08 王の側近
――その後も、エイダの動作はどこか危なっかしかった。
彼女がベッドメイキングをしている最中にシーツを逆に敷いてしまったり、火を入れるべき暖炉の薪を入れ忘れたりするたび、彼女自身が一番焦っているのがわかった。
だが、そんな彼女をマリーは一度も責めなかった。
「ま、誠に申し訳ありません……」
「少しずつ慣れたらいいわ」
そう言って微笑むマリーに、エイダは涙をこらえるように俯く。そして、小さな声で呟いた。
「ありがとうございます……聖女様は本当にお優しいです。私なんかがこうして専属になれたことが奇跡です」
「エイダが専属を希望したの?」
城中が聖女という存在をどこか忌諱しているのに、珍しいこともあるものだ。きっと押しつけられたのだろうと思ったけれど、そうではないようだ。
「ハイッ! 私は旦那様に推薦していただいて王城に来たんです。ですが能力も低いので、きっと聖女様の専属メイドの仕事は受からないと思いました。そしたら受かって……! とてもうれしく思います」
花が咲いたように、エイダは明るい笑顔になる。
心から嬉しそうで、思わずマリーもつられて微笑んでしまう。
「ええと、エイダの旦那様というのはどなたなのかしら」
「あっ、私は元はへヴァン子爵家のタウンハウスで働いておりました。そこで聖女様のお話を聞いて、旦那様に応募してみたらどうかといわれましたので!」
「へヴァン子爵……?」
ハキハキとしたエイダの言葉にマリーは思考を走らせる。
へヴァン子爵は領地を持たない貴族だが、その歴史は古く、建国以来の貴族家である。伯爵位を望まれているという話を聞いたこともあるが、歴代当主は頑として頷かないらしい。
商業ギルドの取り纏めをし、この国の交易を支えている重要な家門であるとかつて学んだ。そして今その名前を聞いて思い出すのは、先日のティンダル伯爵領で起きた例の馬車の事故だ。
あのとき馬車に乗っていたのが、へヴァン子爵本人だったと聞いている。
(そして子爵はコーディを救護院に運んでくれて……もしかして)
そこまで考えて、マリーはハッとした。あのときは緊急事態で気付かなかったが、子爵はあの場にいたのかもしれない。
「先日、旦那様はマリー様の神々しいお姿を見たと仰っていました! とても興奮されていて、私をこうして推薦くださったのです!」
エイダは誇らしげに胸を張る。
やはりそうだったのか。あんな石版での力の確認などではなく、子爵は実際にコーディが生還するのを見ていたのだ。
エイダの言葉を聞き、マリーは彼女が自分の世話を押しつけられたわけではないことを理解し、安堵した。
「エイダさん、これからよろしくお願いします。私のことは『マリー』と呼んでください。聖女と呼ばれるのはあまり好きじゃないので」
「は、はい! マリー様と呼ばせていただきます! わたしのことは、ただの『エイダ』と。お願いいたします」
エイダは驚いたようにマリーを見つめ、それから小さくうなずいた。
ぎこちなくも懸命な彼女の姿は、マリーにとって温かいものだった。
***
翌朝、マリーがエイダと一緒に朝の準備をしていると、扉が少し乱暴に叩かれた。
「はい、どなたでしょうか」
床掃除をしていたエイダがパタパタと扉に駆け寄る。
マリーはそれを眺めながら、暖炉の前に膝をつき、鉄の火掻き棒を手にしていた。
窓は完全に開け放って、灰を吸い込まないように口元にはしっかりと布を巻いている。汚れてもいいように、エイダからエプロンも借りて準備万端だ。
「ま、マリー様っ! お客様です!」
慎重に火かき棒を動かして灰を集めているマリーの所にエイダが戻ってくる。
今、いいところだったのに。
そう思って顔を上げると、眼鏡をかけた藍色の瞳が訝しげな顔でマリーを見下ろしていた。
「……何をしていらっしゃるのですか」
国王ヴィンセントの側近のシオドリックだ。
見て分かると思うのだけれど、という言葉が口をついて出そうになったのでマリーはとりあえず笑顔をつくる。
マリーになったことで、体だけでなく心も随分と丈夫になったらしい。
「ごきげんよう、マクナイト様。暖炉の調子が悪いので掃除をしておりました」
口元を布で拭ってそう答えると、シオドリックの表情がさらに歪む。
「なぜ暖炉で本物の火を扱う必要があるのです。暖房用の魔道具は支給されているはずでしょう」
「この部屋にはありませんでしたが。薪と火入れの道具だけ置いてあったので、自分でやれということかと思っていました」
「そんなはずはないでしょう! それに、そうであったとしても暖炉の火起こしなどはメイドがやるべきものです」
シオドリックは声を荒らげる。
そう言われても、事実なのだから仕方がない。
「ここには昨日エイダが来るまではどの使用人も来ておりませんので、全て一人で対応していました」
「一人も……? 人員は手配したはずだが……まさか本当に陛下のご懸念が……」
シオドリックはなにやらブツブツと呟いていて、その様子は本当に驚いているように見える。
(てっきりこの人が指示したのかと思ったけれど……違うみたい?)
マリーは彼の様子を見てそう思い直した。全開にした部屋の窓からは風が吹き込んできて、そのひんやりとした冷気に無意識に身体を震わせた。
昨夜の焔の名残はかすかな熱を宿した灰の山となっており、わずかに立ち上る白い煙がただよっている。
「……至急、こちらに暖房用魔道具を手配します」
「まあ、贅沢だと陛下に怒られてしまうのではありませんか?」
バツの悪そうなシオドリックの提案に、マリーはわざと驚いたような声を上げる。
ヴィンセントは贅沢をするなと言っていた。だからこそ、このように自給自足に似た生活をさせているのだと思っていたのだけれど。
「暖房器具は城内の客室に常設されているものです。贅沢品とは捉えられません」
「そうなのですか。ではお願いいたします」
実家では暖炉をよく使っていたから特に不便には思わなかったが、確かにこの灰の処理には手間がかかってしまうのでとても助かる。マリーはその申し出をありがたく受け入れた。
この世界では、魔道具という便利な器具が広く普及している。
魔道具は「魔石」と呼ばれる特殊な鉱石を動力源とし、魔力を蓄え、それをエネルギーとして動作する仕組みだ。
暖房や照明、さらには調理器具や通信道具に至るまで、魔道具は貴族の生活に欠かせない存在となっている。
だが、それを使うには魔石に込められた魔力を定期的に補充する必要があり、補充作業は限られた者――魔力を持つ者か、魔力供給に特化した魔法使いだけが行える。
マリーの父は、生活の全てを魔道具に頼ることをよしとせず、領民と同じような暮らしを心がける人だった。
だから特段不便な暮らしを強いられたとまでは思っていないのだけれど、目の前のシオドリックにとっては違ったらしい。
なにやら険しい顔をして、手に持ったノートにつらつらと書き留めている。
「あなたの待遇について、至急確認します」
ぱたりとノートを閉じたシオドリックは、眼鏡をそっと動かした。




