26 再会
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目を覚ますと、暖かな毛布の感触と、静かな灯りの揺らめきが目に入った。
マリーはゆっくりと瞬きをして、薄暗い天井を見上げる。
(あら……? ここはどこかしら)
森で瘴気を浄化したところまでは覚えている、
それから帰りにヴィンセントの手を借りて帰路について、まんまと眠ってしまったような気がする。
「……目が覚めたか」
低く落ち着いた声がした。
視線を向けると、ヴィンセントがベッドの傍らに腰かけていた。その表情にはどこか疲労の色が滲んでいる。
「へっ、陛下! どうしてここに……」
言いかけて気がついた。
マリーの手が、ヴィンセントの手をぎゅうと掴んでしまっている。
その部分にマリーが気がついて視点を向けると、ヴィンセントは困ったような顔をした。
「すまない。君が離してくれなくて……ついでに魔力を供給させてもらっていた」
「も、申し訳ありません!」
「おそらく、無意識に魔力の供給を求めていたのだろう。手も随分と冷えていた」
ヴィンセントの手は温かく、魔力の巡りを感じる。身体がポカポカと温もっているのはそのおかげだろう。
「食事を用意させよう」
「陛下のお加減は大丈夫ですか……? 私、とんだ粗相を。どのくらい眠っていたのでしょう」
どのくらいヴィンセントに不自由を強いていたのか分からないし、心なしかヴィンセントの目の周りがほんのりと赤いようにも見える。
ゆっくりと身体を起こしたマリーが治癒のためにヴィンセントに触れようとすると、その手をパシリと掴まれた。
「私に力を使う必要はないよ、マリー」
その微笑みはとても優しく、マリーへのいたわりが感じられる。それにまだドキドキとしてしまうのはどうしてなのか。
「食事を取ったらまた休みなさい。まだ夜中だ」
「夜中……まだ今日なのですか」
「ああ。しっかり休んで、二日空けてから再度浄化地点に向かう計画になっている。だが、無理はせずに──」
離れていこうとしたヴィンセントの手を、マリーはとっさに掴んでいた。
そのせいで、ヴィンセントの目が驚きに見開かれている。
どうしてこんな行動をとってしまったのか、マリーにも分からない。だが、どうしてもそうせずにはいられなかった。
「陛下もきちんとお休みください。私に魔力を分け与えてくださったということは、あなた様が疲弊してしまっています」
「いや、しかし」
「ヴィンセント陛下」
明らかにたじろぐヴィンセントに、マリーは語気を強くする。きっとまた無理をするつもりだ。マリーなりにヴィンセントの性格は分かっている。
マリーはベッドから少し身を起こし、真剣な眼差しで彼を見つめた。
「あなたは昔から無理をして平気な顔をする癖があるでしょう? 剣の鍛錬で痣になるほど痛めつけられたのに、お茶会に来たり」
ヴィンセントの表情が一瞬、凍りつく。
マリーはそのことに気づかず、なおも続けた。
「ちゃんと休まないと、いざというときに倒れてしまうわ。あなたは――」
言いかけて、マリーは自分の言葉に違和感を覚えた。
(……私、何を言って……?)
なぜ、こんなに自然に彼のことを叱っているのだろう。なんとかして説得しないと、また無理をしそうでこわくて。必死になって言葉を紡いでいたはずだったのに。
「……」
マリーの沈黙を、ヴィンセントは見逃さなかった。
彼の目が、静かに、しかし揺るぎなくこちらを射抜く。
次の瞬間――
「……マリエッタ、義姉さま」
その呼び名を聞いた瞬間、マリーの全身が凍りついた。
(え……?)
心臓が喉元まで跳ね上がる。理解が追いつかない。
彼は、確信している。いや――とっくに気づいていた?
「な、なにを……」
かすれた声が漏れた。
だが、ヴィンセントの視線はまっすぐに向けられている。動揺し、言い逃れしようとするマリーを、逃さないというように。
「マリー。やはりあなたは、マリエッタ様なのですね」
(……もう、誤魔化せない……)
震える手をぎゅっと握る。観念したマリーは、静かに息を吐いた。
「……はい、そうです」
決意を込め、彼の瞳をまっすぐに見返した。
「私には、マリエッタ・ハフィントンとしての記憶が確かにあります」
その瞬間――
ヴィンセントがマリーを強く抱きしめた。
まるで、二度と離さないと言わんばかりに。
「っ……!」
あまりの勢いに息が詰まりそうになる。
腕の力が強すぎて、ほんのりと痛い。
だが、彼の震えた息が耳元にかかるのを感じて、マリーは目を見開いた。
「……マリエッタ義姉様、マリエッタ……! すまない、貴女を独りで逝かせてしまった……僕は、僕は貴女を守れなかった……っ」
ヴィンセントの感極まった声がすぐそばで響く。普段は冷静な彼の、幼さが滲んだ懇願するような声。
マリーは、そんなヴィンセントをどうしていいかわからず、幼い頃と同じようにそっと彼の髪に指を伸ばした。
大きくなった彼が、まだあの頃の少年のように泣きそうな顔をしている。
ふわり、ふわりと、優しく髪を撫でる。
「──大丈夫よ、ヴィンセント。あなたは何も悪くないもの」
囁くように告げると、ヴィンセントの肩が小さく震えた。
彼の腕の力が、さらに強くなる。
あのときの幼い王子に、当時の王政の腐敗を知ることができたはずがない。
兄王子が婚約者を罠に嵌めて、愛する聖女に毒を飲ませて。そしてそれを父である王が黙認するだなんてことを、留学した彼が知っているはずがないのだ。
色々と書物を見て、マリーが至った結論はそれだった。
腐敗しつつある王政に諫言するハフィントン侯爵家ごと、破滅の道に向かわせるための謀略。マリエッタを処刑し、侯爵家を取り潰し、そうして得られた甘い蜜を吸う。
異世界からの聖女召喚自体も、王政への批判を目眩ましさせるための舞台装置だった可能性も高い。
マリエッタが健在だった頃から、この国はゆるやかに傾いていたのだ。
もしかしたら父はそれを知っていて、王妃となったマリエッタが是正することを願っていたのかもしれない。誰よりも気高く、誇りある貴族だった。
「……貴女に、会いたかった」
「ヴィンセント」
「隣国から戻れば、会えると信じていた。出発する前に、あなたに『また会いたい』と言いたかった……!」
ヴィンセントの抱擁は一層強くなる。
少し苦しいが、いやだとは思わなかった。
ヴィンセントの心臓がトクトクと動いていて、その音にすら安堵を覚える。
「私も、ヴィンセントにまた会えて嬉しいわ」
その言葉が、どこまでも切なく、愛おしく響いた。




