05 好む季節を持ちますか
それは、一年のうちでほとんど唯一日付を気にする頃のことだ。
◇
『人間へ』
例の日の件の封筒である。
髪が長くなってきて邪魔になったので、唯一残っているヘアゴムで一本に結わえて、開けっぱなしの引き出しからハサミを取り出し、後ろの毛束を掴んでゴミ袋の中に切り落とす。
このヘアゴムが便器の中に落ちるなどしたらもう買いに行けないので、宝物のように大事に扱っている。
紙を切るサクサクとしたのとは違う、ぶつぶつとした感触の集まり。
本当はこんなことをしたくない、という気持ちが出てこないように蓋をする。
覆うものがなくなった首筋が冷える。
髪を切ったハサミでそのまま封筒を開ける。
『こんにちは。我は友達を得ることを待ちます。
あなたは好む季節を持ちますか。
仮にあなたが好む季節を持ちませば、我はそれを得たいです。
我は好む季節を持ちません。
我は文通のための封筒を付けます。
よろしくお願いします。
かしこ』
季節の概念あるんだ……。
あちら(今更だがこの手紙の送り主のことを彼とも彼女ともそれとも呼びづらい)には季節の概念があり、人がそれを好んだり好まなかったりするということは知っているが、あちら自身には好みはない。
この季節は日本での四季のことで合っているのだろうか。
あちらからの手紙を解読していると、私が幼い頃に一時期、「押し入れ」と「物置き」を混同していたことを思い出す。小学校入学前で、4歳くらいだったと思う。
当時の環境からして、先に「押し入れ」に馴染んでいて、あとから「物置き」が加わったはずだ。
それで物置きの話をしようとして、物置きのことを思い浮かべているのに、名前が混じってしまって、「押し入れ」と言い間違えていた。
あちらはこれを「収納」で済ませるようなところがある。なんなら「空間」かもしれない。大雑把が過ぎる。
かと思えば「望外」や「格別」の使い分けにこだわりのようなものが見え隠れする気もして、正直なところ訳が分からない。
訳が分かってたまるかという気もする。
今回の手紙の内容を強引にそれらしく読み取るなら、人間がいうところの季節がどういうものなのかの一端を知りたいのかもしれない。
二十日大根なら四季を通して生きられないし。他にも色々あるだろうけれど。あるというかいるというか。蝉の寿命を調べそうになって、やめた。
とにかくそういう方向で自分を納得させることにする。
さて、好きな季節か。答えがすぐには思い浮かばない。
この生活に入ってからというもの、季節というのは、部屋が暑いか寒いかと、窓を開けている時の風の感じと、たまに洗濯機を回すためにベランダに出るときの日差しの差異でしかない。
駅の行き帰りに桜並木を楽しむこともないし、花火大会の日の電車の臨時ダイヤの知らせが目に留まることもないし、散り敷かれた街路樹の葉をサクサクと踏んで歩くこともないし、寒いのは元々好きじゃない。
そうだ、季節、有名な……、もらったのが夏物の着物だったから夏までは生きよう、というような一節。
あの文章を初めて目にした時はそういう感性もあるのだなと思って、眠れなくなってからはぼんやりと共感して、今となっては「夏までの間に虫が湧かないのかな、きちんと手入れできるのかな」と思う。
書かれた当時の暮らしというのをまるで知らないから、きっとしょうもない疑問なのだろうけれど。
私はそれで衣類を詰めた段ボール箱を開けることができないでいる。
いや、でも、うん、そうだ。想像してみよう。きれいな服をもらって、それがサマードレスだったら。すごく良いかもしれない。
それを着て出掛けるのとか、その前に身支度をするのとか、頭ボサボサで髪メチャクチャなのにとか、サンダルにはどうせカビが生えているだろうとか、日傘どこ行ったんだろうとか、そういうのを一切合切抜きにして。
ロクな星座も知らないのに星を目指すようにして。
夏の服は生地が薄くてやわらかい。裾が揺れて肌を撫でる感触が一番良い。
そうだ、風の感じなら五月のが最高だった。思い出してきた、季節だ。
甘い香りは雨に仄明るい梔子の花、フェンスから零れるのは羽衣ジャスミン、暮れの空に真っ直ぐの 立葵、垂れ下がった先の凌霄花、遠くから目に飛び込んでくる百日紅。
一番好きだったのは、大きな花びらを拾って手のひらに、ひんやりとしてやわらかい、くしゃくしゃとした薄紫の、――木槿。
好きだった、好きになって調べたんだった、知っている花の名前が一番多い、夏だ。
この部屋での夏は、寝汗が酷くて肌が痒くて湿気が気になるだけだけれど。
好きな季節はそうじゃなくてもいいことにしよう。
『化物さんへ
こんにちは。私の好む季節は夏です。
木槿や立葵などの好きな花が多いのと、服がやわらかくて風の感触が心地良いからです。
冬は寒いので嫌いです。
かしこ』
ああ、今が夏じゃなくてよかったなと思う。
今が夏だったら、駆け出すのを止められない気持ちで花を探しに行って、傷の少ないきれいなのを拾ってきて、封筒に入れてしまったかもしれない。
そんなのここから出られないとできないし、ここから出られるのなら、文通することになんてならなかっただろうに。
いや、それより何より、もしこの封筒に手紙以外のものを入れたら、一体どうなるんだ?
「死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った」――太宰治「葉」(青空文庫)




