事故物件ファイル13 借金苦で自殺した豪邸
「今度の現場は…練炭自殺です。」
小林が資料を見ながら呟いた。依頼主は物件の大家だった。都内の高級住宅街にある豪邸。その中で、会社経営者だった夫妻が命を絶った。
千堂は車を降りながら呟く。
「ここが物件ですか?想像以上に立派な家ですね。」
同行していた特殊清掃業者の男が言った。
「外見に騙されちゃいけません。中は…なかなかのもんですよ。」
玄関の重厚なドアを開けると、突如、犬と猫の鳴き声が響き渡った。ガラス越しに飛びつく犬。うねるような猫の鳴き声。
――その瞬間。
千堂の視界が、わずかに“ズレた”。
玄関に立っているはずなのに、同時に別の光景が重なる。
暗い室内。
餌の皿。
空っぽ。
喉が焼けるように乾いている。
「……っ」
一瞬で元に戻る。
「…うっ、すごい臭い…」
千堂が顔をしかめる。
無垢材の玄関には、点々と動物の糞がこびりついていた。豪邸に似つかわしくない、荒れ果てた匂いと空気が室内を包んでいる。
「どうやら、この夫妻…犬や猫に餌だけ与えて、躾は完全に放棄していたようです。」
リビングに入ると、床一面に大量の糞。白い大理石がほとんど見えないほど汚されていた。
小林が小声で呟いた。
「まるで…トイレの中にいるみたいだな。」
特殊清掃人が頷いた。
「ひどい状態です。リビングだけはどうにか清掃しましたが…他の部屋?私も入りたくなかったですね。」
――視界が、また揺れる。
床に伏せた犬。
動かない。
その横で、猫が鳴いている。
何度も、何度も。
返事はない。
腹が減っているのに、食べるものがない。
水もない。
ただ、待つ。
帰ってくるはずの“人間”を。
「……千堂?」
小林の声で現実に引き戻される。
「……あ、はい……」
千堂はこめかみを押さえた。
夫妻には子どもがいなかった。その代わり、ペットに埋め合わせを求めたのかもしれない。
だが、命を絶ったその日、彼らはペットたちを放置したまま、車庫にこもり、車内で練炭をたいて死んだ。
特殊清掃人は言う。
「炭の臭いはね、消すのがとにかく大変なんです。ですが、プロですから。今ではもう、あの匂いは残っていません。」
だが、千堂には“残っていた”。
鼻の奥に、焦げたような、苦い臭い。
それと同時に。
閉じ込められた車内。
曇った窓。
動かない二人。
ドアの向こうで、引っ掻く音。
「……開けて」
声ではない。
鳴き声でもない。
“感情”だけが、直接流れ込んでくる。
事件後、家には何度か賃貸の話が出た。そして最終的には売却された。
「ちなみに…自宅の方では、犬が二匹、生き残ってたんです。」
特殊清掃人がふと思い出したように話し始めた。
「その犬たちは…どうなったんですか?」
「私がNPOに連絡して保護してもらいました。インコとか金魚なら、引き取り手がなければ自分で世話します。遺品と一緒に処分しろなんて言われても、命はそう簡単に捨てられませんから。」
千堂は、ふとリビングの片隅に残された家族写真を見つけた。そこには、夫妻と笑顔の犬たちが写っていた。まるで、何もなかった頃の幸せの証明のように。
「…借金で、全てを失っても…最後まで一緒にいたのは、ペットだったんですね。」
「だけど、そのペットすら…部屋ではただの荷物のような扱いになってしまう。」
小林が呟いた。
玄関を出たとき、風が背中を押した。
振り返る。
窓の奥。
一匹の猫。
じっと、千堂を見ている。
目が合った瞬間。
繋がった。
世界が、反転する。
暗闇。
空腹。
渇き。
そして
「なんで帰ってこないの」
「ずっと待ってるのに」
「ここにいるのに」
無数の“待ち続けた時間”が、一気に千堂の中へ流れ込む。
ドアを引っ掻く爪。
鳴き続けて枯れた喉。
動かなくなった仲間の体温。
そして最後に残ったのは、
ただ一つの感情。
見捨てられた。
「……っ!!」
千堂は思わずよろめいた。
「おい、大丈夫か!」
小林が腕を掴む。
その瞬間、リンクが切れる。
呼吸が荒い。心臓が異様に早い。
だが、窓の中の猫は、まだ千堂を見ている。
今度は、何も送ってこない。
ただ、静かに。
じっと。
見ているだけだ。
その視線は、誰のことを見ていたのだろうか。
事故物件ファイル13 借金苦で自殺した部屋 エンド




