02 趣味を持ちますか
それは、タンクトップとハーフパンツだけでは肌寒くて寝られなくなり、部屋の段ボール箱が積んであるのとは反対側の壁際によけている掛布を前シーズンぶりに点検するのを先延ばしにして、椅子の背にかけっぱなしだったパーカーで代用している頃のことだ。
◇
『人間へ』
正直に言うと、かなり期待していた。期待というのは普通は良いことについてだが、決定的な何かが起こるかもしれない悪寒込みでドキドキしながらチラシの束を部屋に持ち帰って、選り分けたところ、あった。
今日は例のすこぶる調子が良い日で、目の前にあるのは件の封筒である。経緯はどうあれ、自分宛の手紙が届くのは嬉しいものだ。
毎度「すこぶる調子が良い日」と言うのもくどい気がして、何か良い名称があればと思ったが、私が最も人間らしい活動をする日というのと、この封筒の宛名を合わせて「人間の日」とまで考えて、自分への皮肉が過ぎてやめにした。
それにしても、前回と変わらず「人間」に敬称を付けずにくるところが、今になってなんとなく気にかかる。私を敬え、丁寧に接しろという話ではなく、ちょっとした違和感だ。
というのも、結びの「かしこ」しかり、挨拶をして自己紹介をして本題を述べるという順序しかり、ですます調しかり、ある程度のそれらしい形に沿ってはじめの手紙は書かれていたように思う。中身が合っているかは別として。
そのルールでいくと、宛名がどうにも浮いていて、「人間様へ」であるほうがまだ据わりが良いのだが、……まあ、あまり深く考えても仕方ないのかもしれない。
ちなみに、私が差し出すときは「化物さんへ」と書いた。
怖いもの見たさとワクワクとした弾んだ気持ちともうどうにでもなれというやけっぱちで、封筒の上部にカッターナイフの刃を差し入れる。
今回も返信用封筒付きであった。
『こんにちは。我はあなたから文通を得まして、我は格別に喜びました。我は文通を得ました。
あなたは趣味を持ちますか。仮にあなたが趣味を持ちませば、我はそれを得たいです。
我の趣味は文通です。
我は文通のための封筒を付けます。
よろしくお願いします。
かしこ』
化物さんが「よろしくお願いします」を覚えたようだ。ビジネスメールの風味がして、そう思うことすらなんだかおかしい。
それにしても、相手が喜んでくれると私も嬉しくなる。
さて、趣味である。はじめましてからのご趣味。古式ゆかしい落ち着く展開だ。
もし「好きな魂の味は何ですか」だったら手に余る。「私は魂を食べたことがありませんので好きな味はありません」と返したとして、その先のことを想像したくない。
それはそうと文面に目を戻して、「あなたの趣味を得たい」……危険の気配がしないでもない。けれども続けて当人(当人?)の趣味を紹介しているし、随分と文通を気に入っているようだから、私から趣味を引き剥がしてそれを持って行かれるようなことはないだろう、たぶん。
「知りたい」くらいで大雑把に受け取っておくことにする。
ただ、何かが口を開けているような予感はある。歯や舌は見えない明度でぼんやりと。
仮にもしこれが「名を得たい」だったら……心底警戒するし、小指の先ほども残っていない勇気でも振り絞って拒絶すると思う。
これはファンタジーな物語の世界に描かれる類いの、真名を知られて魂を縛られてテンヤワンヤということではなく、……いや根源は同じなのかもしれないがもっと、そうだ宛名だ、繋がっている、宛名は宛先に繋がっている。
それはそうだろう何を今更と自分でも思うが、おそらく、私が名指しされることは良いことではない。
私宛だとも私宛でないとも断言できない宛名でこのアパートの1階の郵便受けに封筒が届き、私は送り主について、見知らぬ他人か、精々が同じアパートの住人だろうと考えた。
いずれにしても私のことを私だとは認識しておらず、想定される宛先はなんとかハイツの◯◯◯号室に住んでいる誰かだ。
――それが個人名になったらどうなる?
ゾ……ッッとして鼓動が早まった。口から心臓が飛び出そう。飛び出ないけれど。深く考えることはあまり良いことにならない。この生活に入ってからは特に。
購読解除しそびれて時折届いてしまうメールマガジンを削除する寸前に目に飛び込んできた「今年の秋のヘアカラー」だとか。何年何月からこんな生活してるんだっけとか。「絶縁しろ! 絶縁しろ!」と喚き散らかしておきながら未だによく分からないメッセージを送りつけてくる人間のこととか。
駄目だ良くない、楽しいことを考えよう。差し当たっては手紙の返事だ。
前回の手紙に迂闊に名前を書いてしまわなくてよかった、めでたしめでたしだ。
趣味について考える。あるかどうかを聞かれているから、「無い」と答えることに差し支えがない。
あちらにその意図は全くなくてただそういう形を取っているだけだろうが、ある前提で来ないでくれることには息が吐ける心地がする。
あれは、私が毎朝電車に乗って通勤する人間だった頃のことだ。
何かの話の流れでちょっとした困ったこととして「最近冷蔵庫から変な音がしてて……ガガガガガガガガみたいな……」というようなことを私は言ったと思う。
そこで一緒にお昼を食べていた職場の人が、「お父さんに買ってもらいなよ~」とごく自然に言った。
私はつい一瞬、ことばを失ってしまう。
その人にそういう父親がいて、そういう親子関係があって、そういう出来事が起こるという話なら「そっか」で通り過ぎられる。
「なんか冷蔵庫が調子悪くてさー。お父さんに言ったらよし買いに行くぞってなって。わざわざ店の人捕まえて値段交渉してて」みたいなことも実話としてきっとあるんだろう。
仮に子のほうが90歳だったら「お父様ご存命なんですね」で驚きはするが、それだけだ。
ただ、こちらに水を向けられると、「 」という間を空けてしまう。その間があまり良くないことは知っている。
知っているから咄嗟にいつものように笑い話で済ませようとして「うちの父親そんなに優しくないよー。まあ冷蔵庫爆発したらやばいから早めに買い替えるわ」とかなんとか返したと思う。
私にはそういう微細でありながら修正できずにいる「 」がいくつかあって、片っ端から消し潰していけたら違う人間になれるのだろうか等としょうもないことを考えないようにして。
そういう、ささくれが袖に引っかかって血が出てしまったような日常の些細で数え切れない切れ目が、「化物」さんとのやり取りでは分からなくなる。
分からないでいることは、本当は良いことではない。目を向けて、気づいて、分かって、克服してというのが正道だろう。
だけれど、分からなくならないと、もうどうにも持っていられない事柄や、そういう時がある。
ぼんやりとして、そこで胸の奥から息が吐ける。夜も昼もなくなった薄暗闇で。
顔が醜くて夜に働く神様について思い出す。神様のほうがずっとちゃんと人間だ。
かつての私は料理が好きだったが、この部屋にはキャラウェイシードもディルもなく、米すら炊けず、あるのは消費期限が過ぎているだろうことを見ないようにしている醤油とマヨネーズだけだ。塩ですらない。
趣味が無いと返答するのが無難だが、もう少し話を広げたい気もする。
万一、引き剥がされて持って行かれても痛手が少なく、真っ赤な嘘でもない趣味を挙げるなら料理だが、そういうことはしたくない。この期に及んでまで。
そういうわけで、私は次のように返事をすることにした。最近の楽しいことと言ったら、まさにそれだったから。
『化物さんへ
こんにちは。喜んでもらえたようで、私も嬉しいです。
私もこの文通が趣味になりました。
お返事を楽しみにしております。
かしこ』
名前は書かないように、それだけは気を付けようと思う。
名前が「カシコ」でなくて良かったとも。




