おじ様逃がしませんわ
「マリアンナ・クレンシーナ! 出てこい!」
大声を上げるのはスペンサー伯爵家の嫡男、リチャード・スペンサーだった。
学園の卒業式によるまさかの婚約破棄騒動かと卒業生が思うのは、リチャードの腕にエマ・ルーカルベ伯爵令嬢が抱きついているからだ。このエマは入学してからは様々な令息にアタックを繰り返していた問題児だった。
そしてアタックに成功したのが、リチャードだったのだろう。
卒業式で婚約者がいながら、一人でいたのは、恐らく、マリアンナ、ただ一人だけだろう。
「何でしょうか?」
まだ何も言われていないので、マリアンナはあえて、とぼけながら二人の前に歩み寄った。
リチャードは憎しみの顔でマリアンナに指を指す。
「エマをいじめたらしいな! この陰湿な女め! そんな奴と婚姻できるか! 婚約破棄だ! 言い訳するなよ可愛げのない奴め!」
可愛げのないのは余計だと、マリアンナは舌打ちしそうになるのをやめる。体を許さなかったことを根に持っているのだ。当たり前だ。気持ち悪いと心の中で罵倒する。
「お前と違ってエマは可愛げのある奴だ。そんなエマを泣かすなんて、お前は死んで詫びろ!」
エマとはすでに体の関係があるようだ。長年一応は婚約者だったので、言いたいことは分かる。分かりたくないが。
マリアンナは背筋を伸ばし、片足を斜め後ろの内側に引き、もう片方の膝を曲げる。そして両手でスカートの裾を軽く持ち上げた。
子爵令嬢だが、誰にも負けないカーテシーを披露した。
周囲がマリアンナに見惚れる。それほどまでに優雅で完璧なのだ。だがリチャードは憎たらしそうにマリアンナを睨みつけている。
「婚約破棄畏まりました。では、ご機嫌よう」
「こら待て! エマに謝れ!」
「怖かったですぅ」
二人が叫ぼうが、マリアンナは振り返らなかった。
「という訳で、私は傷物になってしまいましたわ」
向かう合うのは丸々と太った中年男性。
マリアンナは婚約破棄をされた足で、スペンサー伯爵家にやってきたのだ。
そして丸々と太っている中年男性こそが、リチャードの父親にして、スペンサー伯爵当主、オルマーその人だった。
「どうも、申し訳ない。本当に。マリアンナ嬢」
突然の先触れに驚いて対応してみれば、さらに驚かされる内容だった。
流れる汗をハンカチで拭き、オルマーは頭を
下げた。
「愚息に代わり、謝罪いたします。マリアンナ嬢」
ここまで子爵家であるマリアンナに対してする反応ではない。それはマリアンナの母親が侯爵の四女であるからだ。当時は侯爵家の四女が子爵家に降家すると話題になった。
だが半分はオルマーの性格だろう。子爵家であろうとも見下ろさないという。
「私のことはマリーと」
「はい。マリー嬢……ん?」
おかしい、と思って頭を上げれば、マリアンナは嬉しそうに笑っている。
「おじ様が責任を取って私を娶って頂けて嬉しいですわ」
「……へ? 私が? ちょっとお待ちなさい」
「子供は三人は欲しいですわ」
オルマーは夢を語るマリアンナに泣きたくなる。自分は一回り年上で、そして何よりも丸々と太っている。自覚はある。娘に近いマリアンナを娶ったら変態だ。色々なことが頭の中を駆け回る。
「よくお聞きなさい。マリアンナ嬢」
「マリーと呼んで」
「よくお聞きなさい。マリアンナーー」
「マリー」
今にも泣きそうなマリアンナに、オルマーは折れた。折れてしまった。
「マリー嬢」
マリアンナは嬉しそうに笑う。
「私、素敵なお嫁さんになりますわ」
オルマーは頭を抱える。
妻はいない。リチャードが生まれてすぐに儚く散ってしまったからだ。
妻とは政略結婚。愛を育む前にリチャードが生まれてすぐに儚く散ってしまった。
リチャードを憎んだことはない。愛していた。馬鹿な真似をする前までは。
オルマーは顔を上げ、マリアンナを見る。
愛を、育めるだろうか。
「おじ様逃がしませんわ」
にっこりと笑うマリアンナにオルマーは苦笑う。
オルマーにとってマリアンナの告白は、晴天の霹靂だった。
だが、悪くはないのでは、と思ってしまった。
オルマーは困ったように、そして優しく、マリアンナに笑うのだった。




