06 好む色を持ちますか
それは、ほとんど一日中布団にくるまって過ごす頃のことだ。
◇
『人間へ』
例の日の件の封筒である。
この間から気に掛かっていることがある。
封筒に手紙以外のものを入れたら何が起こるのか問題である。
入れられるとして、厚みのないもの。
本の栞とか、カード類とか、……怖い写真とかカッターの刃とか。良くないものを入れたいとも入れようとも思っていない。単に寸法の上での可不可の話である。
あちらは、少なくとも今のところは害意があるようには見受けられない。
文通がしたい、興味があって知りたいことがある、興味がある対象で何か収穫があるととても喜ぶ。
そういうふうである。
そして、文通のことが殊の外お気に召している。
あちらからの手紙は、封筒に手で文章を書いた(ように見える)紙を入れる、その文章には自分のことを書いて相手のことを聞く、その内容は自己紹介・趣味・好きなものといった並びで、人間同士の一般的で差し障りのないやり取りを模している。
手紙と文通を区別していない節もある。
ここで、それを崩すことがどう働くのか?
この世から消えてほしいと思ったことのある人間はいるか、消えてなくなりたいと思ったことはあるか、生まれてきたくなかったと思ったことはあるか、もうどうなってもいいから人を殺そうと思ったことはあるか。
そんな、紙の日記にでも書き殴ってズタズタにするしかないような事柄とか。
まあ、でも、そういうのはもっと仲良くなってからだな。
ちょっとしたプレゼントにしろ、踏み込んだことを聞くにしろ。
封筒に入るサイズでプレゼントにあたるものが全く思い浮かばないけれど。
どこかにないかな、「人外(推定)がもらって嬉しいプレゼントランキング10」とか。友人の出産祝いの際にそういうランキングにお世話になった。
誕生日プレゼントは事前に欲しいものを聞いてそれをあげる派だけれど。誕生日?
そんなこんなでカッターナイフを取るために床から立ち上がってまたすぐに布団にくるまる。
封筒を開ける。カッターナイフを元に戻すのを忘れないように、と頭の中に強くメモをする。
いや、どうせ忘れて行方不明になるから先に戻そう。寒い。
『こんにちは。我はあなたから好む季節を得まして、格別に喜びました。
あなたは好む色を持ちますか。
仮にあなたが好む色を持ちませば、我はそれを得たいです。
我は好む色を持ちません。
我は文通のための封筒を付けます。
よろしくお願いします。
かしこ』
わ、嬉しい。季節の話は喜んでもらえたようだ。
好きなもののことを伝えて、それで人、じゃなかった、誰か、でもなかった、何かが喜ぶ。とても良いものである。
それにしても色かあ。あちらって色を見分けられ……やめておこう。
ここで水浅葱色とか鬱金色とか言って伝わるのかという疑問もある。特に好きではないけれど。
私なら調べないと分からないし、調べても植物やら何やらから染め出された本物の色はこの目で見たことがない。
そういう諸々をさて置いて、もっと抽象的に、好きな色……。
そういえば、青が好きだと思っていた頃はある。実際に好きだったのかもしれない。
たしか、そう、真っ青の服を着たら全く似合わなかった。ウキウキと鏡を見て愕然とした。肌が不健康そうで、服だけが浮いて見えた。
大人になってみれば、好きなものと似合うものが必ずしも一致しないのは当然のことである。襟や袖の形にしろ、素材にしろ柄の配分にしろ。
しかし、その頃は何が起こったのか分からず大層ショックに感じたのだと思う。好きなのに似合わない。どうして。
そこで好きな気持ちと似合わなくてショックな気持ちがグチャグチャに混じり合って一層汚くなり、それを「青は好きではなかった」とすることで帳消しにしたようだ。
このような経緯があり、それ以来、特に好きな色を定めていない。
服に関してはベージュと紺とオフホワイトを基軸に回していた。肌に馴染むし、ちゃんとしてそうに見えるから。
財布やペンケースなどの小物で選びがちな色はあるにはあったが、それではその色でまとめた部屋に住みたいかというと、また別の好みがあった。
そして今の生活においては、どれもこれも無縁の代物である。
こうなってくると、初めての「ありません」の回答で良いようにも思う。
これが人との会話だったら、考え込む時間もないし、求められてもいないから、財布の色でも挙げて済ませるだろう。
しかし、……あちらは知りたがっていて、知ったら喜ぶかもしれない。時間だけならたくさんある。それなら、何か書けることを探すのもアリだろう。
嘘のない、本当のことの範囲で。
色について考える。最初のほうの色の記憶はクレヨンだろう。あれで色の名前を知ったのだと思う。そこに絵の具やら色鉛筆やら折り紙やらが続く。
私たちは色が分かれていて、各々にあらかじめ名前がついている世界で生まれ育っている。
色の名前について考える。青・赤・白・黒は赤いだとか青いだとか言える。黄いや紫いとは言えない。
前者は元来色の名前ではなく、形容詞から始まっていると何かで読んだ。
物の姿。光の加減。状態。線のない輪郭。目に映るもの全て。そこから取り出された色。
私は紫色に忌避感がある。あの人の好きな色だからだ。坊主憎けりゃのあれである。
藤の花を見ても葡萄ジュースを見ても何も思わない、いや藤はきれいだなと思うし葡萄ジュースは皮のあたりの味のする美味しいやつだといいなと思うが、それが「紫色」になった途端に頭の中の何かがゴトッと音を立てるのである。
よく分からないが藤色は掠らず、紫であっても色のことではなく物のことを考えていれば何も動かない。
そういうわけで、色の名前ではない方面から好きな色のことを掘り起こしてみようと思う。
木槿の薄紫は美しかったが前回と話題が重複する。百日紅の鮮やかな紅も同様だ。
海の色は、近くまで行って見たうちでは美しいと思ったことがなく、磯臭いが勝る。南国の海へでも行ったらまた違うのかもしれない。
暮れ時の空には感じ入ったことが幾度となくあるが、どの季節だったか全く記憶にない。さすがに漠然とし過ぎている気もする。
他に何か色が目に留まるもの……花……空……海……果物……野菜……思い出せるもの……。
オレンジ、ライム、アプリコット、桃、葡萄、ジャム、ジュース……。
あ、あった。
『化物さんへ
こんにちは。
私の好む色は、赤紫蘇で作る紫蘇ジュースの色です。
明るい窓際で見ると、光が透けて一層きれいです。
化物さんは、』
一旦ペンを止めて、破って捨てて次の紙にはじめから書き直す。
『化物さんへ
こんにちは。
私の好む色は、赤紫蘇で作る紫蘇ジュースの色です。
明るい窓際で見ると、光が透けて一層きれいです。
お返事を楽しみにしています。
かしこ』
決定的な何かが起こってしまったら仕方ない、仕方ないが、そうなってしまったらその時に、この訳の分からないやり取りは終わってしまうだろう。
半分以上、いや九割方、それでもいいやと思って、そうなってしまえばいいのにと思って、それで文通を始めたのに。




