03 それは友達ですか
それは、冷房も暖房も点けない暮らしのなかで、最も過ごしやすい頃のことだ。
◇
『人間へ』
例の日の件の封筒である。お楽しみの恒例行事になってきたことがなんだかシュールだ。
それにしても相変わらずの筆圧。よくペン先が紙を突き破らないなと思う。この手跡の凹みは実は筆圧ではないのだろうか?
……あまり考えないようにしよう。
開けた窓からはオペラが聴こえてくる。たまたま唯一タイトルの分かる曲だ。姉妹が互いに相手の恋人に口説かれる話だったと思う。結末は覚えていない。
お隣りのTVだかラジオだかの音声は、人が知りたくもない何かを絶え間なく喋っていて、ザラザラとしていて耳に入るのがつらいが、歌は少しばかり平気みたいだ。
と、学生の頃ボランティアで行った老人ホームのカラオケの時間に流れていた「憧れのハワイ航路」を思い出す。私の祖父母は早いうちに亡くなっていて、好きなものの話をしたことがない。
やっぱり音が気になるので窓を閉めに立って、カッターナイフを取って封筒を開封する。
『こんにちは。我はあなたから趣味を得まして、我は望外に喜びました。
趣味が同一のものは友達ですか。
我は友達を得たいです。
我は文通のための封筒を付けます。
よろしくお願いします。
かしこ』
望外の喜び。町なかの女性を捕まえて「君は麗人」と褒めるような、辞書のうえでは正しいのに何とも言えない落差を感じるが、喜んでくれていることは良いことだ。
もうここまで来たら返信用封筒のくだりも省略して良さそうなものだが、「添付ファイルをご確認下さい」みたいな様式美なのかもしれない。
さて、友達。推定人外との友情。物語ならば憧れのシチュエーションである。
今現在ちっとも憧れてはいないけれど。何もかもがギリギリなので。
それじゃあどうして文通を始めてしまったかというと、このよく分からない文通をするのもアリな気がしたからだ。
これがメッセージアプリやメールだったら無視していただろう。
今回は「仮にあなたが友達を持ちませば」とは書いていないから、私の友人がどうこうの話ではないようだ。
もしそうだったら「我はそれを得たいです」で持って行かれても困る。困るでは済まない。
かと言って私と友達になりたいというふうでもない。興味があって、それを得たい。それだけといった調子。
そういえばこれまでに私自身をどうこうしたいという内容は出てきていないな。出てきて欲しくもないけれど。
ここで「ぜひ私とお友達になりましょう」と、言うこともできる。
あちらは「友達を得たい」ので、受け取ってはくれるだろう。
しかし私はそうしたいとは思わない。おそらく良いことにはならないという予感もそうだし、何より、まだよく知らない相手だし。
なんて返事をしようか。
趣味が同じなら友達なのかと聞かれているし、「友達が欲しい」か「友達について知りたい」かのいずれかだろう。
どちらの場合でも、どうやったら友達ができるかの話をするのが妥当かもしれない。友達の作り方。私が知りたいくらいだ。
友達について考える。気が合うことが大事だと思う。だけれどこれが一方的な思い込みだと悲惨だ。
私には思い込んでしまっていた側の苦い経験があって、「私たちって、友達だよね?」なんて手と手を取って確かめ合うような儀式もなく、どうして発覚したのかというと、酒の力だ。
当時、二、三年の付き合いがあって、趣味の繋がりで、それなりの頻度で連絡を取り合って一緒に遊んでいた人がいた。
それが酒の席で「俺の何を知ってるんだ」と言われたその声が低くて、「あ、」となって、それっきりだ。
あなたを大事に思っているということを伝えたくて、人にされて嬉しかったことを真似て、相手の長所を挙げていた流れだったと思う。
私はこの、人の口から出てくる反語の調子が苦手だ。自分だって強い負の感情を覚えたときに似たような物言いをするのが分かっているから、どの口が言うんだという話だけれど。
「どうして言うこと聞けないの?」「馬っ鹿じゃないの?」「何がそんなに偉いわけ?」「なんで?」……。
もちろんこのとき「いいえ、そうではありません」なんて返答は受け付けられない。「ごめんなさい」一択でひたすら反省して、心から詫びる様を見せなければならない場面だ。
責め詰る。問い質す。憤慨。怒り。敵意。大きな声。歪んだ顔。口を開く度に吐き出される食べたあとのネギの臭い。頬の毛穴。何度も。何時間も。繰り返し。
強い負の感情。
閉めた窓を通過して聞こえてきた男の子らしき「あのねー! 学校であったのー! 本当にあったのー!」という声。
子どもの振る舞いが許されるのは子どもだからだ。
大人である私が、気を配ってもらって、気持ち良く会話に付き合ってもらって、無作法を見逃してもらって……という他者の労力の成果を、「気が合って楽しい」とご機嫌で食べ散らかしていたのだと思うと、本当に恥ずかしくて苦しい。
それこそ、バケモノが人間と友達になろうとして失敗したみたいだ。
万一、という仮定もあちらを災い呼ばわりするようで後ろめたいが、万一あちらが人間と友達になることを望んでいるのだとしたら、私と同じ失敗はしてほしくない。
友達になるには、まず相手の生態を知るところからだろう。
もう二度としたくない失敗を振り返る。
あの日あのあと連絡がなかったということは、本心だったんだろう。
あのタイミングで爆発したのは、直前の私の言動が一回で致命的だったか、もしくは、……前々から我慢を重ねていて最後の一押しになったということだ。
あの時彼に尊敬する長所として伝えたのは、「色々な事を知っていて、説明するのが上手で、……」というような、内面に踏み込まない点だったはずだ。私自身が性格を決めつけられるのが嫌いだから。
本当のところは確かめようもないが、仮に、言った内容が駄目なのではなかったとするなら、言った行為が駄目だった。好意の表明が駄目。好かれて不快。
喉が痛くなってくる。
もうこれ以上考えたくないが、これは、彼から1mmも好かれてなかった、ということだ。
私自身が興味のない相手には連絡すらしない人間であるがゆえに、わざわざ連絡をくれて、遊びに誘ってくれて、一緒に過ごしてくれて……というのを過剰に受け取っていた。少しは好いてくれているのだと思っていた。
これはきっと、彼にとって、目を合わせて笑顔で挨拶するというただの習慣のあらわれを、「私に気があるんだ」と思い込むのと同類の所業だった。
どうしてわざわざ好きでない相手と、時間を割いて我慢して付き合いを続けるのかちっとも分からないが、世の中にはそういう人がいて、私がそれを想像できなかったからあんなことになったんだろう。
人は、どうでもいい相手にも感じ良く振る舞える場合がある。定期的に連絡をもらっても、遊びに誘われても、長期間そうやって過ごしても、友達であるとは限らない。
なんだ、救いのない話だな。
悲しくなってきた気持ちを反芻しないように、机に向かってペンを執る。
何か友達作りの参考になるような前向きな回答ができたらと思ったが、ここは正直に書こう。
『化物さんへ
こんにちは。
趣味が同一のものでも、友達であるとは限りません。
どうやったら友達になれるのか、私にも分かりません。
いつか分かったら私にも教えてください。
かしこ』
「悲」の字の中にある「非」って、「扉」と同じで左右に割り開かれるさまなんだって辞典で見た覚えがある。
心が左右に引き裂かれるわけだ。そりゃあ痛いよ。天才。




