00 私の生活
フィクションです
私は天井を見つめている。私が天井を見つめているわけではない。体が水平に横たわっていて、顔が上を向いていて、瞼を閉じていないので、眼球が天井を映している。
ここ数年の記憶があまり無い。生きているので、寝て起きて、食事を取って水分を取って、用を足してきたのは分かる。
――何のために生きているのか?
時折、自分の声がする。
――本当は、死んでしまったほうが丸く収まるのではないか?
そう、だけれど怖くてできないでいる。
◇
その衝動にどうしようもなく突き動かされていた時期に、思い立ってやり方を調べたことがある。
当初の目的であったはずの高さだとかタイミングだとか日数だとかの具体的な情報よりも強く心に焼き付いたのが、やり損ねると体を自力で動かせなくなって、次の機会が失われる可能性が高いということだ。
つまり、どうしようもない現状から逃れようとして、よりどうしようもない現実に直面する。
ここにきて取り返しが付かないことを危惧する自分は滑稽にも思える。そのように思考しているだけであって、滑稽さを感じてはいない。
「死ぬ方法」。
こういう類いの語句で検索すると、画面の一番上に相談先が表示される。勇気を出して、というのも変な話だが、一度くらい電話をかけてみてもいいかもしれない。
しばらく逡巡し、思い切って、……繋がらない。混み合っているらしい。世の中には私のような人間がいくらでもいる。そっか、と思う。
惰性でページを送っていると、遺族の声というのが目に留まる。文字がよく読める日は調子が良い。
「ひとりで思い詰めないで、そんなことになっていたのなら一度でも相談してくれたらよかったのに」。孤独死した女性の、親族のひとこと。
我が身について振り返る。
実家の親とは実質縁を切っている。実質というのは、この国の手続きの種類に「絶縁」にあたるものが存在せず、どうにかこうにか親に知らせずに引っ越しても正々堂々と現住所を知られるおそれがあり、どうしようもない気持ちで知られないためにあれやこれやで対策して、の意だ。
あれやこれやにしても、しかるべき機関に足を運んで「私はこの期間にこの種類の被害をこの程度受けました」と具体的に申告して納得してもらわなければならず、制度としては正しい形をしている反面、私のように頭がどうにかなってしまっている人間にとっては地獄のような話である。
それ以外の親戚とは10代の頃には付き合いが絶えていたように思う。
友人にも連絡できていない。もしも私が健康で、金銭に余裕があったなら、友人に連絡を取って会いに行って他愛のない話をするだろう。
ちょっとした手土産だとか、早めだか遅めだかの誕生日プレゼントでも持って。
だけれど、私は健康でなくて、金銭に余裕がない。言ってしまえば困窮している。そんな人間が連絡してしまったら、はっきりと言葉にしなくても「助けて」の叫びが無意識に漏れてしまうだろう。
その「助けて」は、直訳すると「金をくれ」か「無償で労力と時間を提供してくれ」になる。そんなことが伝わってしまって良いわけがない。
そんなの「これまでとこれからの全てをぶち壊して縁を切ってくれ」と同義だ。
そういう理由で、結局のところ誰にも連絡できないでいて、相談窓口に縋りそうになって、だけれど繋がりやしない。
いいや、一度だけ連絡したことがある。あれは五月の大型連休の最中だった。
もう死のうと思っていたので、最後に友人の声が聞きたくて、それで連絡ができた。
大型連休だったのはたまたまで、相手には夫と幼い息子がいて、私の想像上の子どものいる連休中の家族というのはレジャーにしろ家事や用事の消化にしろ予定がぎっしりと詰まっていて、どうにも間が悪いとは思いつつ、もう今しかなくて。
だけれど家庭の邪魔になるのも嫌で、それでも声が聞きたくて、久しぶりに声が聞きたいのだけれど10分ほど時間がもらえるかと尋ねて、
「久しぶりだね元気ー?」
「久しぶりー! 相変わらず家にこもってるよ。そっちはどう?」
なんて何でもないような調子で何でもないような会話をして、分かってはいたけれど「お母さんっ」としきりに話しかける子どもの声がして、やっぱりこんな時に連絡してしまって悪かったな、と悔いて「またね」と言い合って終わった。
それから飲まず食わずで三、四日ほどを過ごして、翌日に何も考えずに水だか茶だかスポーツドリンクだかを口にしてしまって、餓死は一旦仕切り直すことになって湯を沸かしてカップ麺を啜って、さほど間を置かずに戻してしまった。
馬鹿なことをしたな、と便座の前にしゃがみ込んで第二ウェーブを待つ間に思い返しはするものの、こういう時の適切な選択肢である粥やら雑炊やらを作ることもできず、そもそも米も炊けず食料はマヨネーズと醤油だけだったので、馬鹿なことをせずに済んだはずの分岐点はカップ麺か無かの二択になって、一連の思考の意味は無に決着する。
◇
そんなこんなである日、相談窓口に電話が繋がった。
一番上のところは相変わらず混雑していて駄目で、いくつか下のところにかけてみた時のことだ。
主題を伝え、具体例を挙げる。伝わりやすいようにだ。
「もう死ぬしかないと思うんです。やるべき事が何ひとつ、普通のことが普通にできなくなって。顔を洗って身繕いをする。服を着替えて化粧をして外に出る。買い物に行く。電車に乗る。当たり前のことが、当たり前に」
カップ麺にしても湯を沸かせる日と沸かせない日があって、食料を食べやすい状態にする作業については、電子レンジでの加熱のほうが難易度が低い。外装ごと加熱できないタイプを除けば。
「なるほど。それは、本来ならできるのにという憤りからですか?」
電話口の相手の応答に、何を言っているんだろうと思って、不快寄りの不可解を感じて、フカイとフカカイはなんだか似ていて、研究のサンプルでも集めてるのかな、と気を逸せて不可解を散らした。
この人個人がそうなのか、相談窓口を設けている機関の方針なのかは知らないけれど。
この不可解というのは、たとえば「山へ柴刈りに行くはずのお爺さんは、ある朝、柴刈りどころか寝巻きを着替えて外に出ることさえもできなくなりました。ついには淡々とした調子で『もう死ぬしかない』と吐露します」という場面にあって、このお爺さん相手に「それは憤りからですか?」と尋ねられるかどうかという話だ。私にはできない。
とは言えこの不可解はおおよそ私個人の好き嫌いに過ぎず、レバーの炒めたのは食感がムリで歯が震えるみたいな話であって、電話口の相手にぶつけるべき事柄ではないはずだ。レバー炒めを出しませんとは明記されていないのだから。
「いいえ、もうどうしようもないという無力感です」
と答え、続けざまに「どういう気持ちで電話をかけてきたのか」を聞かれて、どうやらレバー炒めだけを提供されるらしいことが分かり、歯が震える心地がしてあとは深く考えないようにしてよく覚えていなくて最後には礼を言って通話を切った。
◇
そうして一年だか二年だかが過ぎたようで、それでもまだ私は生きている。死ぬことも生きることもうまくできずにいて、それなのに死にそびれることは怖い。
失敗しない確実な方法。お金が儲かる秘密かダイエットの広告にでもありそうな、意志に満ち満ちた皮肉な文字列だ。
昔、知人が自殺のことを「自己決定」云々の文脈で語っていたのを思い出す。
細かいところは覚えておらず、言い方が違っていて中身もまるで別だったかもしれない。
それでも散らかった断片をなんとか繋ぎ合わせて再現するなら、確固たる自我があって意志があって、その発露としての死というような意味合いだったと思う。彼はそういう話をよくしていた。
ひるがえって、もしも私がこの生活の延長線上でかつて調べた方法のうちのどれかを完遂できてしまったとしたら、それは人生の事故死みたいなものであって、到底、自己決定と言えるものではないだろう。
どうしようもなくなって、そうするしかなくて、そうしたいわけではないけれど、そうなってしまった、というのができる限り真相を写し取れるようことばを振り絞って像を結んだ事の顛末だ。
まだ現実になってもいないのに過去形でしか語れないような、振り返って見る時にしか姿を現さないような。
当時の知人からしたら不可解も不可解なことだろう。いいや案外、そっか、と思ってくれるかもしれない。そうだと良いけれど。
その場から一歩も進めずに足踏みを続けている、いや立ち尽くす、いや横たわるだけの日々。可不可でいえば、このままでいられなくなるのは目に見えている。
普段はあまり考えないようにしているけれど、たとえば冷蔵庫が壊れたりしたら、私は新しいものを買うことができず、古いものをこの部屋から運び出して粗大ゴミを処分することもできないだろう。体だってそうだ。横たわったまま古びてゆき、運び出されないでいる。
月日が過ぎ行き、過ぎ去った一切が折り重なって振動し、取り返しの付かない音になって遠くから耳に届く。それが段々と近づいてくることを知っている。
ざらざらとした手ざわりを重ねるように、机や棚やカーテンにカビがぽつぽつと生え、ざわざわと広がり、開けっぱなしの革製のペンケースの中を小さな虫が走る。
パスケース。靴に財布。服を詰めたままの段ボール。段ボールの上に投げ出したトレンチコート。私が立ち歩くためにあった色々なものが、私ではない生命群に侵食されていく。
おぞましく、生々しく、口を開けている剥き出しの。
残照だとか残響だとか、今の私の生活は私がまともな人間だった頃の名残りで形を保っていて、それは季節の去り際のたった一輪のようにかろうじてのことであって、既に本体がここにいない以上、付属物のほうもつられて潰えるのが物の道理だろう。
遅かれ早かれ。




