04 冷徹な王
それにしても、と思う。
(……前は、聖女様のことをあんなに崇めていたというのに、どういう変化なのかしら)
それに、後で調べて分かったことだが、マリーの生まれ年は何の因果かマリエッタの没年と同じ星暦一七四二年。
つまりは、聖女ユイの召喚に沸いたあの時から十六年しか経っていない。
(ユイがいるのに、次の聖女が生まれたのはなぜ? 今ユイは何をしているの? それに、あの方は……)
考えていると、どんどんと心臓が痛くなってくる。
優しかったあの人、変貌したジェロームのあの目が思い出される気がして、マリーは考えるのをやめた。
「オーガス様。私はこれまで王都に来たことがなく、大神殿にも伺ったことがありません。問題なく受け答え出来るでしょうか……?」
オーガスにそれらしいことを告げてみる。
マリーが不安げに眉を寄せると、オーガスは納得した顔で、それでも安心させるようににっこりと微笑んだ。
「マリー様が心配なされるのも無理はありません。ティンダル領は穏やかでのどかな場所なので、王都との違いに驚かれるかもしれません。ですが、聖女であられるあなたを神殿はあたたかくお迎えになるはずです」
胸に掲げる星型のペンダントに手をかけ、オーガスは染み渡るような温かな声でそう述べる。
さっきの門番だけがあのような態度だったと思いたいところではあるが、王城がそんな綺麗な場所ではないことはマリーが一番よく知っている。
「ああでも。国王への拝謁があるそうですね。それは流石に、私でも緊張いたします」
「……確か国王陛下は、お若い方なのですよね。詳しくは存じ上げませんが」
「そうですね。王太子であったヴィンセント殿下が成人されてから、前国王がすぐに譲位されましたので」
「ヴィンセント殿下が……?」
オーガスの言葉に、マリーは引っ掛かりを覚えた。
詳しい王都の状況について、耳に入れようとしていなかったのもある。
前王が譲位したという話だけは聞き齧っていたが、それは、あの時王太子だったジェロームにだと思っていた。だってヴィンセントは、あの時第二王子で――
銀髪の愛らしい少年を頭に浮かべながら混乱するマリーを、オーガスの柔らかな翡翠の瞳が真っ直ぐに見ていた。
「はい、そうです。マリー様もご存知だったのですね。年若いとはいえ、その冷静な采配と政治の辣腕ぶりは目を見張るばかり。非常に思慮深い御方と聞き及んでおります。きっとマリー様のお力になってくれると思います」
「はい……」
完全に国王を信じきっているオーガスに、マリーはそうぎこちない返事をするに留めた。
「大丈夫です! うん、聖女様なのですから!」
何も分からない。この目で見ない限り。
この十六年、王宮で何があったのだろう。
国王はまだまだ現役で在位であったし、王太子も別に立っていた。それに、異世界の聖女の召喚にも成功して、この国は確かに沸き立っていたはずなのに……?
馬車が王宮に到着し、マリーはオーガスにエスコートされて馬車を降りる。
それと同時に、壮麗な王宮の門が大きく開かれた。
「……っ」
謁見の間へと続く広々とした赤い絨毯の上、マリーを迎えたのは冷ややかな騎士や神官たち、彼女を値踏みするような視線を投げかける人々だった。
「……これが聖女様か?」
「田舎臭いな。大丈夫なのか?」
「金の髪か。色味だけは立派なことだ」
わかりやすい陰口まで聞こえてくる。
(どうやら、オーガス様の考えとは違って、私は歓迎されていないようだわ)
だれもが門番の騎士と似たような対応だ。
オーガスも予想外だったようでおろおろと周囲を見つつ、だが歩みを止めずにマリーに寄り添う。
マリーも彼らの言葉に動じることなく、静かに微笑みを返した。
聞こえていると牽制を込めて微笑めば、わざとらしい咳払いも返ってくる。
内心では不安を感じながらも、マリーは真っ直ぐに王の間へと続くその道を、歩みを止めずに進んだ。
***
王宮の中に入った瞬間、マリーは息を呑んだ。
目の前に広がるのは、神々の住まう殿堂のような光景だった。
白亜の壁には繊細な彫刻が刻まれ、柱という柱が星神アストリアを象徴する星形や花模様で飾られている。壁沿いには高窓が並び、磨き抜かれたガラス越しに差し込む陽光が、廊下を歩む者たちの影を長く引き延ばしている。
玄関ホールには、豪奢なシャンデリアが中央に鎮座している。
無数の水晶で作られたその装飾品は、昼間でも煌々とした輝きを放ち、天井から降り注ぐように光を投げかけていた。
床は磨き上げられた黒と白の大理石が交互に敷かれたモザイク模様で、歩くたびにコツリコツリと足音が清らかに響く。
(――懐かしい)
この荘厳な王宮の変わらぬ姿に、マリーの胸にはなんとも言えない気持ちが、去来する。
妃教育のために、何度も来たことがある。あの頃に見た景色と同じようで、どこか違うような。
悲しさと懐かしさをごちゃまぜにした気持ちでここに立つ。
案内役の宮廷官とオーガスが静かに進むのを追いながら、マリーは廊下に広がる長い絨毯に目を向けた。
それは深紅のベルベット地に金糸で縁取られ、途中、王家の紋章が織り込まれている。
左右には鎧をまとった衛兵たちが立ち並び、その鋭い視線がマリーを一瞬ごとに値踏みするように感じられた。
「こちらが謁見の間への入り口です」
案内役の淡々とした声が響くと同時に、重厚な扉が静かに開かれた。
金と銀の装飾が施された扉は、魔力を封じ込めた古代の工法で作られたと言われるもの。きしむ音ひとつ立てずに開くその様子に、マリーは威圧感を覚えた。
開かれた謁見の間は広大だった。
高い天井には星空を模したフレスコ画が描かれ、夜の空のように深い紺色が背景を成している。
その中央にはさらに巨大なシャンデリアが吊るされ、無数の宝石が星々のように輝きを放つ。両側の壁には緞帳がかけられ、どこまでも長く続くような錯覚さえ与えてくる。
その奥、玉座へと続く赤い絨毯が一本まっすぐに敷かれていた。
その絨毯は、まるでこの国の歴史と権威を象徴する道のように、玉座に立つ王を導いているかのようだった。
玉座の背後には、星神アストリアの大きな彫像が鎮座し、その威容が謁見の間全体を見下ろしている。
そして、その玉座には、銀髪の男が座していた。
国王ヴィンセント、この国の実権を握る存在。彼の存在そのものが、部屋全体を支配しているように感じられた。
(あれが……いつも可愛らしい笑顔を見せてくれていたヴィンセント?)
謁見の間の高座に座るヴィンセントは、誰もが目を奪われるほどの美貌を誇っていた。
銀の髪は柔らかな光を受けてきらめき、まるで月光そのものが形を成したかのようだ。その銀が、彼の端正な顔立ちをより際立たせている。
その顔は彫刻のように整っており、鋭い頬骨と高い鼻梁が冷徹な印象を強調している。薄い唇は決して笑みを浮かべることはない。
そして、見る者を射抜くような瞳。深紅の瞳は、まるで血の湖が静かに揺らめいているような不気味な美しさを持つ。
冷たく感情を感じさせないその瞳は、どんな相手にも一切の妥協を許さない冷酷な支配者の魂を映しているようだった。
完璧に美しい。だが、その美しさは人を寄せ付けない冷たさを纏い、まるで触れれば凍りついてしまう氷の彫像のようだ。
幼い頃の面影も、少しはある気が……する。
(本当にヴィンセントなのね……。ああ、ずいぶんと大人になって)
銀の髪と赤い目。顔つきや表情はすっかり変わってしまったけれど、懐かしいその人の姿にマリーは思わず目を細める。
かつてマリエッタであったとき、婚約者にすっぽかされた茶会にはいつのまにかヴィンセントが同席してくれるようになっていた。
いつもにこにことしていて、無邪気でかわいらしい弟のような存在。マリエッタの八歳年下で、まだ勉強不足だからとマリエッタに勉強を請うこともあった。
城内や侯爵家内で孤立してゆくマリエッタにとって、第二王子ヴィンセントとのその時間だけが優しい時間が流れているように感じられたものだ。
『マリー義姉様!』と、まだ声変わり前の愛らしい声がマリエッタを呼ぶと、重圧にさいなまれていた心が少し軽くなる。
針のむしろのような日々の中で、その日だまりのような笑顔に確かに救われていたことを思い出す。
無機質な、感情のない顔でこちらをにらむように見ているその人がヴィンセントだとは知らなければ絶対に結びつかなかっただろうなとは思う。絶対そう。