掃除されている。向精神薬や様々な危ない道具が女の子のセンスで整理整頓されているところだけが異様だった。
シャワーを浴びて、洗面所に出る。
全裸の僕が身体を拭いているところに真白が入ってきて、服を脱ぎだした。
真空パックに詰めて持ち歩いている着替えを着て、下着姿の真白へ煙草を吸いに外へ出ると伝えた。
「あーどこでも好きな場所で吸っていいよ。吸い殻はインスタントコーヒーの空き瓶使って」
僕は真白を天使だと思った。自分は真白に惚れていると勘違いしそうになったほどだ。なんて素敵な女の子だろう。非喫煙者だというのに——厳密にいうと今日から喫煙者だが——とにかくそんな女の子が自分の家のどこでも煙草を吸っていいだってさ。こんなに最高で優しくて素敵でかわいい女の子は世界中どこを探したっていやしないよ。
「結婚しよう」
「いいよ」
「いや、まだ知り合って間もないからお互いにゆっくり考えよう」
「わかった」
リビングで煙草を吸いながらスマホを見ると、バラバラ殺人星座タイプ事件がトップニュースだった。一週間もすれば逮捕されてすぐにみんな新しい殺人に興味が移る、という意見が散見される。
もう少し粘るだろう、というのが僕の考えだ。死体を見る限り慣れてはいないが殺害現場の場所が良い。僕らで無ければまあ中々見つけられない都市の盲点を的確に理解している。狩場のセンスが良い。
そこで僕はどこか違和感を抱くが、それがなにか分からない。
考えていると瞳孔が深紅色になった真白がリビングに入ってきたので、僕は一瞬驚き思考が散った。
「配信?」
「そう」
『ましろ@殺人姫』は白い長髪に真っ赤な瞳がトレードマークだ。
白く長い髪。真っ赤な瞳。義歯の牙。
殺人姫な吸血姫。
他の誰かが真似したらその強烈さに『負け』てコスプレ染みてしまうファッションを完璧に屈服させる圧倒的な美貌が真白の武器だ。
配信で真白は殺害現場を発見した時の話を虚実交えながら語っていた。先ほど真白のSNSや、配信アーカイブを観ていた時も思ったが、パパは真白を誤解している。
とても優しい女の子じゃないか。インターネットでは殺人の美学、殺人の論理を一切排除し、ただトレードマークとして使っている。今だって「英識十一」を慎重に伏せて話してくれている。
配信を終えて、リビングに戻ってきた真白に
「お疲れ」
と声をかける。
「うにぇ」
煙草に火をつけながら返事をして、僕の隣にどさりと座り込む。
「あんま伸びてないなー。もう私が死体発見するのみんな飽きてるなー。つーか私もとっくに飽きてるしなー」
「そのうち飽きるのにも慣れるよ」
「そしたら配信でその話題になったら?」
「まったく盛り上がらないだろうね」
「やだーやだー」
まだ慣れていないのに吸ってる最中に大声をだして、真白は大きくむせた。
大量の飲料の内、奪い合うようにカフェイン飲料を飲んでいたから頭痛がするほど目が冴えている。 夜が更けて、話題が尽きてもお互い睡眠薬を飲まず、テレビに映画を映しながら馬鹿みたいに大きなソファに二人で寝転んでいた。
テーブルにデザートイーグルのモデルガンがある。真白が持っていたのはベレッタだったはずだ。
「何丁作ったの」
「んーわかんない。それ、威力上がり過ぎた。リコイルが強くて撃ちづらいの。あげるよ」
「どっか撃てる場所ある?」
「んーあっち向けて」
真白が指さしたのは廊下側に近い普通の壁。
カレンダーに銃口を向けて撃つと、フルオートで連射されたアルミ製BB弾が今日の日付けを穴だらけにした。
「流石、純血の王子様」
沈黙。
生産性の無い、虚無の時間を弄ぶ。
真白の持っていたハンティングナイフ。
僕が渡されたのはフォールディングナイフだった。
どうでもいい。
そんなことは、本当に、どうでもいい。
退屈を感じつつ、しかしこの夜を終わらせたくない。真白もそうだったんだろう。
がばり、と起き上がった真白がキーボードを弾きだした。
有名なボカロの曲。
なんとはなしに演奏にあわせて口ずさんだ。
真白が急に演奏を止めたので僕も止まる。視線。
僕はいつだって視る側だから、見つめ合ったときに視られていると思う感覚はなかなか不思議なものだ。
出逢って二日しか経ってないのに、もう何度目だ?この恐ろしい少女の獣性、その視線。
「なに?」
「いつから煙草吸ってるの」
「中学。ライターのメンテナンスさぼりがちで、使い道を作った」
「けっこう声高いよね」
「よく言われる」
「もう一度やるから、全部歌って」
真白だからだろうか。肥大した過剰な自意識はおとなしくしていた。
歌なんて音楽の授業で強制されたとき、あるいは僕を置いて盛り上がった空間などで皆の真似をして歌うだけで、歌いたいように歌ったのは生まれて初めてかもしれない。
「綺麗」
「名曲だよ」
「本当に、それすごいよ。綺麗だね。トイチの歌は」
逃げ道を塞がれ、僕は寝返りを打った。
手を引っ張られ、配信部屋に連行される。
「待って、それは嫌だ」
「アップしないよ」
「嫌だ」
真白は最高に卑怯だった。フェンダーの赤いテレキャスターをマーシャルに繋いで、全部マックスに上げてから、僕の世界で最も青い炸裂を引っ掻き鳴らす。
大好きな、本当に大好きな音が脳を貫く。
精神科からの帰り道。僕がこの曲を好きだと言ったとき、真白は「私も大好き」と言って笑った。
そう。オレが思うに、たとえばこの娘は透明少女。
三分二十一秒。
路地裏で出逢ったときも、僕が自販機を蹴っ飛ばしたときも、初めて煙草を吸って咳が止まらなくなったあとも、NUMBER GIRLが大好きだと言ったときも、今も。
いつだって、白い髪の少女は嘘っぽく笑わない。
こんなのぜんっぜん透明少女じゃない。
僕は僕の声で歌ったし、真白も真白の演奏をした。
僕らはNUMBER GIRLが大好きだけど、大好きな僕らはNUMBER GIRLじゃないから。なる必要もないし、なるつもりもないし。
だからこれは、ぜんっぜんNUMBER GIRLじゃなかった。
意識の奥でなにかが浮かんで、あるいは剥がれて、僕は昨日見たコピーキャットを心の底から軽蔑する。連続殺人大国。六年間の犯人たち全員を一人残らず軽蔑で呪った。
NUMBER GIRLが大好きだった僕らはNUMBER GIRLにならなかった。
ハイになってるのはたんなる酸欠状態。だから、そんな嬉しそうに僕を見てんじゃねえよ。ワケがわかんなくなっちまうから。全部わかんなくなっちまう。
真白が煙草に火を着ける。僕はつられて煙草を吸いながら配信部屋を出た。
「まだやろうよー」「喉渇いた」「あー私も」
寝転がって、ゲームして、アニメ観て。歌って。
僕らは一晩中、煙草を灰にしていく。気づいたら僕はなんとなく春だった。
Q.殺人鬼と戦士、戦えばどちらが勝つか
A.強い方。強い武器を持っている方が勝つ傾向にある
小中高大一貫校に小学校の頃から通いながら、格闘家として活動していた島津武司は、中学一年生の頃の一度の気の迷い、雰囲気に流されてドラッグを摂取したことが炎上し、選手として商品価値を失った。恐ろしい速度、凄まじい破格の勢いで堕落し、練り上げた暴力と親の高い社会的地位による裏工作を惜しみなく振るい、立派な不良に成り上がった。
中学二年生の頃、僕の人を視る眼が気にいらないと校舎裏で暴行を受けそうになったので、僕は熊よけスプレーを噴射した。催涙スプレーはなかなか通販で買えないが、より強力な熊よけスプレーは大手通販サイトで買える。こういうの、家に届けるわけにはいかないからコンビニ受け取りにはいつもお世話になっております。
馬乗りになってタクティカルライトで顔面を何度も何度も殴打した。
そろそろなんでこんなに危険物を持ち歩いても職質されないか説明すべき頃合いだと思うので話しておくと、モブキャラ通行人Bとして『隠れる』技術は特別に重要な技術として身体に叩きこまれたことと、学制服のおかげだ。パパはいつもスーツを着ていた。
『いいか。十一。この目だ。この表情だ。これをよーく見なさい。人間に負荷をかけ続けているとね、
被害者は加害者への憎悪が消える瞬間があるんだよ。反撃も復讐も、逃走すら考えない。それがこの顔だ。この目だ。ここまでやるともうこいつは僕の奴隷だ』
何度も何度も見せられたから、知っている。そしてそれは「瞬間」ではなくグラデーションであることを僕の眼は見抜いていた。だから僕はパパと違って加減を知っている。
島津武司が地面をタップし、降参の合図を出してから数分、適切な回数の打撃を撃ち込んで、僕らは友達になった。
これは、初めて煙草を吸った日のこと。
先ほども言ったが、僕は学生服を私服として使っている。真白の家に泊まるとお父さんに連絡したら、制服はあるのだからそのまま学校に行くよう返信があったので、徹夜明けのぼんやりした頭にコンサータをぶち込んで身支度をする。
「徹夜したのに学校行くとか、マジ?」
「僕は真面目だからね」
「根暗なだけの不良のクセに」
「不良キャラは埋まってるんだ。不適切な陰キャと呼んでよ」
「長いよ」
「行ってきます」
「行ってらー」
ポケットに手を伸ばし、気づいた。まずいな。
「金借して」
「いくら?」
「七千」
「ほいよ」
まだ島津は家を出ていないはずだ。一晩で煙草は吸い切ったので予定より早く1カートン発注するメッセージを送った。
「今日寄るよ。家に帰って金とってきたら返すから」
「別にいいよ」
「そこはきっちりしない?」
「きっちりしない。煙草でしょ?私も吸ったから」
「じゃあまた今度」
「やっぱり返して。ていうかこっちに住んで」
「いいね。説得考えとく。金は返すよ」
「住んでくれたら七百万あげる」
「要らない」
「おい、起きろ。ほれ。ジャック」
ホームルームまでのわずかな時間、机で寝ていると島津がスマホで頭を小突く。
顔を上げると島津がスマホを弄りながら手を差し出している。真白——「ましろ@殺人姫」がアニメ調にデフォルメされたキーホルダーの着いたスマートフォンを見て、ああこいつは真白のファンだったなと思い出す。
「今回はタダでいいよ」
とビニール袋を差し出す。
「は?」
「ましろんと友達だったとか、お前さあ、酷いよ。俺がどれだけましろん好きか知ってるだろ?まあ、言わない事情も分かるからあんま言わないけどさ」
おかしい。なんで?脳味噌が急速に再起動しだした。
「お前、なんで知ってるの。真白と僕が死体見つけたの」
「あそこらへんのヤカラさ、アテナってんだけど、たまに手伝うんだよ。バケモンみてえなカップルが暴れ回ったと思ったら、仲間の死体見つけて戻ってきて、片方は有名配信者で男の方は永央の制服着てたって。そんなのお前しかいないだろ。だから媚び売っとこうと思って。あ、もし紹介してくれたらこれもオマケで付ける」
そう言ってもう一本取り出した手巻きの草は、麻の匂いがした。
お前、それでこうなったんだろ。
半グレの手伝い。平気で薬物をさばく。それは流石に崖の下だ。一線を越えている。
こいつ、いつの間にそこまで堕ちたんだ。
僕は今、二年と半年以上の付き合いである唯一に等しい学校の友達と縁を切ることにした。
無言で七千円を差し出し、ニコチンだけを受け取る。
机に突っ伏した。なにかまだ言っている。
僕は『拒絶』を装填し元友達を睨んだ。
島津は無表情になり、自分の席に戻っていく。
「ジャック、良いの?でも私はジャックの友達だからね」
「神室、ジャックって呼び方、いい加減やめて。いい機会だから。君が得意げにその呼び方を考えて以来、僕はこの学校で友達を作れなくなったんだ。君は島津の彼女で、僕の友達じゃないよ」
「トイチは友達だもん」
そういって神室奏は派手な女子グループに混ざっていく。
「かなでぇ、雑誌見たよ。ちょー可愛い」
「可愛いからモデルなんだもん」
「うっざ!」
「うそうそ、ありがとー」
理由も聞かず、呼び方を変えた神室奏との縁をどうするかは、保留することにした。
それより今後の煙草の入手についてだ。京極先生に今までの入手経路といきさつを正直に話し、通院の際にまとまった量「処方」してもらうか。あるいはお父さんにそう相談しようか。
自宅に帰り、NCPに行ったあとの経緯について自販機以外を全て話したうえ、お父さんに煙草の入手経緯を告白し、その人物が半グレに足を突っ込んだ犯罪者であったことを話す。
お父さんはそれが誰か質問しなかった。ただ静かに話を聞いたあと、京極先生にコールをかけた。数分くらい話し合い、通話を切ってスマホをしまう。
「私が問知と真白さんの分の煙草を用意します。一週間に2カートン。費用は君と真白ちゃんで必ず、半分ずつ折半すること。そして真白さんの家にはいつでも通ってもいいし、泊まる時は連絡をしてくれれば大丈夫です」
「ずいぶん信用してくれてるんですね。普通の高校生でもそんなに自由にさせてくれないと思う。僕は英識裕貴の息子ですよ」
「私の息子です」
「一線を越えるかもしれませんね」
「君は法律を破ります。しかし、罪と罰とはなんなのか、なにかから逸脱するときにその一線を越えることがなにを意味するのか、普通の高校生よりもずっと深く理解しています。あなたにどう言っても届かないでしょうが、英識十一が杉下問知になって六年、君は君の周りにいる大人たちからそれだけ信頼を集めてきたんですよ。京極先生から君への伝言を頼まれました。『真白を外側からも、内側からも守ってください。あなたにしか届かない場所からしっかり捕まえて、離さないで』と」
僕と真白は異常者なのに。化物なのに。殺人鬼の子供なのに。
本音で認めよう。僕らは愛されている。僕らの殺人衝動よりもずっと強く愛されている。
OK。オーライ。愛はきっと殺しよりも罪が深い。僕らが無邪気に笑えるくらい。
次の日の土曜日、真白の家に向かって歩いているあいだ、ずっとある信号機の音楽が頭の中で鳴っていた。お父さんと一緒に善光寺へ行った時に聞いた、参道の前にある信号機の音。
まず家に着くのが夜であり、それから毎日、真白の家に行くとなると絶対に泊まることになるのでお父さんは
「おい、あのな」
と僕を叱った。行きの電車だけでも毎日発狂しそうなのに、帰りも、そして真白の家から帰る時も電車に乗るようになって、ついに僕は電車の中で嘔吐して失神した。
それから真白の家に行く頻度はどうしても下がって、真白が不安定になった。
京極先生に相談すると、ここ二、三年の病状を見る限り、普通二輪免許をとっても問題は無いだろうと言うことになり、僕は足を手に入れた。
危険物を詰めた荷物を入れる為にリアボックスを二重底に改造する際、『隠す技術』で警察にもバレない改造が出来る自信はあったが、それを行える設備が無かった。そこで活躍したのが真白のアジトだ。真白のアジトは呆れたことに地下が三階まであり、一番下の階は目玉が吹っ飛ぶくらい高額な最新技術で完全防音と排気機能を両立させたスペースになっており、旋盤などの機材が置かれて個人経営の工場みたいになっている。こんなの個人の趣味で改装、発注する奴は真白以外にいないだろう。
それからは毎日、真白の家に通い、適切な頻度で泊まるようになり、僕の新しい生活は安定した。
今日も真白の家で遊んでいる、というかスマホを眺めてくつろいでいる。バラバラ殺人星座タイプの犯人は捕まっていないが、「羊たちは沈黙」タイプの事件に世間の興味は移っている。
これもパパのコピーキャット。頸動脈を切断、四肢を間接から外し——まあ要するに家畜を屠殺して肉にする解体作業を殺害した人間に行う猟奇殺人。発見場所はここの近くの建設途中で放棄されたビルの中。発見者はホームレス。コピーキャットに対抗したコピーキャットが生まれた、と連続殺人がブームになった初期の時代への原点回帰の兆候を殺人鬼系インフルエンサーが説いていた。
殺人鬼系インフルエンサーは裏社会系インフルエンサーと同じくらいの市場規模があり、テレビに出演するほど大規模なフォロワー数を抱えるインフルエンサーも普通に存在する。だって、ネタが尽きず、視聴者が飽きないほどブッ飛んだ様々な猟奇殺人、連続殺人がたくさん起きるんだから。
殺人鬼は、日本の文化。
犯人も被害者もインターネットのキャラクターとして消費されることへの批判は擦り倒され、もう手垢まみれになってしまって、もはや社会は完全に麻痺している。擦り倒されようが手垢まみれだろうが、絶対にそれは陳腐な意見ではない。
インターフォンが鳴った。
「あ、荷物」
真白は動画の編集作業をしていた。
「僕が出るよ」
ドアを開けると「重いですよ」と言われ手渡された。予想以上に重い。記載を見ると荷物は鉄だった。単なる鉄の塊。なんに使うんだか。
荷物を受け取りドアを閉めて、ふと違和感が眼に残っていた。なにかがおかしなものが視えたはず。
ドアをもう一度開ける。玄関の向こう、敷地の柵の門の向こうに壺が置いてあった。
「ねえ、家の前に壺があったんだけど」
「なんで?」
「知らないよ。おかしいファンとかじゃないの」
「私が特定されると思う?」
たしかに。
「どうする?」
「え、家の前?中?」
「ギリギリ敷地内」
「監視カメラ見るね」
真白がデスクトップを操作して、監視カメラの記録を映す。
僕が到着してから一時間と少し経過したあと、フードを被りマスクを着けた180cmほどの大柄な、恐らく男性が壺を置いて去っていった。
「尾行された?」
「気づかないわけないだろ」
「でも万が一に特定されたとして、気づかないワケないよ。バイクにGPSは?」
「盗聴器や発信機が取り付けられてたら、スマホに通知が行く。そういうデバイスを造って取り付けてある」
「壺って、さあ」
「とりあえず見てみようよ」
僕らは外に出て壺の中身を確認する。
中身は白骨だった。
骨壺タイプ。コピーキャット。
ここで僕は自分が最初にバラバラ死体を見つけた時の違和感の正体、犯人のやりたいことに気づいた。
星座タイプ。「羊たちは沈黙」タイプ。そして骨壺タイプ。コピーキャットは全て同一犯だ。
どのシグネチャーも、『発見されること』を前提としたものであるのに、前者は都市の盲点、廃ビルと見つかりづらい場所に隠されている。僕はそれを見つかりやすい場所を犯行現場に選ぶ時間帯を把握する感覚と速やかに犯行を行う技術が無いからだと結論づけていた。違う。これは隠すことで見つけて欲しかったんだ。自分に『隠す技術』の才能があることに気づいた犯人はそれを殺人鬼の姫に誇示したかった。自分にも殺人鬼の才能があると真白にアピールしたかった。
それなのに二件目の発見者が真白で無いことに気づいた犯人は、残り時間に焦って骨壺タイプを行い骨壺を真白の家の目の前に置いた。こいつは真白を誘っている。強い同属意識に陶酔している。
一線を飛び降りたこいつは、真白を崖の下へ引きずり降ろしたいんだ。
次の日から僕は真白の家に泊まるようにした。
お父さんも先生も難色を示し、パトロールが厳重に行われると却下しようとした。
「犯人の狙いは真白の内側です。崖の下に落ちないように捕まえて、離さない。先生が言ったお願いは嘘ですか」
バイクに泊まりの用意を詰めて走っている。真白の家の近くで眠気を感じ、喫茶店でカフェインを摂取することにした。ここはクラスメイトの女子がバイトしているが、いつも他人のフリをしてあげる。糖分も摂っておこうとミルクと砂糖を入れるように注文した。運ばれてきたコーヒーに口をつけると髪の毛が入ってきて、引っ張りだす。最悪だ、茶色いせいで僕でも視えなかった。
髪の毛?
真白はあの髪で出歩いているのか?
白い髪なんて別に珍しくないし、もし職質されたとき、どう対応すれば逃げられるのかも僕らは教わっている。でも、あんな白い髪の美少女は通行人Bじゃない。
路地裏で出逢った時とNCP、あの二回以外で真白と外で会った事はないが、真白があんな髪で出歩いているとしたら。
僕は髪という単語に思考が囚われる。髪、髪、なんだ?髪の毛がどうしたってんだよ。
最初のバラバラ死体は、明らかに殺される前の外傷が多かった。
悪魔が僕にアイデアを堕とした。あり得ない。そんなことは出来ない。
悪魔が、自分ではなく真白なら?と僕に囁いた。
会計をして外にでて、島津に電話をかける。
「髪を盗まれてないか」
答えを聞いて、あといくつか質問をする。僕は島津と仲直りをして通話を切った。
この物語はミステリーではないらしい。飛んでるネジと飛んでるネジがぶつかっただけだ。
アテナの構成員が通話相手に怒鳴りながら喫茶店に入っていく。
きっと、通話相手には愛する人がいるのだろう。
殺しよりも罪が深い愛が。
真白は僕の為の部屋を用意していた。ずっと住むと勘違いしてないか。
「ウィッグ被ったり、スプレーで染めてるよ。でもたしかに、一週間くらい、毎日オーバードーズしてこの髪のまま外を歩いてた」
「NCPに行ったときは?」
真白は悲しそうな顔をして、そっぽを向いた。
「トイチと会う前にウィッグ脱いだ」
ラブコメをやりながら僕が考えていたのは、殺さない殺人鬼の少女の狩り方。
原稿をネット小説用に直して供養。リメイクにご期待ください。




