04 幕間
天井を見つめる。
酷い時よりはマシなのだろうな、と何の慰めにもならないことを考える。
酷い時というのは、体を起こすことができなかった頃のことだ。
普通なら「起き上がる」のひとことで済む動作が、どこに力を入れて、支えて、上体を起こして、重心を移して、右足から下ろして……とバラバラの細切れになり、処理できずに始められないまま横たわって天井を見つめる。
瞼を閉じることはできるが、眠れるわけではない。
ある朝、起きて洗濯機を回して、その間に朝食を取るか何かして、あー洗濯物干さなきゃ、と思って立ち上がろうとして、――気づいたら日が暮れていて、部屋は暗くて床に座り込んだままで、そういうふうになって、そういうことになった。
それが今や睡眠も取れるし、起き上がれるし、何なら机に向かってペンを手に取って手紙まで書ける。
大丈夫だ、ということにしておく。
小さい頃は嫌なことがあっても「眠れば大丈夫」とおまじないをしていた。ぐっすり寝て起きて朝になったらスッカリ忘れているよ、というおまじない。
それがいつからか「眠れないので大丈夫ではない」になってしまった。
言葉遊びをしているのではなく、現実がそういう形をしていた。
おそるおそる病院にかかった。初診は予約がだいぶ先になる。待つ間、あの人に知られないかどうか不安でいた。
観葉植物が置かれた静かな部屋で、強いストレスを感じる局面で吐いてしまうかと聞かれた。
ああ、ここは当たり前に吐いてしまうような人たちが来るところなのだなと思った。
私なんかよりもっとずっと大変な人たちだ。私にはここに来る資格がない。かすり傷で大騒ぎをするような真似をしてしまって情けなかった。
それから。
どうにかこうにか天秤を抱え持っている。正気とか人間性とか、たぶんそういう名前のやつだ。
これが勝手に振れている。私はそれが勝手に振れているのを知っている。
それは良くないことだから、正常に保とうとして、どうにもうまくいかなくて、疲弊して、また勝手に振れる。それを感知する。修正を試みる。繰り返す。削れていく。
良くないことになりたいとは積極的には望んでいない。
ただ、そうなってしまったら仕方がないとはどこかで思ってはいる。
取り返しの付かないことはいくらだってある。過ぎたことは全部そうだ。生まれてしまったことも。
そう、だから私にとって死は過去の形をしている。
――ただ、でも、
私は手紙の続きが書きたい。次の返事を受け取りたい。
良くないことになったら、それができない。
だから、大丈夫でいる。そのように望んでいる。そう思う。




