07 王宮
王宮での生活が始まって三日が経った。
マリーが与えられた部屋は今は使われていない東宮の一室。
簡素な装飾と冷たい石の壁に囲まれたもので、まるで客人というより隔離された存在のように感じる。
(王宮にこんな場所があったなんて知らなかったわ)
マリーは室内を興味深く観察する。
部屋に備え付けの暖炉はあるものの、そこに火は入っておらず春とはいえ朝晩は少し冷える。
「さて……どうしようかしら」
何もない部屋の中で、手持ち無沙汰なマリーはぐっと伸びをする。
『何かあれば呼び鈴を鳴らしてください』
初日にそう言い残したメイドたちは、こちらが呼び鈴を鳴らしても現れることはない。
それどころか部屋の中には掃除の跡もなく、棚の上には埃が薄く積もっていて初日は掃除から始めたものだ。
ご丁寧に掃除道具や着替え、薪や火起こしの道具は部屋に残されていた。
もしマリーが前世のとおりに何もできない深窓のご令嬢であればこの待遇に縮こまっているしかなかっただろうが、あいにく領地にて鍛えられていた。
火起こしもできるし、掃除洗濯だってやれるのだ。
なので、勝手にさせてもらった。
夕方になってようやくマリーの部屋を訪れたメイドは、世話していないはずのマリーがこの部屋で快適に過ごしているのを見て非常に驚いていた。
そして、彼女が運んできた食事はものすごく冷めていたし、パンはパサパサで時間の経った黒パンだった。まあ、全部おいしく食べたけれど。
(思った以上の冷遇だわ。まがりなりにも貴族令嬢だというのに)
マリーはふうとため息をつく。
デビュタントはしていないにしろ、マリーはしっかりとティンダル伯爵家の娘で、そう名乗りもした。
この城に到着したときから感じていた、『聖女』に対する嫌悪感と疎外感。それがなぜなのかは分からないが、それはこの城全体を暗く包み込んでいるように思えた。
(ヴィンセントは、聖女に対してあまりいい印象がないようね……)
諦観に似た冷たい眼差しを思い出しながら、マリーは追加の薪をくべる。
メラメラと燃える赤い炎に、先日の謁見の間でのヴィンセントの瞳が重なる。いや、彼の目には熱さなど感じなかったが。
懐かしい気持ちもあり、ヴィンセントと一度話をしてみたいと思う。
だけれど、立場や身分、それから置かれた状況からしたらそれはきっと叶わないだろう。
「せめて、なにか文献を確認できたらいいのだけれど。それにずっと閉じこもってばかりで、この力を何にも使えていないわ」
ベッドに腰掛けると、そんな思いが口をつく。
じっと右手を見れば、月明かりのようにぽわんと柔らかく光る。
聖女の力を使って瘴気を払わなければ領地にも帰れないというのに、仕事すら与えられない。こんなことではいつまで経っても平和な暮らしができない。
――コンコン。
唐突に扉がノックされ、マリーはさっとそちらを見た。
食事の時間にはまだ早い。誰の来訪なのかまるで分からない。
「せ、聖女様。しつれいいたしましゅっ!」
警戒しているマリーの元に、ガチガチに緊張している少女の声が届いた。
以前ここに来たメイドの声とは違う。最後の方、なんだか噛んでいたようにも思える。
「どうぞ。鍵は開いているわ」
マリーは首を傾けながら、その声の主に応じることにした。
ゆっくりと扉が開き、一人の年若いメイドがぎこちない足取りで部屋に入ってくる。あどけない顔立ちで、慣れない仕草がどこか頼りない。
きっと、マリーよりも年下だろう。
「し、失礼します! 今日からお部屋の世話をするよう命じられました、エイダと申します。せ、聖女様、よ、よろしくお願いします」
そう名乗ったメイドは、がばりと頭を上げ下げした後に、どこか落ち着かない様子で立っている。
このタイミングでどうして専属メイドがつくのだろうと思わなくもないが、純朴そうなこの少女が手伝ってくれるのならばありがたいことだ。
「よろしくお願いします、エイダさん」
マリーが優しく微笑むと、エイダは少しホッとした表情を浮かべた。
「で、では。お食事の用意をさせていただきますね!」
ワゴンを室内に運び入れたエイダは、テーブルの上に慎重に食事を並べてゆく。
なんだかおいしそうな香りがふわりとマリーの元へと届く。昼までは冷め切った食事だったが、エイダのそばにあるワゴンの上からは湯気のようなものが見える。
どういう風の吹き回しか分からないが、今夜は温かい食事が出されるらしい。
「あっ!」
最後にその湯気が立つ食器をテーブルに移そうとしたとき、エイダは指を滑らせてスープの一部をこぼしてしまった。
「もっ……申し訳ありません!
」
エイダは顔を真っ赤にして慌てふためきながら、床を拭こうと膝をつく。
マリーは思わず立ち上がり、彼女の手にそっと触れた。
「大丈夫です、エイダさん。気にしないでください。指を見せて」
「は、はい……」
エイダがマリーに差し出してきた指先はどれも赤くなっている。少しかさついていてキュッと冷えていた。
(火傷はしていないかしら。……少しだけ)
マリーはエイダの指を両手で包み込むとそっと治癒の力を使った。
マリーの手のひらの中で、エイダの手が淡く光っている。
「せ、聖女様!?」
「私のせいで火傷をしてしまったのだもの。これは内緒にしておいてね」
「そ、そんな……! 悪いのはわたしですのに。ありがとうございます」
彼女の手はほんのり温かくなり、火傷と一緒に小さな傷もきれいに治癒できた。
温かなスープがちょっとだけ残念ではあるけれど、大事に至らなくて何よりだ。
「エイダさん、準備をありがとう。いただくわね」
マリーはエイダの動揺を和らげるように、殊更穏やかにそう言う。
恐縮した表情のメイドは、また深々と頭を下げた。




