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『世界一弱いお父ちゃん(ゴブリン)は、世界一あたたかい』  作者: クワガタンク


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第2話:震える指先、命の雫

洞窟の中は、外の嵐が嘘のように静まり返っていた。

けれど、グリムの心臓は、これまでにないほど激しく早鐘を叩いている。

目の前で、赤ん坊が泣き止まない。

最初は力強く響いていた産声も、時間が経つにつれて、掠れた、か細い喘ぎのような音へと変わっていた。


(……なにか。なにか、食わせないと)


ひょろりと長い身体を丸め、グリムは焦燥に駆られて懐から「宝物」を取り出した。

それは、以前いた集落の近く、人間たちの畑の隅で見つけ、誰にも見つからないように隠し持っていた小指ほどの泥だらけの芋だった。


「……あ、りす。これ、うまいぞ。……くえ」


彼は言葉を漏らしながら芋を差し出したが、赤ん坊は弱々しく泣き続ける。

グリムは慌てて、洞窟の奥の湧き水へ芋を運んだ。

震える指で泥を丁寧にこすり落とし、自分の袖で何度も磨く。

そうして現れた小さな白い中身を石の上に乗せ、もう一つの石を叩きつけて粉々に砕いた。

岩肌の水分を少し足しながら、何度も石を押し当てて磨り潰し、滑らかなペーストを作り上げた。

しかし、指先にのせて唇に触れさせても、赤ん坊は飲み込まない。それどころか、彼女の顔色はどんどん青白くなっていく。


(……これじゃ、だめだ。死ぬ。この子、死んでしまう)


その恐怖が、グリムの足に力を込めた。

磨り潰した芋の跡を石に残したまま、彼は馬車の残骸から拾い上げていた革袋を掴んだ。

かつて遠巻きに眺めていた、人間たちの農家。

あそこには、山羊を飼っている場所があったはずだ。


雨が上がり、月が雲の間から顔を出していた。

グリムは闇に紛れ、長い腕を活かした獣のような足取りで村の境界を越えた。

彼は生け垣の影を這うように進んだ。


農家の裏手に、石造りの井戸があった。

その傍らには、冷やされている大きな素焼きの陶器。

グリムは息を殺し、重い石の蓋を慎重にずらす。

中には、夜の冷気を含んで白く光る、搾りたての山羊の乳が満たされていた。

彼は慌てて革袋に乳を汲み上げると、それを着古した麻布の合わせ目から、肌に直接触れるようにして押し込んだ。

自分の体温で少しでも冷たさを和らげるように。

蓋を元に戻すと、彼は転がるようにして闇の中へと逃げ戻った。


♢♢♢


……苦しい。


お腹の奥が、冷たい虚無に飲み込まれていくみたいだ。

思考が溶けていく中、少しだけ、諦めのような気持ちが胸をかすめた。

その時、冷たい風と共に、あの緑色の彼が戻ってきた。

肩を大きく上下させ、泥だらけの姿で私の傍らに膝をつく。


彼は何か、掠れた声で私に呼びかけている。

意味は分からない。けれど、その響きには、私の命を繋ぎ止めようとする必死な何かがこもっていた。

唇に、革のような独特の感触が触れた。

注がれた液体は、独特の獣臭い匂いが鼻を突く。

けれど、その一滴が喉を通った瞬間、体の奥が弾けた。


(……あ、喉が動く。おいしい……!)


夢中で、与えられた液体を啜った。

胃の中に落ちた雫が、私の意識をこの世界にぎゅっと繋ぎ止めてくれた。


お腹が満たされていくと同時に、ようやく周りが見えてくる。

私に乳を飲ませている彼の指先は、まだガタガタと震えていた。

見れば、彼の腕からは一筋の血が流れている。

濡れた胸元の衣服には、今しがたまでそこにあっただろう容器の形が、体温の跡のように残っていた。

それを見て、私はようやく気づいた。  

この不思議な姿をした、けれど誰よりも優しい人が自分の命を天秤にかけて、どこからか奪い取ってきてくれたものなのだ。


私は、お腹がいっぱいになると同時に、どうしようもないほどの眠気に襲われた。

彼が私の頬を、不器用な手で何度も撫でているのを感じながら。


目が覚めると、洞窟の入り口から眩いばかりの光が差し込んでいた。  

お腹の痛みは消えていた。

私は、自分を包んでいるものの感触に意識を向けた。


「……ぁ、う……」


視界を動かせば、そこには忙しなく動き回る緑色の彼の姿があった。

彼は、昨日までバラバラになっていた馬車の残骸から、厚手の幌や柔らかな毛布を運び込み不器用ながらも、私を寝かせるための場所を整えていた。

彼は火の番を終えると、昨日あんなに苦労して磨り潰していた「芋のペースト」がのった石を、迷うことなく洞窟の隅へ放り投げた。

そして、大切に抱え込んでいた革袋を、火の傍でゆっくりと回しながら温め始めた。


(……あ、分かってるんだ)


彼は、一番大切にしていた芋では私を救えないことを、昨夜の出来事から直観的に知ったのだ。

人肌ほどに温まった革袋を手に、彼は私のそばに膝をつく。


「……アリス。……のめ。これ、……いい」


文明も、未来の保証も、何一つない。

あるのは、洞窟の隅で燃える小さな火と私のために自分の「正解」を捨てて必死に学ぼうとする、たった一人の「家族」だけ。


(……いいよ。やってやろうじゃないの)


私は、彼が差し出す温かな雫を一口ずつ、大切に飲み込んでいった。

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