25 過保護
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無事とは言えないが、前よりも楽に転移を終えたマリーは、馬車で身支度を整えながら、ふと気がついた。
(……あれ?)
この前は最低限の確認だけをして必要以上に関与しなかったヴィンセントが、今日はやけに細かかったような気がする。
『移動中に寒くならないように羽織るものを用意させた。絶対に我慢しないでくれ』
『転移の影響が残っているかもしれないから、無理はしないように』
『疲れたら、遠慮せずに言うように』
次々とヴィンセントの口から出た気遣いの言葉に、マリーは目を瞬かせたものだ。
そして、今。
「マリー、水分は摂っているか? 南部は気温が高い。途中で喉が渇くかもしれないからな。この果実水を飲んでおくように」
「えっと……陛下?」
思わず声を漏らしたが、ヴィンセントは至極当然のような顔をしている。まるで、これまでずっとこうしてきたかのように自然な態度だった。
「瘴気が広がっていると、その影響で食欲が落ちることもあるそうだ。栄養価の高い軽食を用意したので必ず食べること」
「は、はい……」
「宮殿付近へは転移門から少し距離がある。長時間の移動になるから、私のことは気にせずに適度に横になっておくといい。邪魔であれば私は馬車を降りて馬に乗ろう」
「大丈夫です! ここにいていただいて!」
「瘴気が強い場所には長く留まらないこと。異変を感じたらすぐに報告してくれ。私には瘴気を祓うことはできないが、この魔力で君の盾にはなれる」
「~~っ、わかりました! 色々と気をつけます!」
ヴィンセントの口から矢継ぎ早に紡がれる言葉にマリーはひとつひとつ返事をしていく。
(どうしてこんなに気を遣われてるのかしら?)
この前倒れてしまったのが原因だろうと予想はつくが、それにしてもきめ細やかだ。
ヴィンセントの変化に戸惑いながらも、心の奥がじんわりと温まるのを感じてしまう。
「ありがとうございます、ヴィンセント陛下」
とりあえずそう返すと、ヴィンセントは小さく頷いただけだったが、ひどく満足そうに見える。マリーもほっとして微笑み返した。
*
任務地に到着した一行は、近隣の村人たちの証言をもとに瘴気の発生源を探ることとなった。周囲には不穏な空気が漂い、草木の枯れ具合が異常なほどだった。
この前の森の比ではない。
「住人の話によると、この先の森が一番濃い瘴気に覆われているそうです」
デイモンの報告に、ヴィンセントは静かに頷く。
この前も浄化したのは森だった。何か規則性があるのかもしれない。
「あの……陛下。瘴気は森で生まれるものなのですか?」
「発生した瘴気は水を媒介にして広がると言われている。水は汚れを吸収しやすく、悪しき力が蓄積されることで『穢れた水』となり、それが瘴気の根源となる」
「なるほど。水が汚染されることで土壌や植物、動物、人へと影響が広がっていくのですね」
「……そうだ。森は循環の大元だからな」
ふむふむと頷いていると、ヴィンセントは驚いた顔をしてその後すぐに微笑んだ。
なんだろう。この前から少し、ヴィンセントの視線がくすぐったいような気がする。
それが気のせいだと思いつつ頭を振ると、外から「第一浄化地点に到着しました」という声がした。
「私が先に行く。マリー、君は私のすぐ後ろに」
「はい、わかりました」
ヴィンセントに連なるようにして、マリーたちは森に分け入る。
森の奥へ進むにつれ、瘴気はますます濃くなった。マリーは言われた地点で浄化の術を使いながら進む。
「……マリー、君は大丈夫か?」
「はい。ですが、もうこれ以上は危険な気がします」
第九地点まで浄化したところで、マリーは自分の力が少なくなっていることを肌で感じていた。ここで見栄を張っても得られる物はない。
「今日はここまでとする。砦に引き返す」
マリーが自分の限界を伝えると、ヴィンセントは周囲の騎士たちに指示をした。
(今日で終わらなかったのは残念だけれど、前回のように倒れないだけマシね)
瘴気を祓い終えたマリーは、深く息を吐いた。足元の大地はまだ微かに冷え切っているが、あの嫌な黒い霞は周囲からはほとんど消え去っている。
だが、体が思うように動かない。瘴気を祓うために膨大な魔力を消費したせいで、全身が鉛のように重かった。
そんな彼女の前に影が差す。
「……無理をするな」
低く落ち着いた声が降ってきた。次の瞬間、温かくしなやかな手がそっと彼女の手を包む。
「陛下……?」
名前を呼んだときには、彼はすでにマリーの手を取っていた。
そして、そのまま静かに手の甲へと唇を寄せる。
「っ……!」
わずかに触れるだけの口づけ。けれど、そこからじんわりとした温もりが伝わり、ほんの少し体の奥が軽くなるのを感じる。
「魔力の受け渡しだ。オーガスから方法を聞いた」
彼はそう言うと、まるで何でもないことのようにマリーの手を離す。
けれど、彼の指先はほんの少しだけ震えているような気がした。
「あ、ありがとうございます……!」
ヴィンセントの魔力は炎属性だと言っていた。そのせいなのか、彼の魔力はとても温かく、全身を巡ってゆくのが如実にわかる。
「では、馬車に戻ろう」
「は、はい── へ、陛下」
「早く立ち去った方が良い。こっちの方が早いだろう?」
マリーをひょいと横抱きにしたヴィンセントは、そのまま帰路につこうとしている。あわてて周囲を見たが、随行の騎士たちにはふいっと顔を背けられてしまった。
(ど、どうして王に抱っこされてしまっているの?)
辞退しようにも、まだ身体に力が入らない。それに、楽なのは確かだ。
「あの……デイモンに運んでもらいますので」
どっちかといえば護衛騎士に頼んだ方がいいだろう。そう思って提案したのに、ヴィンセントにじとりと見られてしまう。
デイモンの方を見たら、聞こえていたのかぎょっとした顔でこっちを見て、それからブンブンと首を振っていた。
「問題ない。君は目を閉じていなさい」
「はい……」
有無を言わせないヴィンセントの言葉に、マリーはそっと目を閉じる。意識があるのに横抱きにされるのは恥ずかしいし申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
でも今は疲労の方が大きい。
温かい魔力に包まれて、うとうとと眠たくなってくる。
「……手の甲ではやはり足りなかったか」
遠のく意識の中で、ヴィンセントがそんなことを呟いた気がした。




