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07 嫌うものを持ちますか

 それは、やっぱりほとんど一日中布団にくるまって過ごす頃のことだ。





『人間へ』




 例の日の(くだん)の封筒である。


 部屋の壁際に寄せてある、埃をかぶったガラスの花瓶を見やる。  

 ヒヤシンスの球根を置くのに丁度良さそうだと思って買いに行って、その店には見本だけあって在庫がなくて、見本を見て良さそうだと思ってしまったのでやっぱり欲しくて、渋谷の店舗にあることを店員に教えてもらって、その日のうちに買って帰ったものだ。

 今の生活との乖離に苦しくなって私がグチャグチャになってそれが飛び散って元の記憶まで汚してしまいそうで、あまり思い出さないようにしてきたが、かつての私のことを文通の話の種とするのはそこまでつらくないかもしれない。

 聞いてくれる人がいるというのは良いものだ。おおよそのところ人ではないとしても。


 布団から素早く出入りして封筒を開け、カッターナイフをしまう。


『こんにちは。我はあなたから好む色を得まして、格別に喜びました。


あなたは嫌うものを持ちますか。

仮にあなたが嫌うものを持ちませば、我はそれを得たいです。


我は嫌うものを持ちます。


我は文通のための封筒を付けます。

よろしくお願いします。


かしこ』


好きな色の話も喜んでもらえたようで何よりである。化物さんにも同じ色が見えると良いなと思う。

 あんな持って回った物言い、人間相手には出来ない。はっきり色で言えよ、要は何色なんだよ、いやもういいわとなるだろう。


 きっとこういうことをいちいち気にする性質(たち)だから、私は今このようになっている。

 心理テストでの「天候で気分が左右されるか」の問いに「いいえ」と偽ったり。

 読書感想文を書くのに「主人公が困難に打ち勝って感動しました」と偽ったり。

 賢くやるならいい、うまく出来るならそれがいい、私はそうではなくて下手くそだからこういうことになっているのだ。


 人間のふり、と言うと馬鹿みたいだな。

 いや、馬鹿だったわ。



 それにしても嫌いなものか。こちらに踏み込んできたのか、単に「好き」の反対は「嫌い」という話題選びに過ぎないのか。

 人間同士でこのやり取りをした記憶といえば、食べ物に関してくらいなものである。

 食べ物なら好き嫌いがあるのは当たり前みたいなところがあるので、「私ピーマン嫌い」と言ったところで普通は不和は生まれない。


 これがひとたび食べ物の話題を脱すると、「自分の好きなものを否定された、貶された」問題に立ち入ってしまう。

 ピーマンなら「そうなんだ」で済む話が一切済まなくなり、不和が生まれる温床になる。

 なんならピーマンを嫌うことですら「大人げない」と負の評価をされるおそれもある。

 嫌っているかどうかと、それを公言するかどうかと、人前で食事する際に皿の端に集めて残すかどうかは別の話であるにしても。


 「嫌い」よりも穏当なのが「苦手」だ。

 はじめから本人が「苦手」と認識している場合もあれば、「嫌い」を「苦手」に言い換えている場合もある。

 ピーマンを苦手というと、「本当はこんなことではお恥ずかしいのですが、どうにも受け付けませんで……」というニュアンスが出る。

 これにはどこか申し訳なさや、後ろめたさがある。



 自分のことについて思い出そうとする。

 「嫌い」の箱の中身は空っぽだ。その隣にある、「苦手」と「憎悪」には何かが満杯に詰まっている。

 「苦手」の箱を開いてみる。


 炒めたレバーを噛むときの食感。アイスの木の棒が歯に当たったときの感触。ホルモンの食感。サツマイモの味噌汁。

 外出。改札。電車。部屋のカビ。小バエ。よく分からない小さい虫。お隣りのTVだかラジオだかの音声。人の話し声。電話。着信音と振動。

 自分のことを常識人だと思って疑ったことのない人間。自分が正しいと思っている人間。善意。紫色。不機嫌。大きな声。口から出てくるネギの臭い。口から出てくるコーヒーの臭い。口から出てくるアルコールの臭い。車内を充満する煙草の臭い。――子ども。


 「憎悪」の蓋が開いている。それを見なかったことにする。


 私が子どもを苦手とすることについて考える。

 これは他と違って完全に無理というわけではなく、友人の出産祝いは心底めでたいことだと思って贈っているし、駅のホームで転んだ子がいたら駆け寄って助け起こすくらいのことは即座に出来る。出来ていた。

 尊ぶべき大事な生命だと認識している。


 保育園か何かの集団で道をゆっくり移動している時の大きな話し声はつらいが、大きな話し声がつらいのは子ども相手に限ったことではない。

 単に音量と、言葉であることが駄目なだけだ。存在に対してではない。

 そういえば何かで幼稚園だか保育園だかにボランティアに行った時も、「今日ねー、あのねー」という話に相槌を打ってずっと聞いているのも特に苦にならなかった。


 それなら何が駄目か。


 「抱っこしてみる?」というのをうまく断れずに受け取ってしまったあの瞬間だ。

 ぞ……っっとした。もう取り返しの付かない感じがした。温度と重みが恐怖だった。

 「赤子に触れたくありません」と、相手を不快にさせずに穏当に伝える方法が思いつかなかった。

 こういうところが下手くそで嫌になる。


 尊重すべき生命として遠くから見る分にはいい。言葉の通じる他者として交流するのも問題ない。

 ただ、柔らかく、か細く、何かあったら即座に失われてしまう得体の知れないものとしての子どもが駄目なのだろう。

 私はこんなふうになる前から子どもを持たないことに決めている。存在に耐えられないからだ。



「子どもが苦手」だとは、誰にも言ったことがない。

 きっと口にしたところで、私が心配するようなことは何も起こらないだろう。「ふーん」「そうなんだ」で終わりだ。

 ただ、勝手に後ろめたい。「私はあなたに消えてほしいと思っています」と同じくらいに、言えない。


 それにしても返事を何と書こうか。化物さんは嫌いなものがあるらしい。

 これは、訊ねても大丈夫だろうか……?

 こちらが聞かれているのだから、相手に聞き返しても構わないように思う。

 嫌いなものが出てくると、急にその人(人?)らしさが現れる気がする。



『化物さんへ


こんにちは。


私の嫌うものは、思いつきませんでした。

苦手なものであれば、子どもです。

取り返しの付かない感じがするからです。


あなたの嫌うものはなんですか。


かしこ』

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