事故物件(最終)ファイル 小林の正体
社の夜は、いつもより静かだった。
千堂は無人の事務所に一人、震える手でスマホの画面を見つめていた。
《SENDO CHIGUSA(準備中)》
さっき勝手に入力された、自分の名前。
目をそらしても、
脳裏にへばりつくように浮かび続けている。
(……私が、次?)
胸が苦しくなるほどに鼓動が速い。
心臓の音が、やけに大きく耳の奥で響く。
ドクン……ドクン……ドクン……
まるで――
誰かが“内側から叩いている”ように。
スマホを握りしめたそのとき――
「残業かい? 千堂さん。」
背後から声がした。
千堂はビクリと肩を震わせ、
ゆっくり振り返る。
そこには、
蛍光灯の下でいつも通りの笑顔を浮かべる小林治が立っていた。
だがその瞬間。
――ブツッ
一瞬だけ、音が消えた。
空気が“切れた”。
「……小林さん。どうして……?」
「忘れ物だよ。鍵を取りに来ただけさ。」
小林の笑顔は柔らかい。
だが、その口元は――
ほんのわずかに、
“不自然な角度で”上がっていた。
まるで、誰かが外側から引っ張っているように。
千堂は決意して、口を開いた。
「小林さん……会社に来る前、どこにいたんですか?」
小林の目が、微かに細まる。
その瞬間、
蛍光灯がジジ……と音を立て、明滅した。
「へえ。ついに、調べたんだね。」
《20年前 失踪した不動産営業マン・小林》
事故物件を多数扱っていた営業マンが突然消息を絶つ。
最終目撃は、“物件の内見へ向かう姿”。
※捜索は打ち切り。死亡扱い。
千堂は搾り取るように言った。
「……あなた、20年前に失踪してますよね?
ニュースにも載ってた。行方不明扱いで……
生きてるはず、ないんです。」
小林はゆっくりと近づく。
その足音が――
コツ……コツ……
床ではなく、
“耳の奥”から聞こえた。
「そう。あのとき俺は“消えた”。
でもね、死んだわけじゃないよ。」
一歩、また一歩。
近づくたびに、
千堂の視界の端で“何か”が増えていく。
動かない影。
壁に貼りついた黒い染み。
椅子の背もたれに、座っている“形”。
「訳あり物件にはさ……人を呼ぶ何か があるんだ。」
「……なに、言ってるんですか……」
「ほら、首吊り、溺死、孤独死、転落死……
みんな、同じ。
“ここ”に来たがるんだよ。
そして、お前も――」
笑った。
その瞬間。
――ガチン
小林の首が、ほんの少しだけ
“横にズレた”。
骨の位置が、合っていない。
だが次の瞬間には、元に戻っている。
千堂の呼吸が止まった。
(見間違い……? いや……違う……違う違う違う……)
突然、事務所の照明が バンッ と落ちた。
真っ暗になる。
その闇は、ただの暗闇ではない。
“濃い”
まるで液体のように、
皮膚にまとわりつく。
千堂は悲鳴を飲み込み、スマホのライトをつけようとする。
だが、画面は真っ黒になり、勝手に文字が走り出した。
《追加完了:SENDO CHIGUSA》
「……っ……!」
その瞬間。
耳元で――
“誰かが、息をした”
背後で、椅子が軋む。
ギィ……
もう一つ。
ギィ……
さらに。
ギィ……ギィ……ギィ……
(なに……? 誰か……いるの?)
スマホのライトが突然点いた。
淡い光の中――
事務所の壁いっぱいに 影 が立っていた。
ただの影ではない。
ゆっくりと、
“呼吸している”。
膨らみ、しぼむ。
まるで壁そのものが肺になったように。
千堂は気づいた。
あれは……
失踪した契約者たちの影 だ。
顔の位置に、空洞。
だがそこから、
ズル……
と何かが垂れた。
黒い液体。
いや――
影そのものが、溶けている。
その中心に、小林が立つ。
「みんな,“俺の物件”から出られなくてね。
でも、寂しくないよ。
こうして……家族が増えるんだから。」
その背後で、影たちの“首”が一斉に傾いた。
ボキッ
ボキボキボキッ
人間ではありえない角度。
影たちが一斉にこちらを向いた。
目がない。
口が裂けている者もいる。
首がぐにゃりと曲がっている者も。
そして――
全員、同時に口を開いた。
声は出ない。
だが。
頭の中に直接、流れ込んできた。
《こっちにこい》
《かえれない》
《いっしょ》
《おまえも》
千堂の膝が崩れた。
「や……やめて……!」
床に手をついた瞬間、
“冷たい何か”が指に触れた。
見下ろす。
床が濡れている。
黒い水。
その中に――
“顔”が沈んでいた。
目を見開いたままの顔が、
水の中から千堂を見上げている。
瞬きをした。
いない。
だが次の瞬間。
足首を、
掴まれた。
「っ……!!」
小林が手を伸ばす。
「こっちにおいで。
千堂さん
君も、訳あり住民になろうよ。」
その声は、もう一人ではなかった。
何十人もの声が重なっている。
低い声、子供の声、女の声、老人の声。
全部が、小林の口から出ていた。
影が一斉に、千堂へ襲いかかった。
床が波打つ。
壁が歪む。
天井が沈む。
空間そのものが、
“内側へ引きずり込もう”としていた。
影たちが一斉にこちらへ倒れ込んできた瞬間
千堂の喉から、張り裂けるような悲鳴があがった。
「いやだ!! 来ないでっ……来ないで!!
小林さん……やめて……やめてください!!
わたし……まだ……まだ死にたくない……!!
助けて……誰か……っ……!!
やだ……暗い……やめてぇぇぇええええ!!
いやあああああああああああっ!!!!!」
影が、千堂の口の中へ流れ込む。
鼻へ。
耳へ。
目の奥へ。
内側から、侵食してくる。
最後の言葉は、
涙とも呼吸ともつかないかすれ声だった。
「……たす……け……」
その声は闇に吸い込まれ、
跡形もなく消えた。
――ズル……
何かが、床を引きずる音。
事務所には、
再び静寂が戻る。
数秒後、
受付のパソコンが自動的に起動した。
画面には新しいファイル名が浮かぶ。
《新ファイル 準備中》
その下に、小さく
《入居済》
と表示された。
蛍光灯が一度だけチカッと光る。
暗い事務所の奥――
誰もいないはずのデスクの椅子が、
ゆっくりと、
ギィ……
と回った。
そこに座っていた“影”が、
こちらを向いた気がした。
そして。
誰かの足音が、
ゆっくりと歩き去っていく。
コツ……
コツ……
コツ……
その音は、廊下ではなく――
“次の物件へ向かっていた”。
――最終ファイル BAD END――




