01 はじめての手紙
こうして見てはいけないものを見ないようにしてやり過ごす暮らしのなかで、どういうわけか、すこぶる調子の良い日というのがひと月、ふた月に一度ほどある。
そんな日は、部屋の玄関に積んだゴミ袋をまとめて持って部屋を出て集積所に出し、その帰りに郵便物を回収する。
このアパートの集合郵便受けは1階の出入り口付近にあり、ひと月からふた月毎ともなればチラシが満杯に溜まっている。
郵便受けのすぐ傍にはチラシを捨てるための箱が設置されているものの、手早く要不要を分けられないし、長くその場に佇んで作業するのも避けたいしで、一旦全てを部屋に持ち帰ることにしている。
それは、寝苦しさと汗と湿気と小バエに悩まされる頃のことだ。
◇
『人間へ』
チラシとチラシ以外を分けて残った、無地の封筒を眺める。
宛名は子どものような字で「人間へ」とだけ綴られていて、切手も消印もなく、差出人の情報も見当たらない。
形は書類を三つ折りにして入れる縦長のタイプではなく、レターセットに入っている横型のそれで、封がされていて、少し厚みがある。
開け放した部屋の窓から、隣室のものと思われるTVだかラジオだかの音声が入り込む。
設置場所がこちら際なのか、男声で読み上げられるニュースの内容がはっきりと聞き取れてしまって、頭の中に入ってきてほしくない。
さて、これをどうするか。
一番ありそうなのは特に意味のない無差別のイタズラ。
インターネットに繋がる端末があれば一分もかからずに多数の人間を不快にさせられる昨今において、わざわざレターセットを用意して現地まで足を運んでというのは割に合わない気もするが、世の中にそういう人がいないとは限らない。
面識のない誰かに手ずから怖い文章とか、怖い写真とか、カッターの刃とかを調達して胸を弾ませながら送り届け、被害のさまをまざまざと想像してほくそ笑む人がいるかもしれない。
さすがに触れたところから手や体がどうにかなってしまうような危険物は入っていないだろう。そのはずだ。そういうことにしておく。
次にありそうなのが同じアパートの住人とのトラブル。
私は引きこもりなのでこの辺りに知り合いがいない。郵便受けには号室しか書かれていない。
私の存在が他者に認知されているとすれば、隣の部屋の人とか、上の階の人としてだろう。
下の階の住人は深夜にギターか何かを弾き始めることがある。しかしそういった場合は管理会社から連絡が来るはずだからその線は薄い。
これがイタズラではなく、内容が本当に伝えたいメッセージだったとして。
「人間へ」という宛名からは、この封筒が私宛であるとも私宛でないとも判断できない。
これがたとえば「ロックンローラーへ」だとか「目玉焼きは醤油派の人へ」だったら、違うと言い切れるのだけれど。
――私は人間か?
改めて問う段になると、困惑せずにいられないな、と思う。
そりゃあ人でなくなった覚えは一応まだないことだし、「やあやあ、我こそが人間の中の人間、正真正銘の真人間なり」と登場シーンで大音声の名乗りを上げないまでも、差し当たって人間の範疇だとは思う。
と、ふいに「私は人間だ」と声を上げる男が群衆に笑われる小説の一場面を思い出す。
その作品をちゃんと読んだわけではなく、何かに数行引用されていて、タイトルも著者も覚えていなくて、引用先の本も何も全部この部屋に来る前に捨ててしまった。
あっても今は読むことができないけれど。
私宛だと断定できないものを開封するのは気が引けるが、もし何かの間違いで私のところに別の住人宛のメッセージが紛れてしまったのなら、返却すべきだろう。
封筒からは判断できず、あとの手掛かりは中身。
これ以上よく分からないものを部屋に置いたままにしておきたくないのもある。
そういうわけで、いつからあるか記憶にない中身入りのジャム瓶の蓋をおそるおそる回すような心持ちでもって、私は封筒を開けてみることにした。
開けっぱなしの引き出しからカッターナイフを取り出して封を切り、開け口を下にして振る。
中からは二つ折りの便箋が1枚、これは筆圧らしい文字の凹凸が付いている。
あとは折り畳まれた封筒。厚みの正体はこれで、広げてみれば開封したものと同じ種類のようだ。切手は貼られておらず、宛先も書かれていないただの封筒のように見える。
カッターの刃も怖い写真も出てこなかった。
いよいよ便箋のほうを拾って開いてみる。怖い文章でないと良いけれど。
開封した封筒の宛名と同じく子どものような字が並んでいる。分量がさほど無いので一息で読めそうだ。
それでも時間をかけて文字を目で追い、散らからないよう頭の中で押さえるようにして慎重に意味を拾い上げていく。
『はじめてです。
我が化物です。我は人間から文通を得たいです。あなたは我に文通をもたらしますか。
仮にあなたが我に文通をもたらしませば、我がそれを得ます。我は文通のための封筒を付けます。
あなたはそれを郵便受けに入れます。我がそれを得ます。
かしこ』
「かしこ……」
意味は通るし形もそれらしいのに何かが違う不穏さ。怖いといえば怖い文章だった。
どちらかと言わなくても全振りでイタズラであってほしいが、いかにも怖い話で他人を脅かしやろうという感じはせず、真顔で正直にズレている印象がある。
筆圧が強く字がつたないのもチグハグさを増す。
と、周囲の大人からの「小さな生き物を殺すと雨になるよ。やめなさい」という道徳方面の指導に対して「明日雨になってほしい!」と元気に蟻のいた辺りの地面を踏み付けていた小学校の頃の誰かを思い出す。
これに不穏以外のどういう感想を持てば良いのか分からないし、不穏な事態をどう処理するのが最善なのかも分からない。
分からないなりになんとか絞り出そうとして、「かしこ」ってあれ……あれはいらないんだっけ……拝啓とか前略とかの頭のやつ……とか、「ませば~まし」って習ったやつなんだっけ……とか、あとで調べようとか、いや調べたところでどうせ忘れて終わりだなとか、調べることも忘れるわなどと絞りカスが出てきただけだった。
折り畳まれていた封筒を見やる。便箋の文面に再度目を落とす。
要するに差出人である「化物」さんは文通がしたくて、親切にも返信用封筒を入れてくれていて、返事をするなら郵便受けに入れれば先方に届く、という話だ。
返信用封筒はありがたい。現実逃避気味に思う。この部屋にそのようなものはない。
いや、探せば見つかるかもしれないが、普段開けていない引き出しを開けたくないのだ。中がどうなっているかを確かめたくないから。
それにしても、郵便受けとは、チラシとこの手紙が入っていたアパートの1階にあるそれのことだろうか。
もしも町中に設置してある赤いほうだとしたら、――あちらを「郵便受け」とは普通は呼ばないけれど、郵便物を差し出すには本来そちらが正しいし、意味は通るのに合っているとも言い切れない癖のある文面を見るに、多少補正して読むのが適切な場合もあるように思える――私はそこまで投函しに行くことができない。
どこにあるのかも知らないし、切手を買いにも行けないし、何よりそちらの場合だと宛先がないことが急に不安になってくる。
と、ここまで考えて、私はこれに対して返事をするつもりでいるのかどうかを自問する。不穏だというのに。
仮にこのアパートの1階の郵便受けまで行きさえすれば用事が済むとして、イタズラでないのならどういう現象なのかは深く考えないことにして、オマケに私が宛名の「人間」であることに間違いがなかったとして。
手紙、というものに最後に触れたのはいつだっただろう。
少なくともこの部屋に来てからはないはずだ。ペンを持ったのも。いや、それはある。
引っ越してきてすぐに電気代の引き落としのあれで名前と住所とあと何かを書いたのだった。好きな色が青だった頃に買ったボールペン。
そういえば私はかつて文具が好きだった。あれこれと幅広く買い揃えるのではなくて、よく使う文具をよくよく選んで、長く使えてしっくりと手に馴染む、色や形も気に入ったものにしたかった。
書き味の心地良いペンの替え芯と、たまたまサイズの合った別のメーカーのペン本体の組み合わせ。何かのついでに太さと色だけ確認して替え芯セットを買ったら、思ったよりも数が多くて何年でも書けそうだった。
ドット方眼のメモ帳。メモ帳に気分良く日記を書くためのデータスタンプ。
手帳を選ぶのが楽しかった。最後の数年は毎年同じメーカーの同じデザインの手帳を買っていた。廃盤にならないことを願いながら。もうずっと触っていない。古い手帳は捨ててしまったんだったろうか。
文字が凹んだ便箋をかざして、文通について考える。
文通はひとりではできない。交友関係みたいなものだ。ひとりでは友達になれない。
私が誰かと友達になりたかったとしても、相手が私のことをただの知人だと認識していたら、私とその誰かの関係はただの知人だ。
終わってしまうことは悲しいが、始められないでいることはもっと悲しい。
「化物」さんは始まりを待っている。返信用封筒まで入れて。
もっとよく考えたほうがいい、と自分でも思う。いや考えるまでもなく止めておけが正解だ。それは分かる。
冷静だろうが冷静じゃなかろうがお構いなしにこんなの尋常じゃない。
イタズラで済まなかったとしたら、どんなことになるか分かったものじゃないし、不穏だと感じたのだからわざわざ近づくべきじゃない。
今ここで手を引くのが最善だ。それでなくても風呂場の電球すらずっと換えられないでいるのに、そのうえ手に負えない何かが起こってしまったら、もう本当にどうしようもないに違いないのだから。
――だけれど、
やりたいことが何もない。できることがほとんどない。どこにも行けないで寝て起きて、食べて飲んで、用を足す。
息を吸う。息を吐く。それだけ。それだけの人間でいる私。
もういっそ、それなら。
壁際に積んだままの段ボール箱の上のA4だかB5だかのコピー用紙の束から数枚を掴んで引っ張り出して、その勢いでバサッと細かい何かが飛び散らかって、そんなのは一切見なかったことにして、何ヶ月ぶりだか何年ぶりだかに机に向かって椅子に座ってペンを持って、気に入っていた例のペンはまるで手に馴染まなくて、書こうとしたらインクが掠れて出なくて替え芯を探して、それは最後の一本で、文字はできるだけゆっくり丁寧に書いた。
自分の字が見慣れなかった。
その日はもう部屋の外に出る気力がなくて、次の周期のすこぶる調子が良い日に満杯のチラシを回収してから件の封筒を郵便受けに入れた。風が涼しくなっていた。
『化物さんへ
はじめまして。私は人間です。お手紙ありがとうございました。ぜひ、私と文通をしましょう。よろしくお願いします。
かしこ』




